気まぐれ「歳時記

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<長谷川>
 
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2014.10.04
    2/EOSW  この「歳時記」 をしばらく閉じます。現在、FC2ブログを継続中です。
 



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2014.09.10
   2/EOSW  電波調査後、携帯機種変更したら問題が解決。「ながら運転」は危険極まりない。
 親しい友人から、「携帯に何度電話してもつながらない」と、今のマンションに転居してから幾度となく指摘を受けていた。それと同時に、こちらから携帯で電話をする時も相手の声がすぐに小さくなり、やがて通話不能になるという現状でもあった。当時の携帯はauだった。私は、以前から携帯電話を持ち歩かなかったし、持ち歩かなくとも不便を感じることはほとんどなかった。「あれば便利かな・時には必要かな」・・・といった程度の私には、携帯電話は特に必要性を感じさせない存在であり、自宅の固定電話で事足りると割り切っていた。

 しかし、冒頭のように、「何度電話しても繋がらない」と苦情を受ければ、やはり迷惑をかけていることになり、改善しなければなるまい・・・と思っていた。ある会合で、知人に上記の状態を話すと、「マンションの11階にお住いだから、au
携帯が電波をうまくとらえていないかも知れません。時々、似たような話を聞くことがあります。ドコモは電波の受信状況が良いと言われていますから、一度ドコモのお客様センターに相談されたらどうですか」と教えてくださった方がいた。

 ドコモへ電話してみると、「現地で、電波状況を調べてみましょう」と返答があり、調査日の約束をした。当日、二人の調査員が来訪され、室内のあちこちを特殊な機器を使っての綿密な調査が行われた。いろいろ調べていただいた結果、「電波状況はよく、特に問題点もない」・・・とのことだった。実際、調査員の一人が建物の一階へ降り、エントランスから150mほど離れた場所へ移動し、部屋に残ったもう一人の調査員とドコモの携帯電話を使っての通話実験をしたが、明瞭な音声での通話ができ、音声が小さくなったり・切れたりするようなことはなかった。「電波状況は良好です。もし、ドコモの機種<FOMA>に変更されるのであれば、保証します」と言ってくれた。そこまで言い切ってくれるなら・・・と、ドコモへの機種変更を決心した訳である。


 
早速、au
契約解除をし、新規にドコモ携帯電話への機種変更をした。市内のドコモショップで新規契約・登録をしたが、ごく普通のありふれた機種で、最低料金のコースにした。私には、最新の高機能を有する携帯電話など必要はない。ましてや、スマホなどに興味関心はない。美人の店員嬢にメリットを説明され・勧められもしたが、食指は動くことなくあっさり断った。私には、簡単な操作・明瞭な音声で通話できる携帯電話があれば、それで十分である。さらに本体が薄く・軽いものだったら最高だ。
 

 さて、今の若者にとって、スマホ・携帯電話は無くてはならせない必需品のようだが、「ながら使用」は反対だ。困るのは車の運転中・自転車運転中のスマホ・携帯の操作・使用だ。これは危険極まりない。車の運転中は勿論だが、自転車も軽車輛だから
道路交通法違反になり処罰の対象になる。摘発を受ければ、5万円以下の罰金が科せられることになっている。
 
 つい最近、散歩中、自転車を運転しながらスマホを操作していた女子高生とあわや衝突という場面に遭遇した。間一髪セーフという状況で肝を冷やしたが、あのまま衝突していたら、最悪の場合双方が何らかの負傷をし、人身事故になっていただろう。若者たちの自転車運転のマナーの悪さ・ひどさには目に余るものがあるが、大きな事故に直結しないように切に祈りたい。


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2014.08.12
   2/EOSW  「トマト」・・・平凡な夏野菜だが、なかなかどうして、隠れ蓑をまとった「ツワモノ」であった。
 最近、「野菜をできるだけ食べた方がよい」との管理栄養士の指導やその他の情報から、食事どきにはそれなりに野菜を食べるようになった。女房の特製で、昼・夕食にカレー用の大皿に中盛りの生野菜がテーブルに並ぶ。野菜の種類は、レタス・タマネギ・キュウリ・トマト・オクラ・リンゴ・クレソン・ミョウガ・その他であり、混在している。中身は時々変化するが、量はほぼ一定している。ドレッシングはいろいろ試したが、最終的に、ノンオイルのシソ味風味のものが気に入り定着している。

 当然、緑色野菜が多くなるが、その中で一段と光彩を放つのが「トマト」だ。混在する緑色野菜の中で、ひときわ鮮やかな「紅顔の美少年」が風味・食欲を盛り立ててくれる。それぞれの緑色野菜の少々苦みのある複雑な味を、中和するがごとく野菜全体の味をうまくブレンドし、美しきハーモニーを奏でてくれる。今の野菜サラダから「トマト」を除いたら、まったく味気ない無味乾燥の緑野菜の盛り合わせ・集合体でしかない。
 トマトは、それほど今の野菜サラダになくてはならない貴重な存在・主役である。味・あやどりは勿論だが、トマトは、栄養成分が豊富な健康野菜である。例えば、風邪予防に役立つビタミンC、老化を抑制するビタミンE、塩分の排出を助けるカリウム、腸内環境を整える食物繊維などをバランスよく含んでいる。

 トマトと言えば、「完熟」のイメージがあり、「まっ赤なツヤツヤ肌」を連想するが、実はこのまっ赤な色が「リコピン」といわれるトマト特有の色素である。リコピンそのものの抗酸化作用は強力で、βカロチンの2倍、ビタミンEの100倍もの効果があるそうだ。リコピンの具体的効果・効能は、動脈硬化の予防・ぜんそくの改善・ダイエット美肌効果などがあるとされるが、ダイエット美肌効果ありとすれば、世の女性各位には朗報の食材となるだろう。安価で、今では一年中スーバー等で簡単に手に入るのが最高のメリットである。

 さらに最近<2012年>、トマトの果汁成分には、脂肪を燃焼させる遺伝子を増やすリノール酸が多く含まれていることが発見され、この成分の摂取によって肝臓で脂肪燃焼に働くタンパク質が多く作られ、血糖値が低下するという実験結果が発表された。・・・ということは、糖尿病患者にとって絶好の食品の一つになり、歓迎すべき嬉しいニュースになっているようだ。また、酒を飲む時に一緒にトマトを食べると、血液中のアルコール濃度が3割ほど低下するという実験結果を、カゴメとアサヒホールディングス<共同研究>が公式発表している。
 

 ここまでくると、最高の低廉の健康野菜ということになるが、トマト単体には特効薬や即効性の性質・成分はないと指摘している。過去にも多々あった事例だが、「○○症に効く」・「○○病に効く」といった一過性の大騒ぎ・流行で終わった数々の苦い経験は御免こうむりたい。栄養価のある身近な野菜として、適宜にうまく利用・料理活用していくことが大事だろう。
 蛇足だが、トマト食で偶然に体験した変わった食べ方があるので記しておこう・・・と言っても、特異な食べ方をするわけではない。適量のヨーグルトの中に、1.5cm角に刻んだ完熟トマトを混ぜて食べるだけのことである。名付けて、「ヨーグルトマト」。私には、これがちょいと美味で 爽やかなる「朝のデザート」になっている。


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2014.08.05
   2/EOSW  「学校週5日制」のあり方が見直しされている。制度の根幹に直結・・慎重な検討が必要だ。
 現在、学校の授業日は、週の月曜日から金曜日までの5日間である。即ち、学校週5日制となっている。この制度が導入されたのは平成4年で、月1回でスタートした。その後、平成7年に月2回となり、平成14年からは全ての土曜日が休みとなり、「完全学校週5日制」となり現在に至っている。

 しかし、完全実施となった直後から「児童・生徒の土曜日の過ごし方」・「学力低下」などが徐々に問題視されるようになり、漸次、「学校週5日制」のあり方に見直しが行われるようになってきた。今回、文科省の調査で土曜日に授業をする公立の小・中学校が、2年前に比較して倍増していることが分かったという。その内容は、全公立小・中学校を対象に調査し7月下旬に公表した結果では、2014年度に土曜日の授業を予定している学校は計5573校(全体の16.3%)で、内訳は小学校が3565校(17.1%)、中学校が1794校(18.3%)、高校214校(5.9%)となっている。

 共通する大きな特徴は、平成12年度の前回調査からほぼ倍増していることだ。もっとも、回数については全ての土曜日を授業日にするのではなく、小・中で「年3回以下」が半数ほどで、高校は「年18回以上」が30.0% と最も多いという。<高校の数値が高いのは、務義務教育外の高年齢層で自由度・目的の度合いの相違が存在するものとみられる>

 今までも、学校の授業とは別に、例えば希望者に補修的な個人指導や自然体験・ボランティア活動などの名称や形で「土曜日に学校、地域での学習の場」が提供され、児童・生徒が自由に参加することはあった。が、「土曜日の授業」は特別の必要がある場合に限られ、自由・オープンにやることは認められなかった。現実的には、平成14年からは全ての土曜日が休み、即ち「週5日制」<完全学校週5日制>になると、「土曜日を自主的に有効活用」=即ち「自ら意欲的・計画的に学ぼうとする」児童・生徒の率が低く、「土曜日を無為に過ごす」「遊びこける」「何となく無目的に過ごす」といった者が目立つという具体的課題が指摘され、「学力の低下」「無気力な生活態度」を懸念する声と相まって、文科省は平成13年に「教育委員会の判断で土曜日に授業ができる」とする省令を改めたのである。

 政治的にも動きがあり、自民党政権<安部内閣>は教育改革の一環として、学力向上のための授業時数増加を図るため、夏休みなど長期休暇の短縮、一日の授業時間数の増加、土曜日の補修等を検討してきた。このようなことから、全国各地の自治体で「学校週5日制の完全実施」が崩れ、平成17年には全国の公立高校で土曜日の授業を公認したり、一日7時間の授業を行ったりしている学校も出てきている。また、平成22年には影響するような形で、東京都が小中学校の土曜日の授業を容認するという実態が浮かび上がってきている。

 実際の流れとして、全国の公立学校が完全週5日制を実施しているにもかかわらず、私立の学校では土曜日も毎週授業を行っている学校が多くあり、賛否両論の実態が存在する。文科省としても「土曜学校・授業」を条件付きで容認する一方、厳密には「完全学校週5日制」堅持の方針を現時点では変えていない。いずれにせよ、授業制度の根幹・基本に直結することであり、慎重に検討する必要があると思う。 


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2014.07.30
   2/EOSW  日本老年医学会の「フレイル」提言はよい。だが、「何を・どうするのか」が見えてこない。
 日本老年医学会は、このほど高齢になって心身が少しずつ弱っていく段階を「フレイル」<Frail>と名付け、高齢者自身の気づきや予防活動を広げる必要性をメディアを通じて提言した。「フレイル」とは、英語の Frailtyで、「もろさ・はかなさ」・・・等の意味を有するという。学会は、「高齢期に生理的予備能が低下することで、ストレスに対する脆弱性が亢進し、生活機能障害、要介護状態、死亡などの転帰に陥りやすい状態で、筋力の低下により動作の機敏性が失われて転倒しやすくなるような身体的問題のみならず、認知機能障害やうつなどの精神・心理的問題、独居や経済的困窮などの社会問題を含む概念を指す」と言っている。

 恥ずかしながら私自身、やがて後期高齢者の仲間入りをする年齢になった。若かった頃、当たり前にできた行動・所作がうまくできない。即ち、俊敏性とか柔軟性さらに平衡感覚の衰えを実感している。話し方もスローになったし、適切な言葉が瞬時に出てこない時もある。記憶力の減退や即応的・条件反射的な身体反応の鈍さにも気づいている。思ってもみない病魔に苛まれ、不安などに駆られることもある。すべて、Frailty<もろさ・はかなさ>に繋がっているようで、何とも悲しき実態である。

 「日本男性、平均寿命80歳を超え⇒80.21歳に」・「女性の平均寿命は過去最高の86.61歳で⇒2年連続世界一」とのニュースも伝えられ、世界的な高齢社会になった我が国だが、こうした数字の裏側に、高齢化や核家族化により高齢者が高齢者を介護する「老老介護」、認知症の人が認知症の高齢者を介護する「忍忍介護」という、何とも侮蔑的な新造語が存在し、冷・嘲笑するような使い方もされている。いずれも誠実さを欠き、不愉快・失礼千万な言葉だが、現実から目をそらすことはできず、残念だが認めざるを得ない。「老老介護」で言うと、厚労省の調べでは、在宅介護を行っている世帯のうち、介護する側とされる側がどちらも70歳以上という世帯は、およそ6割にも達するという。実に悲しむべき実態数がある。

 重い負担を強いられる高齢者介護は、今や共倒れになりかねない状況にもなっている。体力の衰えた高齢の介護者は、大半の時間を介護に割くことでストレスも大きくなり、肉体的負担と共に「介護疲れ」によるさまざまな病的症状・問題が表面化しているという。また、最近、老齢者の孤立・生活困窮・医療費の負担増や介護施設の不備等が指摘され、大きな社会問題となっている。実に憂うべき現実が横たわっているのである。

 「少子高齢化の時代」と言われて久しいが、「医療・介護問題」に、地方自治体や国家的施策・プロジェクトとしての動きが鈍い。そんな中、東京都西多摩市日の出町では、「老老介護」への画期的な取り組みが始まることになった。75歳以上の高齢者の医療費を全額負担することを決定した。自治体が高齢者の医療費を全額負担するのは未だ全国にも例がなく、日本での初めての取り組みで、これは大ニュースで快挙と言ってよいだろう。日本老年医学会が今回提唱した「フレイル」はその通りだ。が、「何を・どのようにするか」といった具体的処方箋が見えない。ぜひ、学会が、老齢化問題に鋭くメスを入れ、具体的アクションを起こしてほしいと切に願っている。


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2014.07.27
   2/EOSW  調理している料理長と隣席に座った客と楽しく会話しながら飲む焼酎・・・これがいい。 
  とにかく暑い。ここ数日、連日にわたって猛暑日が続いている。今朝の新聞によると、気象庁の全国927観測地点中、35度以上の猛暑日は25%の231地点、30度以上の真夏日は76%の702地点に達し、7月に猛暑日が200を超えたのは、新記録だという。同日正午、全国で熱中症で11人の方が亡くなり、病院への救急搬送された方は少なくとも1,800人以上となり、数十人の方が重症だという。大きな数字で驚くばかりだ。

 それにしても、日本列島は大変な猛暑日である。上記の状況の中で、少々不謹慎かもしれないが、こんなに暑いと、しっかり冷えきったジョッキのビールを一気に飲み干したくなるのが人情だろう。ところが、かく言う私はビールが飲めない。…というよりも、「飲んではいけない」のである。つまり、プリン体を多く含む「琥珀色をした魅力の液体」は、痛風患者にとって最大の敵だからである。私個人の痛風患者に至る過去の長い変遷・経歴は省略するとして、今は焼酎一辺倒である。即ち、蒸留酒のうちの焼酎だけが私に許された唯一のアルコールというわけである。
 

 酒の種類だけ、それぞれの「よさ」「うまさ」の違いがあるが、私にとって焼酎は正直言って、「まずくはない」が、「うまいとは感じない」酒である。
今まで数々の焼酎を飲んできたが、心底から「うまい!!」と思い・感じたものには未だ出会ったことがない。ぜひ、そんな「うまい御仁」に出会ってみたいものである。だが、醸造酒が飲めない私には、焼酎は今、「救いの酒」であり、「救いの友」となっている。最近、酒が弱くなったが、無理をせず・妥協せず、「酒を楽しむこと」が大事だと思っている。

 私の住まいの近くに、「赤提灯」がある。赤提灯と言うと、いわゆる「一杯飲み屋」に聞こえるが、決してそういう「飲み屋」ではない。洒脱でシャレた感じの店で、女性客も多い。「小レストラン」とでも言った方がいいかもしれない。椅子およそ20席とカウンター6席の落ち着いた雰囲気を醸し出している。私が好きなのはカウンター席だ。カウンター席の隅っこに座り、調理する料理長や隣席に座った客と会話を楽しみながら、チビチビと焼酎のグラスを傾けることである。 
 

 私はこの店が気に入っている。何故か…それは、「いいもの」を食べさせてくれる店だからだ。店長は若き美人女性・料理長は若く美男子の男性である。とにかく、料理のメニューが豊富だ。創作料理も多い。少々驚いて、たくさん書かれた料理のメニューを眺めながら、「本当に全部できるのか」と聞くと、「もちろん、すべて料理します」と応えた。まさに、看板に偽りなし・「腕に覚えあり」の名料理長である。カウンター席前のケース上には珍しい野菜が並んでいる。聞いて確かめたわけではないが、野菜を使った創作的な料理が得意らしい(?)。
 

 料理の盛り付けもいい。焼酎の肴は、「豆腐」や「刺身」程度で十分。豆腐なら「冷ヤッコ」に限るが、これが実にいい。大きめの深底ガラス製の器に氷を敷き詰め、中央に美白の豆腐が鎮座し、周りに薬味などが形・彩りよく添えられている。単純だが、何とも涼しげで・風情のある
「冷ヤッコ」
の気品ある一品仕立てだ。万事全ての料理が演出工夫、さりげない配慮がされ、「もてなし」が伝わる感じのよい店である。そんな店だが、私が訪れるのは・・・たまに気の向いた時だけである。


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2014.07.11
   2/EOSW  「ベネッセの個人情報漏れ」…その数 760万件という。過去最悪の大変な流失事件である。 
  7/9 、「ベネッセホールディングス」が、顧客の個人情報が外部に流失したと発表した。その数、760万件<※ベネッセでは、最大2070万件の顧客情報を保管している>という。個人情報の流失数としては過去に例を見ない大きな数字だが、今後の調査<捜査>によっては、さらに最大数<2070万件>の流出に達するかも知れない…と懸念されている。とにかく、途方もない膨大な数である。

 ベネッセの説明では、流失した個人情報は、過去にサービスを利用した子どもや保護者の氏名・生年月日と性別・電話番号などの個人情報である。ただ、クレジットカード番号・銀行口座・子どもの成績といった情報の流失は今のところ確認されていない。まさに、不幸中の幸いと言ってよいだろう。
 「氏名・住所等の情報を一切漏らしたことのない企業から、ダイレクトメールが届いた」というような話をよく聞くが、これなんぞ珍しいことではない。現に、「名簿屋」が存在し、個人情報の取引が堂々と行われ、名簿が商品として流通しているのは明白な事実である。「自分の個人情報を何処で知ったのだろう・何処から手に入れたのだろう」と、いぶかることもあるが、「名簿は金券」と称する業者にかかれば、いとも簡単に入手できるシステム・流通機構があるという。

 ベネッセ幹部は、顧客データベースへの接続権限を有する社外の特定人物が、何らかの方法で情報を持ち出し、名簿業者に転売したとの見方を強調しているが、たとえ、社員の関与がなかったとしても、流失を防げなかったベネッセの結果責任は極めて重大である。こうした根柢の意識が薄れると、同じこと<再発>を繰り返す危険性があるということだ。ベネッセには、今回の事件を見直し顧客情報管理を厳格・厳重にしてほしい。
 情報が悪用されれば、犯罪・事件に直結する要素を含んでいる。もし、そうした状況に至れば社会的にも大問題になりかねない。ベネッセには、親からの「大丈夫か…」と心配・苦情の電話・メールが殺到しているというが、親が、「不安・心配」を抱くのは、当たり前で当然なことであろ。

 ベネッセホールディングスの原田会長兼社長は記者会見の席上、「言葉ではなく、振る舞いが極めて大事だ」と語り、先頭に立って事態の収拾にあたる考えを示している。この発言・姿勢は、真摯な考え方・対応として受け止めたいし、ぜひ、そうあってほしい。しかし、「今後、ハード<設備>・ソフト<内容>の更なるセキュリティーも考える。ただ、二重・三重のパスワードをかけても、その人たちが結託したら、情報を盗むことはできてしまう。最後は人としての倫理だ」…と語っているが、結論的に「防ぎきれない」…とも聞こえてしまう。「最後は人としての倫理だ」で片づけず、「徹底的に原因を探り・検証し、再発を根絶し信頼回復に努めたい」と言い切ってほしいものだ。今は、名簿業者を規制する法律もなく、野放しの状態にあるという。早急に法制化に向けての検討を期待したい。


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2014.07.06
   2/EOSW  「中部フィルハーモニー交響楽団」…我が郷土のオーケストラを応援・支援しよう !!  
 中日新聞7/5の夕刊に、「中部フィル」の評論記事が掲載された。夕刊を開いた瞬間に、「中部フィル…」の大きな活字・見出しが目に飛び込んできた。「中部フィル」と言えば、小牧市で誕生した交響楽団で、親しみ深く関心も強い。一気に記事を読んだ。記事の内容は、去る6/20に行われた名古屋定期演奏会の評論であった。「秋山の指揮 彫り深く」…「熟練の腕で四つの楽章が見事に端正な仕上がりに」と音楽評論家 小沢優子氏は論評している。

 「中部フィル」は、佐藤宏氏の提唱により、2000年(H12)に「小牧市交響楽団」として、県内のオーケストラとしては、名古屋フィルハーモニー交響楽団・セントラル愛知交響楽団に次ぐ 3番目の大編成プロオーケストラとして設立された。誠に失礼ながら、個人的には佐藤氏は存じ上げていない。設立に際し、大変なご労苦・ご努力があったものと推察しつつ、そのご尽力に心から敬意を表したい。その後、2007年に現行の「中部フィルハーモニー交響楽団」に名称が正式変更された。「中部フィル」の愛称で多くの市民やクラシック音楽ファンに親しまれ、現在に至っている。

 「中部フィル」は、誕生して10数年の若い交響楽団であるが、名実共に大きく成長・飛躍し、名声を博している。2010年の創立10周年に伴い、指揮者として世界的に著名な秋山和慶氏をプリンシパル・コンダクター<名誉主席指揮者>として招聘している。現在は、堀俊輔氏がレジデンス・コンダクター<専属指揮者>に就任し、鋭意、活動に全力を注いでおられるようだ。楽団員は、公開オーディションにより全国から募集されているが、現在の団員数は40数名で、総体的に若手女性の演奏家が多いのがこのオーケストラの特徴と言ってももいいだろう。

 活動拠点・範囲は、地元小牧市及び周辺都市・名古屋市さらに県下・中部圏全域にわたり、定期演奏会・特別演奏会・各種コンサート、オペラ・バレエ団との共演、各市町での公演をメインとしている。出色と言えるのが、様々な編成によるイベント・病院/介護施設等への楽団員の派遣、小中高の教育現場へのオーケストラの派遣と音楽授業への参加 / 吹奏楽の総合・個人指導、企業による芸術・文化の援護活動としての冠コンサートや音楽鑑賞会 / 合唱グループとの共演など…など、ユニークで幅の広い特色ある活動をしていることだ。親しまれる交響楽団にするための楽団員の創意工夫があり、発展飛躍への努力と情熱が見られるのは、素晴らしいことであり実に嬉しい限りである。

 しかし、楽団によると、運営は地元企業の支援や、国や小牧市の予算がついた学校向けの演奏会で成り立っているのが現状で、定期公演をはじめとする独自の収入は全体の2割を切るという。県内の別のオーケストラと比べても歴史や規模の面で劣り、「生き残るには演奏技術のレベルアップが欠かせない」との危機感があると言う。これには率直に少々驚いた。市としても、実態を見つめるべきだろう。私自身は、個人支援会員として登録・わずかな支援を続けているが、一地方都市にこれだけの規模のオーケストラが存在し、広範で多様性・特色ある演奏活動をしている例は、他にあまり多くない。小牧市民の誇れる「芸術・文化活動」としての交響楽団である。まずは、多くの市民が郷土の魅力あるオーケストラとして、育て・応援していくことが大切ではなかろうか…。


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2014.06.28
   2/EOSW   ブログ<FC2-Blog>を調べてみた。HPとは異なる構造の簡便さ・手軽さが特徴だ。 
 Blogとは、WebとLogを合成した言葉で、インターネットのWebを使って記録等を公開することからきている造語である。ブログの発祥はアメリカで、2001年に起こった同時多発テロの時期で、これ以後、急速・急激に広がった。日本では、2003年頃から瞬く間に普及し、最近では「スマホ」での情報伝達メディアとして受け入れられ定着している。

 今まで、ブログ<Blog>そのものにあまり関心がなく、知識も希薄で全体像が把握できていなかった。そこで、代表的なFC2-Blogを調べてみることにした。初めてやってみたが、構成的にもシンプルな内容であったためか、ユーザ登録から始まって、1時間足らずで文章(記事)・写真をテストアッフできた。「こんなものか…」と、ある意味で驚き・拍子抜けしたのが率直なる実感である。全体として、時間軸やカテゴリーで原稿(記事)を整理・分類する構造となっている。Blogとは、端的に言って、HP<ホームページ>の一形態と言えなくもないが、HPとの決定的な違いは、HTMLファイを作成し、サーバーにアップロードする…といったHTMLやCSSの知識・手間は全く不要で、更新・削除についても、管理場面(ページ)から更新・削除を時系列的に行うことが可能で、HTMLの変更・ファイルの転送といった作業が要らない。要するに、Blog全体のシステムが実に「簡便」な仕組みになっているわけである。この点、HPとは相対的に次元が異なると感じた。

 Blogサービスは実に多く、そのほとんどが基本的に無料で管理・運営されている。テンプレートは多種・多様にわたるが、各種広告等が載り原則的に削除できない。正直、この広告が意外と邪魔で、見た目もよろしくない。気に入らなければ、自分でデザインするしかなく、無料提供の宿命であり欠点の一つでもある。テキスト・画像容量は共に大きく、問題はなさそうだ。「コメント」書き込み機能も設定できるが、いたずらや誹謗中傷されるケースが目立つ昨今、こうした設定は要注意だ。トラックバックやアフィリエイト等の編集機能も使用可能かつ自由であるが、安易に飛びつくことなく周知徹底し、安全等を確認する細心さが必要だ。とにかく「手軽」である。…が、「簡便」であるがゆえに、問題も垣間見えてくる。Webの世界ではSecurityに万全を期すことが、何をさておいても最低限の必須・必要条件だ。今後、Blogに関係するXOOPSやMovable Typeについての知識習得も必要になってくるだろう。今は、「FC2-Blog」をもう少し広く・深く、システムとしてのメリットと有効活用の方法を探ってみたい。 


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2014.06.24
   2/EOSW   東京都議会でのヤジ問題…人権侵害の理解へのレベルの低さが露呈した。 
 今、「東京都議会でのセクハラ・ヤジ」が問題化している。ことの発端は、6/18の東京都議会の本会議で、晩婚化や妊娠・出産などの問題で質問に立った塩村文夏都議に対して、ある都議が「早く結婚した方がいい」などとヤジを飛ばした問題で、波紋が大きく広がっている。「結婚する/しない」・「子供を産む/産まない」は、個人の問題・基本的権利で、第三者がとやかく言ったり・批判すべきことではない。「人権侵害」に直結する問題をはらみ、特に「議会という場」での「政治家の発言」だけに、「人権意識」の理解・認識の低さに驚くばかりだ。海外メディアも「国際水準に達していない低レベル」と論評している。実に侮蔑的・屈辱的で女性の人格を蔑視する、言語道断・許されざるべき「ヤジ」(事件)である。

 この事件がニュースになって、電光石火の如く一瞬にして世界を駆けめぐった。例えば、ロイター通信は、「女性議員が独身で子どもがいないことにヤジ」・「ヤジで20年のオリンピックを開催する東京にクレームが殺到した」と伝え、五輪開催地としての自覚までも疑問視した。誠にお粗末・恥ずかしき内容で、日本人の人権感覚・人権侵害の理解へのレベルの低さを露呈した恰好になった。自民党石破幹事長は、ことの重大さに対して、6/21のテレビ番組で「誰であれ、『自分でした』と言ってお詫びすべきだ。仮にわが党であったとすれば、党として、お詫びをしなければならない」と発言し、自ら名乗り出ることを促した。これに呼応したのかは分からないが、6/23になってようやく自民会派の鈴木章浩議員が「私が発言しました」と名乗り出て、塩村議員に直接面会して謝罪した。

 しかし、当然だがこれで「一件落着」とはならない。いや、落着させてはいけない。塩村議員によると、自民席からセクハラ発言が複数聞こえたと断言している。ところが、都議会自民党は「聞き取り調査」の結果、他にもヤジが聞こえたと答えた議員はいなかったと説明している。しかし、これは明らかにおかしい。発言はヒソヒソ話(声)ではない。複数のヤジが議場に響き、周辺にいた議員たちには、発言者が誰であるか・発言の内容等について認識できたはずである。 

 どんな内容・方法で聞き取り調査をしたのだろうか…。何とも不自然そのものの結末である。自民議員から「自ら名乗るべきだ」との意見があるようだが、かりそめにも、決定的な物的証拠のなさにつけこんで、「だんまり戦術」を決め込んだり、あくまでも「白(しら)をきる」態度は許されるものではない。このような雰囲気・状況に、「自浄作用」を期待する方が間違っているかもしれない。極めて遺憾な状況にあると言えよう。塩村都議が所属する会派では、当日の本会議の音声データから声紋分析し、発言者を特定する方針を示しているが、難点も多かろう。まだ流動的で、今後どのような展開となるかは不明だ。注意深く見つめていく必要ありと考える。  


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2014.06.20
   2/EOSW   負けても粛々とゴミ拾い…海外から称賛される日本のサポーターたち!!…ところが 
 今、サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会が開かれている。日本は、初戦のコートジボワール選に惜敗したが、観戦を終えた日本人サポーターが、客席のゴミを片づけるニュース・画像が世界に広まり、各国の主要メディアから称賛されている。

 ブラジルの有力紙「フォーリャ・デ・サンパウロ」は、「日本は初戦を落としたが、礼儀の面では多くのポイントを獲得した」と報道した。また、英紙インデペンデントは、「日本の観衆がワールドカップの会場でゴミを集めたことは、他国のサッカーファンにショックを与えた」と伝え、ゴミ拾いの様子の写真2枚も掲載した。韓国の聨合ニュースは、「敗北の衝撃に包まれながらも、破壊的な行動をせず、ゴミを拾い始めた」と指摘した。国営新華社通信の中国版ツイッター「微博」には、「中日関係は落ち込んでいるが、日本のいい伝統は学ぶ価値がある」などの書き込みがあったと伝えている。
 実は、サポーターによる観客席のゴミ拾いは、今大会が初めてではなく、日本がW杯に初出場した1998年フランス大会から行われている取り組みだと言われている。2年前に、名古屋ドームで中日×阪神戦を観戦した時、試合終了後に一部の阪神ファンがリーダーの指示で、一斉に「ゴミ拾い」をする光景を目の当たりにし、整然とした公徳心・環境美化の垂範行動に感心したことがある。

 ところが、6/18日の読売新聞に、「W杯騒然の渋谷交差点、次から『ななめ横断禁止』」という記事が載った。これは、コートジボワール選後、東京渋谷駅前のスクランブル交差点<規模としてかなり大きい>を若者らが赤信号になっても信号を無視して交差点内にとどまり、ハイタッチを交わしたり、大声で応援歌を歌ったりして騒ぎたて、周辺一帯に交通渋滞を発生させた。このため、警視庁は次の試合から同交差点で、「ななめ横断禁止」の厳重な交通規制を実施すると発表したわけである。
 ブラジルでは、「負けてもゴミ拾い!! 日本サポーター」…と世界のメディアから称賛されたものの、国内の一部のサポーターが暴徒化し・混乱を生み出したことは誠に恥ずかしいことだ。憂慮に堪えない。「ルールを守ろう・迷惑をかけるのは止めよう」…と叫ぶ良識あるリーダーはいなかったのか…。リーダー不在で善悪のつかないサポーター集団は単なる徒党・烏合の衆に近い。今回、ブラジルでのサポーターたちのとった誇れる行為・行動によって、「世界から称賛」を受けたが、国内の一握りのサポーターたちの悪態・醜態によって相殺され、汚点を残す結果になったと感ずる。ただただ恥ずかしく・残念なことである。


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2014.06.15
   2/EOSW   朝夕の散歩が定着した。ただし、ダイエット効果には顕著な変化なしである。 
 朝夕、散歩をしている。継続的に歩くようになって数か月がたつ。朝は約3km、夕方は約2kmの計約5kmである。距離としては少ない。毎日10kmを歩くという友人のY君にはとてもかなわない。最近は、少々の雨でも歩く。自然に体が求め、習慣として定着したようである。

 今、「散歩」という言葉より、運動と考えて「ウォーキング」(Walking)という言い方が多く、普通の「散歩」とは意識の点で異なったとらえ方をしているそうだ。何といっても「ウォーキング」の特徴は、体内に酸素を取り入れながら脂肪を燃焼させ、全身の血液の流れをを良くする運動…即ち「有酸素運動」だ。要するに、血液から供給される酸素で体内の脂肪を燃やして、筋肉を動かす運動ということだ。継続していくことで、基礎体力の向上、生活習慣病といった各種疾病の予防になることが医学的にも注目されるようになってきた。車社会になり、歩かなくなったことで肥満や糖尿病など、様々な生活習慣病が増大してきた。そこで近年、「ウォーキング」がクローズアップされ、健康志向から、特に熟年層にちょっとしたブームが起きているという。

 最近、「ウォーキング」での基本的な歩幅があることを知った。「身長×0.45が目標の歩幅」だそうである。例えば、身長160cmなら72cmということになる。この頃では、このことを意識して歩くようになった。ほんの少しだが体重が減少し、わずかにズボンのベルトが緩くなってきた。だが、腹は依然として見事に隆起し、肥満解消にはなっていない。ダイエット効果が出ていない理由は謎だが、距離が短く・運動量も少なく、体脂肪を効率的に完全燃焼させていないのも一因だろう…(※食事との関係も見逃せない)。一方、数値的に変化が見られるのが血圧である。これは少し数値が下がりやや安定してきた。「ウォーキング」の成果かどうか、もう少し様子を見ないと真実は分からない。いずれにせよ、今後も「ウォーキング」を継続させたい。基本的には、「楽しく歩く」ことが大切だと思っている。 


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2014.06.04
   2/EOSW  「日本語 (漢字) ボランティア教室」の指導に携わって、7か月が経過した。
 2013年の11月から、小牧市内在住の外国籍の若者たちに、日本語を教えるというボランティア活動に携わっている。教室は、小牧市民会館<4F/市公民館>の学習室で、毎週日曜日の13:00~と 15:00からの二部制になっている。指導者としての登録者は全13名である。小牧市国際交流協会<会長=小牧市長>の自主グループ活動事業として認可され、助成も受けている。

 日本語を学びたいという強い意志・熱意を持つ外国籍の若者たちが勉強にやってくるが、平均的に10人程になろうか<多い時は20名を超すこともある…>。ボランティア活動であるため、入会金・授業料・教材費等は徴収しない。即ち、完全無料システムである。規則としての細かな制約もなく強制等もしない。登録している外国人は多い。帰国したり・中断をして途中で参加できない者もいるが、毎週欠かさず出席し、目標を持って真剣に学習している者が多い。原則として、1対1の個人指導・学習形態だが、学習者が多い場合は、一人の指導者に生徒が複数となる場合もある。

 当然にして、個人差・能力差があり、個々の基礎的・基本的な日本語能力「読む・書く力」と「会話力」を見きわめ、段階(能力)別・進度別の学習プリントにより学習を進める。若者たちは真面目・誠実な学習振りで、週末(日曜日)の貴重な休みを返上し必死に学んでいる。その「学びの姿」は尊く、頭が下がる。若者たちは主に「聞き込み」により、自らの意志・友人どうしで集まり<男女数はほぼ均等化されている>、相互に励ましあい懸命に日本語を学んでいる。心から敬意を表したい。この「学習の場」と「学習の雰囲気」は尊重されるべきであろう。やりがいと責任を強く感じている。


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2014.05.28
   2/EOSW  しばらく休止の状態でしたが、継続します。気長に、ボチボチとやっていきます。
 振り返れば、随分と長い期間にわたって休止状態だった。常に気にしていたが、ついつい怠け心が「放置状況」に追いやっていた。誠に羞恥すべき状態で、過去に友人からも「今の状況じゃまずいぞ」と指摘をうけていた。

 更新されないようなHPは、その価値がない。最近、他の方から「ぜひ継続を…」と叱咤激励をいただき、この言葉に触発され、やはり復帰・継続すべきと決断に至った。このHPのソフトは、「ホームページビルダー14」だが、恥ずかしながら操作・編集方法の一部を忘れ少々慌てた。学習の復習を強いられたが、手をつけるにつれ、思い出すのに時間はかからなかった。最初に手をつけたのは、この文章だ。正直何と書くべきか迷ったが、結果的にこんな稚拙な文章になった。至らぬ内容にご容赦願いたい。

 年月の経過・時代の趨(すう)勢というか、HP全体のデザイン・レイアウトはじめ、思い切った構成・リニューアルの必要性を感じている。だが、一気呵成にとはいかない。ボチボチと気長にやっていくつもりである。


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2010.03.05
   EOSW  ウィルスの脅威を体験した。プロバイダーの顧客のPCにウィルス感染・・・とんだ騒動だったが一件落着 !!
 3/2朝、当HPで異常<トラブル>が発生した。HPを立ち上げると、「このサイトは安全ではありません・・・」とのNortonのメッセージが発せられるというわけだ。なぬっ!! 「安全ではない」とは何事か・・・と、念のために、LiveUpdate・完全スキャン<Norton Internet Security>をしたが、問題検出はされなかった。「実にけしからんメッセージだ・・・」と、Nortonに連絡・抗議したところ、担当代表責任者の中国国籍女性の曲さんが調査してくれた。事の経緯の詳細は省くが、東京支社からの遠隔操作で調べてくれた結果、私のPCに異常はなく、プロバイダーのサーバーに 「ウィルス侵入・感染の可能性が大きい。 プロバイダーに調査を依頼します」との電話があった。私が契約しているプロバイダーは、地元のケーブルテレビ<CCNet>である。早速CCNetに事の仔細を話し、調査の依頼をすると、「ご連絡ありがとうございます。即刻、調査します」との返答があった。

 昼過ぎにCCNetの担当者より電話があり、「他のお客様のPCに≪トロイの木馬≫が感染していることが判明したため、早速これを駆除し、了解を得られたので、お客様が作成されたHPを完全に削除させていただきました。この度は大変ご迷惑をおかけしました・・・」<要旨>との連絡が入った。 結局、一人の客のPCがウィルスに感染したため、同軸ケーブル回線により、他の客のPCに異常をきたしたということらしいが、プロバイダーのサーバーを通して契約者のPCに影響が出る事実を初めて経験した。

 ≪トロイの木馬≫とは、ギリシア神話に描かれている、「トロイ戦争」で使用された偽装兵器(トロイの木馬)になぞらえて、 この名前が付けられたそうだ。PCへの典型的な侵入方法は、便利なフリーソフトに見せかけてユーザにインストールさせ、実際に便利なソフトとして動作する一方で、悪質な活動を行うというものらしい。 この他、画像ファイルに見せかけて掲示板に潜んだり、E-mail上で魅力的なWebサイトへのリンクに見せかけるなどして、ユーザにクリックさせ、感染するものもあるようだ。 こうしてPCに感染したトロイの木馬は、 システムを改変したり、データを消去したり、 ハッカーが侵入するための侵入口を作成したりするそうである。ここ数年、特定のオンラインバンキングのWebサイトにアクセスすると、 ログイン画面のキャプチャやパスワードを送信したり、なかには他の口座へ不正送金するトロイの木馬が報告されているという。また、ある大手の銀行からの郵便物に見せかけて配布されたCD-ROMを実行したところ、トロイの木馬に感染し、口座から預金が全額そっくり不正送金されたという事件も発生してい.るそうだ。何とも物騒この上ない話である。
 

 過去にもNortonのエラーメッセージがあり騒動を巻き起こしたが、今回も、とにかく一件落着と相成った。それにしても、ウィルス感染は脅威だ。本人の知らない間に、自己はもとより他人のPCに、極めて重大かつ悪質な影響を及ぼすからだ。鋭意、対策ソフトの改良もされているが、新種のウィルスが続々と発見されている現実があり、厄介そのものだ。「愉快犯」が先鋭化し・高レベルに組織化しつつある現状は、誠に憂うべき現象だ。防御にはウィルス対策ソフトが必定だが、それにしても高価だ。が、 一旦感染すれば自分だけでなく不特定多数に影響を及ぼしかねない重大さを自覚すべきで、 信頼できるウィルス対策ソフトの導入は欠かせない。 他に、有害・危険なサイトへのタッチは絶対に避けるべきだし、出所不明のフリーソフトなども安易にインストールすることは止めるべきだ・・・。


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2010.02.28
   EOSW  市長公約の「地域委員会」の委員が正式決定。住民本位の自治体づくりの今後の動きを注視したい。  
 名古屋市は3/27に「地域委員会」の委員選挙を行い、全地域委員72人を選出・正式決定した。委員は「公募・推薦併用型」方式で、公募委員は、立候補者の中から住民が投票で選び、推薦委員は学区連絡協議会が推薦した者に対して住民が信任投票を行う。最終的には当選者を市長が選任して決定される。委員は非常勤特別職で任期は2年である。交通費など実費が支給されるだけで、報酬は0 円である。

 地域委員会は市内8の小・中学校区<モデル実施>で、 安心・安全の確保、地域魅力の創出、福祉 ・子育てなど地域ぐるみ活動、環境・美化など町づくり推進等々を委員会が地域活動として専決予算化<町づくり予算・500万~1,500万円>し、 市予算成立後に市が責任をもって町づくりのための予算として執行していこうとするものだ。
この地域委員会構想は河村市長の二大公約の一つであるが、 ユニークな取り組みで、全国政令都市だけでなく他市町村にも類例はないだろう。 市政の一部であれ、 こうした地域住民が主導する形の政治への参加は、 地域のことを自分たちで決定していこうとする仕組みそのものであり、 住民のかかわり方と活用で住民自治を醸成・発展させることになる。地域の要望をくみ取ることを主体として民主的な議論が行われ、地域の問題解決の予算を決定する権限が与えられれば、住民本位の自治体として機能を持たせた先覚的な取り組みとなろう。

 もう一つの公約である「市民税10%減税」については、名古屋市議会と対立している構造から、 これまでに紆余曲折があり難航しているようだ。河村市長は、住民直接請求が出され、市議会が解散するなら、自らも辞職して再選を目指すと表明。「解散するなら、議会への市民の判断もあるので、市長も皆さんの判断を仰ぐのが自然だ。市議選と市長選の同時選挙で民意を問いたい」としている。 名古屋市議会は昨年12月に低所得者の減税率が大きくなるように修正案を出したが、河村市長は「(徴収額が)調整コストより安くなり、税金たり得ない」と反発し、審議をやり直す「再議」を求める考えを明らかにしている。市民税減税をめぐっては、河村市長の支援者が中心となり、住民直接請求に向けた署名活動などを行う政治団体が設立されるなど、議会解散に向けた動きが噴出してきた。

 河村市長と議会との軋轢・ギクシャクとした対決構造の中で、今後、どのような舵きりをしていくのか不安視するむきもある。どのように推移するかは注視しなければならないが、 いずれにせよ画期的な一つの施策ともいえるだけに、大きな関心をもって見守っていきたいし、期待をしている名古屋市民も多いのではないか・・・。


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2010.02.12
   EOSW  ある調査で、子どもたちの「本好き」が漸次増加しているという結果が出た。望ましく・嬉しいことだ。

 かなり以前から子供たちの活字離れ・本離れの傾向が指摘され、私も心配してきたその一人だが、このほど全国学校図書館協議会と毎日新聞社が協力して昨秋まとめた学校読書調査(1968年から毎年1回、「5月中に読んだ本の冊数」というタイトルで調査)を見て、その懸念材料の一つが払拭された。

 その調査によると、<本が好きという児童・生徒は小学生で82%、中学生で76%、高校生で72%だった。 中高生はこの8年で10ポイント以上「本好き」が増えている。また1カ月間に読む本は、小学生8.6冊、中学生3.7冊、高校生1.7冊。 大量に読む「多読」が減ったものの、全く読まない「不読」が少なくなっており、読書習慣の広がりを示している>という。正直言って、この数字は予想外で、少々驚いた。調査対象、調査学年・人数、調査項目・方法、調査地域等の詳細が分からないから、何とも言えない部分もあるが、この数字が全国平均に共通するという普遍的妥当性ある裏付けがあるとすれば、予想を大きく翻すという結果となり誠に喜ばしいことだ。 

 文部科学省は 子どもたちの言語力の低下を危ぶみ、新学習指導要領で全教科を通して言語能力の育成を重点課題としているが、なかんずく、国語科において「理解・表現・対話」の力を育てることに力点を置き、具体的に「読む力・書く力・話す力」の育成を最重点指導項目としてきている。さらに各小中学校では、たとえば、「朝の10分間読書」・「読後感想グループ討論」・「読後スピーチ」・「ディベート」・「移動図書館利用」等々、学校ごとに特別に創意・工夫を凝らした取り組みをしていると聞く。特に注視したいのは、東京都では特定区<江戸川区等>で、 学習指導要領にないオリジナルの教科を導入できる 「教育課程特例校制度」を活用して、全区立小中学校共通して地域独自の「読書学習」を展開しようという取り組みを計画・推進していることだ。 こうした自治体全域で取り組むのは、全国的にも初めて? の異色の取り組みであろう。 また、表現力や対話力の不足は、高校・大学や産業界でも指摘される状況に鑑み、読書指導に関連づける形で 要点を整理し・相手にわかりやすく伝える指導に重点を置いている学校もあるという。

 こうした取り組みによって、子どもたちの言語力が急激かつ飛躍的に向上するという保証はないが、各学校が 思考錯誤の中で創意工夫への模索を始めたのはよいことだ。「読書により自ら学ぶ力を育成する」ことは、言語能力の育成の一つの大きな手がかりともなろう。読書離れを「日本語の乱れ」や「考える力の減衰」といった様々な他の現象と関連づける言論もあるが、 各種アンケートに、インターネット・携帯電話利用の普及などが活字離れにつながったという指摘も多く見られる。人間は本来「活字」を求めるものだ。 それが知識欲旺盛な幼 ・少年期の子どもほど強い傾向がある。 こうした時期に、「本」に親しませる大人の努力が大切だ。「読書しなさい」と叱咤するだけでは効果は出てこない。 まず何よりも「読書環境づくり」が必要だろう。 家庭を中心に、学校・児童館等教育機関・図書館などの公共機関に、子どもたちが読みたくなる本をいっぱい備えてやることだ。これは、
大人の役目としての初めの一歩だ。 今年は「国民読書年」という。表面的な掛け声だけでなく、まず、コンセンサスをもって「大人の実践」をしていくことが大切だろう・・・。



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2010.02.01

   EOSW   NHKTV 「追跡 !AtoZ」・・・「問題をえぐり出すキレ」も必要だ。ドキュメント番組はそうあってほしい
 1/30夜、「追跡 !AtoZ」が放送されたので興味深く視聴した。「追跡 !AtoZ」とは、NHKが「最前線を丸ごと活写する超リアルなドキュメント」とする、毎週土曜日の22:00から45分間のNHK総合TV番組である。過去にこの番組を視聴したことがあるが、、「ニュースが生命線」と自負するNHKらしい視点で分析・検証し、今の、そして 今後の問題点を探ろうとする見ごたえある番組に仕立てていた。しかし、1/30の番組は、「問われる日本人の言語力」と題する私にとっては魅力ある番組タイトルだったが、 見終わった後に響く残像は薄れ、響く言葉は少なかった。高校生・新入女子社員 ・プロサッカー選手の三者三様の低言語力の実態を写していたが、突っ込みが浅く、問題点を切りきざみ・鮮血が噴出するような 衝撃的かつ説得力をもった迫力あるドキュメントには仕上がっていなかった。

 「言語力」をNHKでは、物事を論理的に考え、それを書いたり話したりする力と定義しているが、総合的な言語力の国際的調査に、OED世界加盟国の多くが参加しているPISA<Programme for International Student Assessment > (国際学習到達度調査)があるが、これは、義務教育段階にある15歳の生徒を対象に、読解力<言語力>、数学的・科学的リテラシー、問題解決力を探るために設立された調査機関である。2000年に第1回めが実施され、以後、3年毎に行われている。日本はこの調査に第1回から参加しているが、回を追うごとに順位が下落する結果を示し、2006年には 遂に14位へと大幅に後退し、日本の教育界に「PISAショック」といわれる衝撃が走ったことがある。

 NHKはこの番組で、前記のPISAの実態を憂い、「問われる日本人の言語力」と題してドキュメント仕立てをし、今、 教育現場や企業など様々な現場で 「話し言葉をそのまま作文に書く中学生」、「面接で想定外の質問をされると答えられない学生」、「営業報告書がまともに書けない若手社員」が相次ぎ、 言語力の低下が進んでいる実態から、 どうすれば日本人の言語力を高めることができるのか。 言語力向上に取り組む学校や企業に密着。 さらに国ぐるみで言語力教育に取り組むドイツや、言語力強化が世界の壁を突破する必要があるとして、研修に力を入れる 日本のサッカー界も取材。 グローバル時代に通用する 「日本人の条件」とは何か・・・を探ろうとした。言語力低下の原因として考えられているのは、携帯メールの普及などで 社会全体の会話量が減り、論理的に話す訓練が足りないことや、センター入試の影響で「書く」・「話す」ことが教育現場で軽視されたことなどを指摘している。また、大手ガラスメーカーでは団塊世代の大量退職、製造現場の省力化が進んだ結果、職場の人間関係が希薄となり「俺の背中を見て育て」といった 日本型の技能伝承が行き詰まっていることなど、 言語力をより高める必要性に迫られている事情もある・・・としている。 が、しかし、全体の構成が総花的で、捉え方がかえって焦点を外し・ 問題点追求を鈍らせる結果となった感が強い。

 以前から、日本の子どもの国語力の低下は大きな社会問題となっているが、今や看過できない憂うべき現象となっている。 全般的な読解力の低下だけでなく、「自分の考えや事象・現象を文章化したり・明確な根拠をあげて自分の意見を言うという、本来日常生活にかかせない能力が、低下の一途をたどっている現実は目を覆いたくなる。NHK「追跡 !AtoZ」を見て衝撃的だったのが、会議での記録<会議録> をとることを命じられた有名大卒の女子社員が、「まとめられない」とベソをかく場面だった。 新入社員とはいえ、 こんな初歩的な記録がまとめらずベソをかくようでは、 今後、事業の起案・計画書・報告書など基礎的文書作成はおぼつくまい・・ 。特に携帯メールによる影響は見逃せない。携帯メールで文を簡略・短縮し、顔文字・記号等を組み合わせて構成した文に慣れ親しみ、 享楽的な遊びに埋没している若者の言語力の低下に、 悲壮感・危機感を募らせる大人も多い。私もその一人だ。番組の中で高校教諭が、「今、言語教育を真剣かつ徹底して考察し、手だてを加えていかないと、とんでもないことになりかねない・・・」と語った言葉が強烈・印象的に耳に残っている・・・。


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2010.01.29
    EOSW  「かぜ」をひいてしまった。市販薬を飲み・平静に努めているが、なかなか治らない。何とも憂鬱だ。
 「かぜ」をひいたかな・・・と思ったのが1/22だった。その後、一週間ほど経過したが、未だに 「かぜの症状」が完全に治まっていない。「かぜ」について調べてみると、「定義は医学書によって様々であるが、かぜとは、主にウイルスの感染による上気道(鼻腔や咽頭等)の炎症性の病気で、咳・咽頭痛・鼻汁・鼻づまりなど局部症状(カタル症状)、および発熱・倦怠感・頭痛など全身症状が出現した状態のことである。西洋医学的には<かぜ症候群>と呼んでいることが多い」・・・とあった。しかし、私の場合は、熱はなく、食欲もあり、喉痛・頭痛・腹痛・嘔吐・全身倦怠といった身体的症状も特にない。生来の医者嫌いも手伝って、この程度で医者にかかることなどないが、症状からして、インフルでないことは間違いなかろう。ただ、①咳が出る②水様の鼻汁が出る・・・以外は何も特別な自覚的症状はないが、 ①②には自分ながら閉口している。 特に、 ティッシュで鼻をかむ回数の多さは尋常ではない。

 予定されている約束(月例の飲み会) ・仕事(パソコン講座)もあり、それまでに症状を鎮静させねばまずいと思い、 ドラッグストアへ薬を買いに行った。が、陳列棚に並べられた各種の「かぜ薬」を見て驚いた。 とにかく、めったやたらと数が多い。能書きを読んでもまったく効能は同類で、どの「薬」を買ったらよいか迷ってしまった。ウロウロする私に白衣姿の薬剤師が近寄り、「新しい薬です。よく効きますよ」との説明で勧められるままにその薬と咳止め薬を買うことになった。あげくに、「滋養強壮剤で薬を飲むと効き目がいいですよ」との説明で、アンプルを買うはめになった。アンプルは3本。結局、白衣の天使ならぬ薬剤師氏の言うままに、お勧めの「新しいかぜ薬」+「咳止め薬」+「滋養強壮アンプル」を買ったわけだ。 支払いで目をむいた。合計6,200円ときたからだ。おいおい、これはちと高すぎるぞ・・・ と口ごもったが、女店員に難癖をつけるわけにもいかず、黙って一万円を差し出した。それにしても、「市販薬」は相対的に高い。

 かぜを「風邪」と書き「感冒」とも言うが、「風邪」の語源は中国医学にあるとされ、中国医学における風の邪気、即ち「風邪」(ふうじゃ)によって引き起こされ、 発熱や悪寒等の症状を来す病気の概念が日本に伝わり、 日本ではそれを一般化して「風邪」(かぜ)と呼ぶようになったと言われる。「邪気」とは、「病気などを起こす悪い気」と言われるが、中国でいう「気」は、「心の動き・状態・働きを包括的に表す語」で、「精神」・「心気」に通ずる意を含んでいる。「びょうき」とは、気の病と書くが、気力が緩み・衰えれば、肉体や精神の衰弱化・軟弱化にも繋がるだろう。私の卒業した小学校には、福沢諭吉の直筆「身体健康 精神活発」の扁額が挙げられているが、正に神髄の言葉だ。 まずは健康、これに勝るものなしである。元の体に戻すために「薬」を買い・飲み始めて1週間ほどになるが、症状は多少の軽減を見せてはいるものの快癒には至っていない。白衣姿の薬剤師の、「よく効きますよ」の言葉を信用して買ったが、まったく期待外れの状態のままである。 今日の午後、親友のI 君から「喫茶店へ行こう」と誘われたが事情を説明して断った。何とも、うっとうしく・憂鬱な毎日だ。日々、何とか健康らしくあることの感謝を忘れがちだが、こういう状態になると、健康の有難さを改めて痛切に感じるものだ・・・。


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2010.01.22
   EOSW   「朝三暮四」と「朝令暮改」はまったく違う。ついうっかりの聞き間違いか、鳩山首相が失態を演じる。
 1/21、鳩山首相と自民の谷垣総裁の 党首対決で衆議院予算委員会が始まった。 首相の脇の甘さと谷垣氏の詰めの甘さが印象に残る論戦だったが、鳩山首相が2日めとなる今日1/22の衆院予算委員会で、自民党の茂木敏充氏から、「朝三暮四の意味を知っているか」と問われた際、「よく知ってます」と前置きし、「朝決めたことと夜決めたことがすぐ変わるという意味で、あっさりと物事を変えてしまうことだ」と「朝令暮改」の意味と取り違えて自信満々に語り、会場から失笑を買う場面があったそうだ。

 「朝三暮四」とは 中国の故事で故事の由来・内容は省くが、その意味は、「目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないことであり、うまい言葉や方法で人をだます」という意味である。鳩山氏が説明した「朝礼暮改」とは全然異なる内容だ。予算委員会はNHK-TVで中継されていたが、私は見ていなかった。新聞の夕刊報道で知ったわけだ。当の鳩山首相、本当の聞き間違い・うっかりしての説明かは知らないが、それにしても、とんだ失態を演じたものである。

 首相も人間、時には「間違い・うっかり」もあろう。いちいち小事にめくじらをたてることもなし・・・との風評もあるが、こと一国の首相となるとやはり大きなニュースになる。「漢字」の読みに関する間違いでは、前・麻生首相には唖然とするしかなかった。私が記憶しているだけでも、有無・詳細・踏襲・措置・頻繁・未曾有・傷跡・物見遊山・思惑・低迷・順風満帆・破綻・詰める・焦眉・怪我等の15文字にも達する。ちょっと考えられない読み間違いの漢字数だ。私が記憶しているのはこれら15文字だけだが、他にあったかも知れない。以上の15文字は、特別難解な漢字でもなく、日常ごく一般的に使用される漢字だ。読み間違いの数がこれだけ多いと、「ついうっかり・あわてて読んだ」<時の麻生首相談>・・・では通用しないだろう。 当然のようにマスコミは騒ぎ・国民の多くから批判・嘲笑を浴び、一部からマンガの読みすぎと揶揄されたこともあった。

 相次ぐ漢字の読み間違いで国民の信頼を失った麻生前首相の例もあり、内閣支持率が急落している鳩山政権にとって、思いもかけぬ・あらぬ小骨が喉に突き刺さった様相だ。 単発であり、単なるミステイクでおさまるであろう・・・ と予想するが、 それにしても、つまらぬ失態を演じたことには間違いない。首相の言動は、すべてにマスコミ・国民衆目の関心を呼ぶことになる。言質を取られることにもなろう。それだけに慎重にも慎重を期すことが必要であろう。 日ごろの言動は、一般的にも人間関係の信頼にもかか
わる大事な要素であることを心したい・・・



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2010.01.17
   EOSW   NHKTV「週間こどもニュース」はいい。だが、伝える内容の吟味と伝え方が問題になるだろう。  
  1/16<土>夕刻、大相撲中継後そのままつけっぱなしにしていたNHKTVから、「週間こどもニュース」の番組が流れてきた。この番組は、毎週土曜日午後6:10から40分間にわたって放映される小学生向きのニュースを中心とした「情報番組」である。 NKH がかなり力を入れ、金をかけて製作している番組で、内容的にもかなり充実している。
 <世の中まとめて一週間>として、1週間の主たる内外のニュースを、コンパクトにまとめて振り返り、<今週の大ハテナ>として、“これは大事”というニュースは、父親役のNHK解説委員が詳しく解説し、さらに、<なるほどうなずキッズ>として、話題になっていることや、世の中のしくみを、こどもたちや母親役を演じている俳優が取材して紹介している。その他、<今週のキラリ>として、今活躍しているスポーツ選手を中心に、今最も話題となっている人物へのインタビュー内容を紹介している。ちなみに、1/16に放送された番組では、「小沢幹事長元秘書の逮捕」・「日本航空再建」等の子どもにとっては 難解・高度と思われる最新ニュースを取り上げ、解説していた。
 この「週刊こどもニュース」の特徴は何といっても、大人でもなかなかわかりにくいハイレベルな難しいニュースを、多くの模型や寸劇等を取り入れ、こどもの目線に立って実に分かり易く伝えていることである。民放には決して類のない番組で、価値ある有益な子ども向けの 「ニュース情報番組」だ。 子どもたちの視聴率はどの程度あるかは知らないが、子どもたちに見せたい番組の一つである。

 ただ、1/16 の放送番組の中で一つ気になることがあった。それは、「Twitter<ツイッター>」を紹介していたことである。確かに今、Twitterは話題となっているようだ。<私自身、興味・関心はなく、「ミニブログ」程度の知識しか持ち合わせていない・・・>。 紹介の是非はともかくとして、内容説明に懸念した。「鳩山総理や有名歌手もやってるよ。やりとりもできるんだ・・・」とする説明だ。Twitterについては、セキュリティーに問題点ありとの報告例が存在するからだ。未成熟・未分化で知識を持たない小学生が、歌手・タレントたち芸能人に憧れ、単純に関わりを持つきっかけをつくることになれば問題であろう。
 
 携帯メールで、犯罪へ巻き込まれる懸案事件が後を絶たないし・増加しているという現実がある。意義と使い方の問題だが、このあたりの教育的指導・注意が伴わなければ、安全であるとの確信は得られないだろう。小学生対象の番組の中で、「やってみようよ」と助長するがごとくの誘導的説明は妥当性を欠くのではなかろうか。あにはからんや、NHKには「安易に紹介するな・・・」とする親たちからの苦情電話があったという。 安心して見せられる番組の中で、 「親の不安感」を増長させるような紹介は困りものだ。 Twitterに関する詳細な知識を持たない自分に語る資格はないかも知れないが、少なくとも、危弱とはいえ「セキュリティーに問題あり」と指摘されている現状では、危惧の念が強い。さて、こうしたことが杞憂に終わればいいんだが・・・。


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2010.01.09
   EOSW   「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の打電文。余りにも有名だが、秋山少佐の真意はどこにあったのか・・・。
 政情安定とは決して言えない波瀾の状況下で新年を迎えた。落ち込んだ景況感に、「今年こそ」と初詣で神仏に必死の形相で合掌するニュースが繰り返し放映されていた。新春から、NHKが司馬遼太郎原作「坂の上の雲」を21世紀スペシャル番組として大河ドラマ化し、3年間の中期経営計画のもとに放映を開始した。秋山真之・好古兄弟と正岡子規たちの群像を書き上げた壮大な物語だが、今まで見た限りでは見ごたえあるドラマとなっている。

 C紙夕刊の「紙つぶて」欄に、作家で東京都副知事の猪瀬直樹氏が「リアリズム」と題して小論を寄せていた。日露戦争の日本海海戦にまつわる内容だが、緊張感の中でのリアリズムについて取り上げていた。「敵艦見ユ」の偵察艦からの電文に、出撃態勢をとると同時に大本営に打電したのが、「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス(A)。本日天気晴朗ナレドモ波高シ(B)」とする余りにも有名な電文である。この電文は、上記の(A)(Bの)二文から成り立っているが、旗艦「三笠」の参謀部は、敵出現の飛報をつかんだ若い幕僚たちが集まって、ただちに連合艦隊出動の第一報原案をつくった。大本営に打電するための原稿が(A)である。参謀長加藤友三郎少将に提出しようとした時、その電案を見た作戦担当主任参謀だった秋山真之少佐は、即座に「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ(B)」の一句をつけ加えたと言われている。

 秋山真之少佐がどんな理由で瞬間的に「B」を付け加えたのか ・どのような意味が込められていたのか。 まさか、単純に、天候状況・海の荒れ具合を付け加えて打電したわけではないだろう。前記の猪瀬直樹氏は、この部分を次のように説明している。「晴朗だから敵艦を見失わず、 波が高いから洋上では双方とも揺れが予想される。秋山の電文は要所を押さえている」(原文)・・・と。私が中学生時代の社会科の先生は、「波浪狂う日本海で、数々の猛戦闘訓練をしてきたから、この程度の波風はとるに足らないこと。我・連合艦隊に勝利の自信あり」と、戦闘に対して身を奮い立たせ・意気込みの高まりをメッセージとして発している・・・と説明してくれたことを記憶している。また、いつだったか、「海荒れ狂う条件下では、秘策の連繋水雷(機雷)による攻撃ができない」と、奇襲先制攻撃作戦を断念せざるをえない旨を文学的に書いて発信した・・・とも聞いたことがある。 猪瀬氏は、「秋山の電文は要所を押さえている」としているだけで特別な解釈をしていないが、どうもこのあたりの書き方が今一つピンとこない。ただ、海軍大臣・山本権兵衛が、秋山少佐の付け足した電文を称して、「作戦用の電文が、事実を粉飾して真相を逸」 (原文のまま)と怒ったと書いている。 猪瀬氏は、山本大臣が緊張の極限の中、 「『詩で書かれてたまるかというリアリズム』を求めたのも当然だった」(原文のまま)・・・としている。 これは頷けそうな話である・・・。

 秋山の付け足し電文の真相は謎めき・わからないが、猪瀬氏が語る、「このこ゜ろ政治の言葉が軽い。一国の運命を決める場面で、短い報告一つにどれほど真剣に向き合ったのか、教訓にしてもらいたい」とは、確かに意味のある言葉だ。 これは、政治の言葉だけではない。 「真剣に向き合う」ことは、思考過程で「考え抜く」ことに繋がる。 かって、ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊氏は、「考えて・考えて・考え抜く」ことの大切さを語った。 判断<力> ・決断<力> ・実行<力>それぞれが大切だが、なかんずく、判断力が事を決するに極めて重要なファクターとなる。決断力が萎えれば、迷走をたどる結果とならう。やはり、「考え抜く力」は大切だ。それにしても、その結果なりを「自分の言葉」として表現・伝達していくことは難しいものだ・・・と つくずく思う。


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2009.12.28
   EOSW   過去最大の「2010年度予算総額92兆29926億円」が決定した。問題点多々あるが、まずは是としたい。
 「命を大切にする予算」「コンクリートから人へ」の政治理念をもとに、鳩山政権下で初となる予算案がまとまった。2010年度一般会計総額を92兆29926億円とする超大型の予算編成である。景気の現状を考慮しても驚くべき巨額さである。比較するに、時代錯誤も甚だしきものがあるが、私が高校生の時に、社会科で「一兆円国家予算について所感を述べよ」とする宿題が出されたことを思い出し、余りの桁違いの数字につくづくと「隔世」の感を持った。危うさ・不安定の崖っぷち三党連立の政権だが、数々の難題が渦巻く中、大きなハンディを負っての初編成を、政権誕生から約100日で終えたこと自体は、一定の成果といえよう。 ただ、歳入の約半分(48%)を借金でまかなう異常さには危惧感が漂う。 さらに税収と借金でも足りない分は、「埋蔵金」など税外収入に頼ってしまった。これが10.6兆円にも上る。また、歳入の穴を埋めるため、国債の大量発行も迫られているようだ。
 
 しかし、「自公10年の負の遺産」を洗い出し、これまでの「脱官僚・政官業癒着」の政治体制を打破し、政治主導を前面に打ち出した姿勢は評価されよう。無駄を根絶したとは決して言えない短期間での「事業仕分け」だったが、税金の使われ方を国民の前に全面オープンし、今まで知らされてこなかった仕組みと実態が明らかにされ、国民に目を開かせ・政治への関心を大きく引き寄せた。これは画期的な試みだったといえよう。 予算案の中身を見ても、内容に問題ありだが、子ども手当や公立高校の実質無償化など、民主党の目玉政策とされた項目も何とか盛り込まれた。「所得控除から手当へ」に向けて、大きな第一歩を踏み出したわけで、「命を大切にする予算」を意識した特別配慮型の予算編成とも言える。また、社会保障費を大幅に伸ばし・地方交付税を積み増すなど、財源が限られた中で地方配慮の姿勢も打ち出した。 特に、公共事業費は前年度比で18%と大幅に削減し、旧来型から脱却する「コンクリートから人へ」の政治理念を、それなりに実行に移した形となった。

 今回の予算づくりでの苦悩は、民主党が野党時代に描いた「マニフェスト」具現化の財源を見誤ったことだ。財源不足の解消策として、安定性を確保するため、早晩、消費税の引き上げを早急に検討すべきだとの意見も出てこよう。確かに、真剣な議論を始める時に来ているのは間違いない。 しかし、まずは政府が国民からの血税を本当に最大有効的に無駄なく使い、将来世代のためにきちんとした計画を立て、それを実行に移す能力があることを示すのが必要かつ絶対条件だ。 国民の信頼なしに増税を急いでは、決して支持されないことを心すべきである。 
 自民の谷垣総裁は、「マニフェスト詐欺予算」と一刀両断・ナタを下す批評をした。野党に下った自民の領袖の論評として当然だし、課題とされる内政・外交政策対応も多くが積み残し・先送りされているのも事実だ。が、100日間という短期決戦としては、ほどほどの戦果を生み出したと見るべきだろう。 問題の「マニフェスト」は、見直しがあってもよかろう。 今までの中央紙の世論調査でも、多くの国民がこれを許容するとしている。 先の衆議院選へ向けて「マニフェスト」を急造し、 確たる財源の裏付けを検証せずして突き進んできた結果が、「約束違反」と誹謗されるに至っている。いずれにせよ、拙速に過ぎた感は否めない。政権交代を実現させた国民の期待を裏切るような不埒な政権運営を続けるならば、 6月の参院選で国民は容赦なき鉄槌を下すだろう。時の民主政権は、国民の切実なる願いを真摯かつ謙虚に受け止め、政治活動に具体的かつ確実に反映させていくべき義務を有する。 一方、国民はこれを継続的に監視していくべき権利を持っている。 この相互作用が大切だ・・・。


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2009.12.23
   EOSW  河村名古屋市長に明・暗の転機。減税名古屋・庶民革命・脱官僚を強力に打ち出す新市長に期待も多い。
 名古屋市民・県民が注目していた、「開発か里山保全か」で揺れ続けていた名古屋市天白区平針地区の里山<5h>について、河村市長は12/22、最終的に里山の保全を断念し、業者に開発を許可する方針を固めた。このことは、去る7/30に、「平針地区「里山」を名古屋市が開発業者から「買い取り」を検討。不透明な動きだが、朗報だ」として書き込んだが、結果として、実に残念な形に終焉するようだ。

 ことの発端は、7/30に書いた通りだが、「買い取り」ができなかった唯一最大の理由は、 開発業者が取得額に借入金の利息や印紙代・固定資産税などを加えた希望額<25億円>に対して、名古屋市の鑑定額<19億5千万円>の買い取り限度額との差額5億円余の開きが、最後まで溝を埋めきれなかったことである。 気鋭の河村市長がいち早く、「開発許可の保留」を発し、国・財界への金銭的援助・支援を強力に働きかけをしたものの、結果は無縁のものとなった。宗宮名大教授が中心になって、大規模の 「開発反対」の署名・寄付を集める運動も展開してきたが、開発反対の市民運動・寄付金も思ったほどの拡大・浸透連鎖は見られず、「現状背景や法体系・仕組みでの開発阻止は総合的に無理」と判断するに至ったようだ。2010年開催予定の「COP10」<我が国のテーマは里山>への期待も空しく、また一つ、都会の中のかけがえのない大自然が失われていくことになりそうだ。河村市長にとって、まさに切歯扼腕の結末となったであろう・・・。開発業者は、8か月間に及んだ開発保留期間に発生した金利・固定資産税など1 億円の損害賠償を提訴する考えという。他方、宗宮名大教授を代表とする「里山保全連絡協議会」側は、市長の開発許可に抗議し・取り消しを求める行政訴訟の方針を打ち出した。 竜頭蛇尾の結果に波瀾の様相を呈してきたが、今後の推移を見守るしかなかろう・・・。
 
 一方、同日、河村市長提案の、「市民税10% 減税案」が本議会で可決成立した。この「一律10% 減税案」は河村市長の選挙最大公約で、当選早々に、「市民税減税/日本発祥の地・名古屋」と銘打って 大々的に発信したスローガンである。 これに対して野党陣営は反対し、低所得者の減税率が大きくなるという独自の修正案を提案したものの、河村市長は 「(徴収額が)調整コストより安くなり、税金たり得ない」と反発して「再議」を求め、その結果、修正案は否決され・最終的には市長案が本議会で認められることになった。ここに至る市長と反対陣営・議会との攻防は紆余曲折の経緯があり難航したが、選挙で公約した市民税10%減税に議会が抵抗した場合、解散も辞さないとの強い姿勢を示し、「地方自治法の制度で36万人以上の署名が集められれば議会解散もできる」と指摘、選挙で得た51万票を背景に必ず実現させると決意を迫り、結果的に河村市長の執念が相手陣営をねじ伏せたようである。 試算によれば、夫婦・子ども2人で年収700万の家庭で、年間の市民税減額は18,100 円になるという。これは大きな数字だ。

 「独善的で議会無視の河村市長」と批判・標榜する反対陣営も、51万票余り(得票率58・56%)を得て圧勝した実績と、10月下旬の地元新聞社が行った世論調査で、河村市長を「支持する」と答えた人は63 %に達し、「政策に期待できる」が44%で最高値・「親しみを感じる」が2位の25%という高い支持率維持の結果が出た。野党は、これらの数字を無視するわけにはいかなかったようだ。このまま
反対を継続すれば、やがて 市民・有権者から鉄槌をくらうであろうとする 最悪のシナリオが想定され、行動継続を断念するに至ったのであろう。確かに、灰汁<あく>の強い独善的な一面を持つ政治家だが、これは、前・衆議院議員時代も同然だった。信念を持って丁々発止の言動をし、庶民派を公言・庶民サイドに立っての積極的行動派の市長に市政の舵取りを全権委任する市民も多い。 ただ、「市民税10% 減税案」が本議会で可決成立したものの難題は多い。 むしろ、これからが真価の問われる本当の勝負といってよかろう。減税分の財源をどうするのか ・予算編成の中身はどうなるのか、難しく厳しい問題を残している。 「議員はボランティアなり」と称し、自らの給与・ボーナスの減額・一部返上、さらに市職員の給料体系の見直しなどを打ち出すなど実践的成果を見せているが、他に 選挙公約の「地域委員会の設置」等々のほか諸施策も、 具体化前に暗礁に乗り上げている部分もある。当面、2月議会が最大の勝負どころとなるであろう。 攻防の行方は混沌として不透明部分もあるが、あくまでも庶民サイド・庶民感覚に立っての英断をふるってほしいものである・・・。


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2009.12.21
   EOSW   部分的だが、雪止め用の瓦40枚ほどを入れ替えた。匠の技の職人さんの腕前は確かで安心だ。  
 我が家は建坪25坪の木造平屋住宅である。建てたのが1965年であるから、築後45年を迎えることになる。町内の戸数は40軒ほどで、その中で最古参のツワモノであるが、震度5~6程度の地震に襲撃されれば、「倒壊の危険きわめて大なり」となる代物である。狭小の間取り・粗末な造りの我が家だが、愚息が上京以来、細君と二人だけの生活には狭さや不便さ等は特に感じてこなかった。破れ長屋に類する庵だが、過去の歴史が詰まり・今までの生活の匂いが滲みこんだ我が家への愛着心は拭いさることはできない。

 そんな我が家だが、12/18に屋根瓦の一部を「雪止め瓦」に入れ替えた。40枚ほどである。理由は、雪が降ると屋根に積もった雪が溶けて雪崩のように隣家の敷地内に落ちる・・・と聞いたからである。我が家は隣家との境界線ぎりぎりに建てているため、こうした事態をまったく知らなかった。屋根の雪が雪崩のごとく落ちるほどの積雪は、この辺りでは年に1 回あるかないかの稀少頻度だが、それにしても隣家のNさんは、毎年その都度、我慢を重ね・何の苦言を呈されることもなく、我が家の屋根から落下した雪の処理をされてきたのだ。事実を知って、心底から本当に申し訳ないことをしてきたと恥じ入り、汗顔の極みだった。
 
 工事は市内老舗のO瓦店に電話依頼した。現場を見に来られた店主のOさんと話をすると、かって市内S小のPTA会長をされたことが分かった。S小といえば、私がかって3年間赴任した学校だ。Oさんとはすれ違いがあったが、懐かしく学校関係の話が弾んだ。12/17に工事費見積り書を持参され、翌日の12/18の午前に工事に取り掛かるとのことだった。見積り書の提示総額は107,500円となっていた。当日は強い風もなく、薄日のさす天気だった。職人さんは二人。年季の入った玄人の職人さんの手作業は無駄がなく、瓦の入れ替えは丁寧かつ慎重・精密な作業ぶりだった。職人さんは、「あんたたちには分からんと思うが、瓦は生き物でね、一枚一枚が違うんだ。 個性があるっていうか、奴らの面と癖をうまく生かして葺かなきゃあ一人前の仕事とは言えんね・・・」と、分厚く・ひび割れ皺がれた手を休めることなく語られた。いかにも職人気質・堅気の性分が自然に出た言葉だった。作業は正午少し前に終了した。

 作業完了の旨をOさんに電話すると、午後に現場点検に行きます・・・との返事があり、午後1時過ぎに来宅された。屋根の点検を終え、「うまくいきましたね」と、太鼓判を押していただいた。応接室では再び話が弾んだ。Oさんは、「最近は本物の職人がいなくなりました。釘がまともに打てない・鉋の刃が研げない人間が建築現場にはたくさんいます。これは職人じゃあありません。単なる建築作業員ですよ」・・・と。「マニュアル通りにピストルで乱暴に釘を打ち、電動鉋でおかまいなく逆目に木を削り、刃を研ぐことなく替刃で済ます時代になりました」「昔は親方に就いて10年近く無給で艱難辛苦の苦労・修行して親方から技を盗み取り・体得してきたもんです・・・それが職人でした。本物の職人は、銭勘定抜きで頑固一徹のこだわりで他に妥協せず・徹底的にいい仕事をするんです」等々を、とつとつとした口調で語られる言葉は一つ一つが響き、言葉の意味を強くかみしめながら耳を傾けた。1 時間ちょっと話し込んだだろうか、他から電話がかかってきたため、それを機に、工事内訳の詳細と請求書を置いて我が家を出られた。請求書の金額は、90,000円となっていた。 見積り額より、17,000円も安くなっていた。 見積り額より安くなった経験はないので少々驚いた。 見積り額通りか・増額されるのが通例だ。Oさんの人間性がよく表れていると思った。翌日の12/19は前夜からの雪で、いみじくも今年初めての約3cmの積雪があった。初雪である。雪止め瓦の差し替え工事終了の翌日に初雪・積雪があるとは、まさに奇遇ともいえる現象だった。 隣家のNさんから、「ありがとうございました」との言葉があった。 どこまでも紳士的なNさんだ。Nさん・Oさんから学びとることも多い・・・。
 


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2009.12.05
   EOSW   「Windows7」搭載のノートPCを購入 Vista/XPの:欠点・悪評を改善・・・かなり満足のいくOSだ。 
 「Windows7」搭載のノートPCを購入して3週間余が経過した。正直、意に反する形で購入したわけだが、理由は、最近になって自前のXP-PCが、Windows update <修正プログラム>をダウンロードするものの、これを正常にインストールしないという不具合が発生するに至ったためである。修正プログラムの増大・蓄積は避けられないものの、サブPCとしてNet通信を断念すれば、当面、PCの危険性・クライシスの心配もあるまい・・・と判断した。 本体は健在で高性能ノートPCだから、このまま放置・埋没させるには惜しい。極めて厄介だが、機を見て「初期化」作業に着手する積りである。 Microsoft社と4回のMailやり取りをしたが、フィリピン国籍の男性インストラクター氏は最終的に、「原因が分かりません。 初期化してください」と、いとも簡単に結論づけた回答をしてきた経緯がある。それにしても「初期化」とは、大きな課題・宿題を抱えたものだと・・・もはや諦め・観念の境地である。

 PCはFujithu製・FMV-BIBLO NF/E70Nである。購入はWEB MARTだ。私は店頭販売機種は好まない。あくまでも、目的志向によるPC構成をしたいとの考えから、WEB MARTを利用するわけだ。NECなら、NEC DIRECTということになる。私はテンキィ付きボードが好きだから、、Fujithuを主体に選択することが多い。主構成は、CPU=Intel(R)Core(TM)2Duo P8700/
メモリ=4GB/HD=500GB/Display=15.6型Wide(1366×768)/無線ラン=IEEE802.n/a/b/g(MIMO対応)となっている。限られた予算(?)で最低限での構成であり、特筆すべきPCでもない。 WEB MARTサービス価格で123,000円と相成った。 いつもの癖だが、「余分な構成をしない・最低限の構成でOK」という考えが底流にあり、後から後悔すること無きにしも非ずだ。今回のPC購入でも、CPUをT9550(2.66GHz)にすればよかったと悔やんでいる始末だ。    

  「Windows7」を手にしての感想だが、これは評価してよかろう。個人的には、①インターフェイスの使いやすさ②複数台PC接続の容易さ③起動 ・シャットダウン時間の軽減④周辺機器接続のわかり良さ⑤互換性の心配解消・・・といったところか。 その他も挙げられようが、自分には然したるメリットとはいえない。未だ、特に必要としない機能 ・ソフトもやたらに多い。 私にとってありがたいのが③⑤だ。特に③は体感できるスムーズさだ。いずれも僅か数十秒での動作反応を示す。Vista ・XPを完全に凌駕している。軽快と言ってよかろう。 ⑤は、既存のプリンター <Canon/ip4200>への接続を懸念したが、何の障害もなくワンタッチで瞬時に接続できた。テストしてみたが、修整・調整は全く必要なかった。
 ただ、古いソフトが通用するかが最大の心配事だった。その一つが「AutoCAD/LT2002」だった。 案の定、シリアルナンバーが打ち込めず、インストール不可。オートデスク社に問い合わせたが、「HPに指示している通りです」とつれない返答。 HPで確認すると、対応は2010となっていて・・・最終的に断念せざるを得なかった。昨夜、VectorWorks12 と IllustratorCS3のインストールを試みたが、こちらはいずれもOkでほっとした。 グラフィックボードを搭載していないため、動作に若干のスローを感じるものの操作に問題なしだ。今のところ、他のソフトの動作性に一切の問題はない。唯一「AutoCAD/LT」インストール不可にはがっかりだった。細君は私の嘆息に気づいて、「買ったら・・・」と助っ人のサインを出してくれたものの、135,000余円の 「AutoCAD/LT2010」を購入するとは簡単に口に出せなかった。 Graphic系ソフトの操作にはいささか時代遅れの代物であるが、未だ健在である目の前のデスクトップPCでやればいいこと・・・と、自嘲的に自分を納得させた。 日々進化する PC ・ソフト等を追いかけたら、際限なき泥沼に足を突っ込むことになりかねない。シビアな判断能力が必要だ・・・。
 


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2009.12.04
   EOSW  喪中・年賀欠礼状を出すべきか・。結論として、新しい年を迎えて近況を添えての挨拶状とすることに・。
 年賀状を書くシーズンになった。年賀状の予約9/1~窓口販売10/29~が始まっているが、今年は年賀状のことで何か落ち着かない日が続いていた。それは、6/2に長姉が逝ったため、年賀欠礼状を出すべきかどうか少々迷ったからである。「喪」についての正しい知識がないため少し調べてみた。

 
日本では、喪中の規定に関する法律は奈良時代の「養老律令」には既に見られ、江戸時代になると「服忌令」という法律によって喪中の規定がはっきりなされている。これらによると、父母の喪は12か月~13か月であると制定している。その後は明治7年に「太政官布告」が発せられ、大方次のようになっている。・・・ 忌(忌中)と服(喪中)の期間をこと細かく定めている。忌と服は謹慎度の深さによって分け、 忌は自宅に謹慎する期間、服は喪服を着用する期間である。 親や近親者が亡くなった場合に、一定の期間、死を悼み・身を慎むことを「忌服」と言ったり、「服喪」と言ったりする。忌・服期間中は、故人の冥福を祈り行動を慎む。晴れがましいことや派手な行動は慎しみ、門や玄関の正月飾り、鏡餅などの飾りつけやお節<せち>料理やお屠蘇<とそ>での祝いはしない。年始まわりや神社、仏閣への初詣も控える・・・・と。かなり具体的にわたって定めている。現在では勿論、 こうした法令等はすべて撤廃< 「太政官布告」は1947年/S22年に廃止> されており、仏事の慣例として、今もこうした過去の令・布告等が一つの目安にされていて、これが慣習的部分的に引き継がれてきているようである。しかし、今では全体的にこうしたことは薄れつつあり、忌明けとともに、ごく日常的な生活をする家庭が多く見られる。


 服喪の期間についても、かなり細部にわたって規定している。父母の忌日数は50日・服(喪)は13か月から始まって、曾祖父母まで、ほとんどの親族関係に期間・日数を定めている。「服忌令」もほぼ同じ内容だ。それらを参照するとすれば、長姉の場合は忌日数は20日・服(喪)は90日となっている。 一般的には二親等までが一年を喪に服し・喪中ハガキを出すべきだとする説もある
ようだ。 が、どうやら解釈がまちまちのようで、明治7年の「太政官布告」を厳密にとれば、長姉の場合は90日で 服(喪)が明けたことになる。したがって、年賀状は出してもよいことになるが、現代では厳密な規定 ・基準となるものはなく、地域・宗派等によっ
ても異なり、結局、世の慣例< ? >にしたがって各家族の事情を考え・話し合いで決めることになるだろう。 我が家では、喪中・年賀欠礼状および新年を祝う年賀状は出さないことにした。


 
私の結論として、年賀欠礼状および年賀状は出さないが、新年を祝う内容ではなく、新しい年を迎えての近況をお知らせする
意味でハガキを出すことにした。勿論、年賀の挨拶ではない。専用の年賀はがきは使用せず、普通の官製ハガキを使い年明け
て、1/1の朝に投函する予定である。「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます・・」では、誠に申し訳ない気持ちが強い。それに、これだけでは、余りに寂しく・侘<わび>しいではないか。「新年おめでとうございます」の言葉は一切使わず、あくまでも
現在のありのままの様子・近況等を知らせ、今後の指導・鞭撻をお願いするわけだ。即ち、年賀状ではない ・新しい年を
迎えて
の挨拶である。この方が、読んでいただく方にもベターではないか・・・と、このような私的結論を出した。



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2009.11.09
   EOSW   政府税調が「たばこ税」引き上げの議論を始めた。国民の健康を守るのが主旨なら解るが・・・・・。
 政府税制調査会で、たばこ税を大幅に引き上げようとする議論が始まった。たばこと健康との因果関係はかなり前から医学的に研究され、国民の三大疾病の直接的重大要因の危険性が指摘されてから久しい。 今回のたばこ税の引き上げに関する議論は、税の増収を図るのが主たる狙いではなく、あくまでも国民の健康を守るという大義名分が前面に出されているようだ。

 私はかなりのヘビーで、なかなかやめられない。 過去に何度も禁煙に挑戦してきたが、いずれも三日坊主に終わり現在に至っている。俗に言うニコチン中毒という奴だろう。身体に悪いことは重々承知しているが、手元のたばこが無くなると、「薬(やく)が切れた麻薬常習者」と同状態< ? >となるから始末が悪い。今、吸っているたばこの銘柄はCASTER 1で300円だ。タール・ニコチン共に0.1で最も軽いが、喫煙には変わりない。
 現在は、 たばこ1本当たり8.744円を課税<たばこ1本の価格は15円見当になるから 課税率は極めて高い>。 国税<特別税を含む>と地方税で折半されている。 H21年度の税収見込み額は計2兆795億円となっているから、税収としての金額は大きい。財政当局は、 たばこ値上げにより消費者減につながり、 2兆円余に近い税収が見込めなくなると懸念しているようだ。厚労省の研究班がH20年に、1箱500円に値上げした場合の税増収について、「最初の1年間は4400億円の増収」と、もくろみの試算をしたが、時の自民党政権はいわく因縁あって値上げを見送った経緯がある。 現鳩山政権が健康第一義を考え・唱えるならば、 ここは喫煙抑制に波及する効果を狙って、国家的戦略・施策としてのたばこ増税を英断・断行することが妥当かも知れない。WHOでも規制枠組み条約で喫煙率を下げるには、値上げが不可欠と結論づけている。
 余談になるが、先の NHKテレビ日曜討論で、野党の議員が 「民主党は、マニフェストに載っていない たばこ増税を打ち出してきた・けしからん」と反論していたが、聞いていてあきれた。マニフェスト全盛のご時世だが、ことによっては中身の見直し・加除も必要だ。各種世論調査でも、6割・それ以上の国民がこれを許すと答えている<例えば、NHK世論調査では61%>。マニフェストに書いてないからけしからんという言い方は、揚げ足取りの発言だ。施策の全てがマニフェストでもなかろう。実に情けない発言だ。

 厚労省は、政府税調へ提出する平成22年度の税制改正要望で、社会保障費の財源確保などのため、たばこ税を1本当たり10円引き上げるよう求める方針を決めるようだが、仮りに実現すれば、たばこ1箱<20本>の値段は主力商品で現在の300円から500円に大幅値上げとなる。愛煙家にとって、これは打撃だ。今、私はたばこ代として月に1万円以上の支出をしているが、1箱500円
となるとかなりの出血となる。ある調査では、1箱500円なら5割強/1000円になったら8割がたばこを止めるという数字が出ているそうだが、私なら、まだ500円程度なら・・・と安易に触手が伸びる可能性は無きにしも非ずだ。日本のたばこは安いと言われる。西欧諸国では驚くなかれ、日本の2倍以上という国も少なくない。これは、税収の一部を喫煙抑制に利用するなどの措置によって、たばこの消費量を減少させる狙いがあるようだ。少し古い数字だが、事実イギリスでは1981年に20%の大幅値上げを行った結果消費量が16%もの減少を見たという。仮りの話だが、日本が西欧諸国並みに1箱1000円に値上げしたら、これはもう即断・即決の禁煙体制をとることになろう。私には、いっそのこと「1000円たばこ」の出現が望ましいかも知れない。 いずれにせよ、正直言ってその時になってみなければ分らない・・・。
 多くの愛煙家にとっては身につまされる話だが、 消費量の減少につながる専業個人販売店や葉タバコ栽培主体の農家にとっては死活問題で、何らかの対策は必要だろうし、喫煙者の反発も予想される。 今後の税制改正で大きな焦点の一つになることは間違いあるまい。ただ、たばこ増税で消費者減となり税収入減となったとしても、人間<国民>の命には代えられない極めて高い付加価値があることは事実である・・・。


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2009.11.06
   EOSW   「三上」・「三余」の言葉にめぐりあった。時代変われど本質は変わらず、まさに芭蕉の不易流行である。  
 A紙の投書欄に、県内在住の男性の文章が掲載されているのを読んだ。投書された方は85歳の高齢で大変な読書家のようだが、 最近、「三上」・「三余」という二つの言葉に出会い、とても懐かしがって書かれていた。 投書を読んだ私自身も、まったく同じ境地だった。

 私がこの言葉に出会ったのは高校生の時である。 今は思い出せないが、 何かの本を読んでいて、「三上」・「三余」<中国魏の董偶>を知り、面白く感じたので記憶に残っている。 「三上」・「三余」ともに勉学の場と機会の有効活用を説いた言葉だが、区別するとすれば、「三上」は、文を考える・練る時に最もよく考えがまとまる場所が三つあり、それは、1馬上 2枕<ちん>上 3 厠<し>上だという。1の馬上は読んで字の如く馬の背の上である。当時は馬だが、今なら車・電車等の乗り物になろうか・・・。 2の枕<ちん>はまくら、即ち寝床の中である。3の厠<し>は、「はばかり」即ち便所・今風でいうトイレである。

 現代に置き換えて、1 はよく見かける光景だ。新聞を読んだり・読書をしたりする人物も多い。2 も就寝前に読書等をする人も多かろう。面白いのが、3 のトイレの中だ。 トイレこそ最大の沈思黙考の場であり、哲学的思考の生まれる場でもある。考え事をするには勿論、新聞・書物を読んだり、瞑想にふけるには適した場だ。トイレは最もプライベートな場で、 誰にも覗かれず・邪魔されない安心・快適空間である。拙宅のトイレは極めて狭窄で、 夏暑く・冬寒く、居心地は極めて悪いが、私にとっては落ち着きのある空間の一つであることに間違いはない。
 今年の夏、A紙が 「友達いなくて便所飯?」 という誠に珍妙な記事を大きく載せた。 東大その他幾つかの都内大学内トイレの中で食事をする学生が増えているという内容だ。一読して仰天したが、 「トイレ内、食事禁止」のイラスト付きの張り紙が見られたと言うから、 「便所飯」なる行為があったと推察してしまう。いずれの大学側事務局も張り紙には一切関知していないと言うから、世の中を騒がせて楽しむ「愉快犯」連中の創作劇だったかもしれない。いずれにせよ、個室内だから目撃者もいない。A紙もとんだ記事を載せたものだ。しかし、法政大学の尾木直樹教授が 「便所飯」について 487人を対象にアンケートを取り,その内400人が回答,9人が「便所飯をする」と回答したそうだ。法大一校の調査で僅か2.25%だが、到底考えられない不可思議なこの数字と現象をどう解釈したらよいか・・・。んんん・・・となってしまう。
 話変わるが・・・私が高校生だった時、英作文の指導を受けたS先生から聞いた話は本物だ。家計苦しく独学で大検上がりのS先生、便所へ入る時は、辞書(B6)を持ち込み英単語を暗記したという。こうしたことをする学生がいることは珍しくない。が、S先生は1ページ分の単語を徹底的に丸暗記したという。覚えきるまで絶対に便所を出ない覚悟だったそうだ。 そして、完全に覚えきったらそのページを破りとり、そのページ紙で尻をふいて便所を出たという。 辞書のページを破るとは、辞書の用を成さなくさせてしまうわけだし、便壷に捨てることは取り返しがつかない行為だ。 家計苦しく苦学生だった先生にとって、 辞書は大変貴重な書物だったそうだが、悲壮感極まる決断・行為だったに違いない。笑い話ではない猛烈勉強の実話だ。 故人となられてから随分になるが、豪胆で生徒をぐいぐい引っ張り、英語教育へ心血を注がれた熱血大先生だった。
 
 「三余」の余は、余暇の余であり、三余とは即ち 1 冬 2 夜 3 雨の日のことである。 昔の農民は今の時代と大きく異なる。 中国董偶の時代とて同じはずだ。日の出とともに起き、野良へ出る。日没とともに仕事を終える。年中、体を酷使した過酷な労働に明け暮れる。そんな中、ほんの少しの余裕の出るのが冬場だ。そして夜だ。 董偶はその機を逃さず勉学に集中することを督励している訳だ。現代とは異質な面も多いが、時間の有効活用を説いているのは共通している。3 の雨の日は「晴耕雨読」というとおり、現代にも適合するのが雨の日だ。天気がよい日は農作業に励み、雨の日は読書・勉学に勤しむということで、大方はこの言葉を理解し・日常的に使っている。 現代の読書嫌いは、雨ゴロ寝・雨テレビ・雨パチンコ等々になるかも知れない・・・。 読書に関しては、以前から活字離れの傾向にあり、昔の人間に比して読書量が少ないとの調査結果もある。 その傾向は子どもにも顕著に出ている。新聞を読まない若者が多くなったようだが、私には解せないことだ。私なぞ、休刊日ほどやるせない一日はない。幸いにもNetで情報を得ることができ安堵している。暇をもてあます人間ほどくだらないものはない。「小人、閑居して不善をなす」ではないが、「貧すれば鈍する」と相まって、犯罪が増えることが心配なご時世ともなっている。職を退いて久しく、自由な時間はほどほどにある。脳軟化に至る前に学びたいことも多くあるが、はてさて、どこまで続き・やれるやら・・・・・だ。


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2009.11.03
   EOSW   喫茶店「点描」・熟女6人連れの姦・姦会話パワーに圧倒される。大阪は凄いと聞くが、名古屋も凄い。
 午前9時過ぎ、隣市のK喫茶店に出かけた。毎度お馴染みの喫茶店である。駐車場は広いが8割方が埋まっていた。時間が時間であるのと駐車場の状態から客が多く、目的の新聞にありつけるかと心配しつつドアを開けて中に入った。 案の定、カウンター横のラックに新聞は全然なし・・。 週刊誌類は数冊残っていたが、こちらには全くの興味なし。仕方なく席に着こうとすると、顔なじみの某ウェートレス嬢と視線が合い、「やぁ、こんにちは」と声をかけると、ウェートレス嬢はにっこり微笑んで、「こんにちは」と挨拶を返した。

 席に着くと、若い男性のウェートレス氏が注文を聞きに来た。初めて見る顔だった。「ホットをお願いします」と言うと、無言で注文を受けつけ・無後で引き下がった。 こうした応対は余り経験したことはない。 無言での応対はやや失敬ではないかと思ったが、とやかく言うことでもあるまい・・・ と、ラックの方を見たが新聞は未だ一紙も戻っていなかった。 ・・・ やがてコーヒーが運ばれてきたが、運んできたのは別の女性のウェートレスだった。「お待ちどうさまでした」と声をかけ、テーブルに置いた。ごく当たり前のことだが、こうした「言葉かけ」が大事だ。改めて先の男性ウェートレスの無言応対には、少々の抵抗を感じた。

 しばらくすると熟年女性の一団が隣の席に座った。6人連れである。着席・注文をし終わると、声高で低劣な会話が飛び交った。互いに遠慮の要らない懇意な仲間同士だろうが、聞こえてくる名古屋弁丸出しの会話は、およそ上品とは程遠いものだった。「女三人寄ればかしましい」<やかましい・騒々しい>とは言うが、まさにその通りだ。「かしましい」とは「姦」と書くが、女を三つ組み合わせて「姦」と表現しているところ、誠に・・・妙を得たりだ。同じようなつくりで、「嬲」<男女男>っていう漢字もあるが、これは「なぶる」と読む。 意味は、手でもて遊ぶ・いじるという意味だが、男女男と横に組み合わせているから実に良くできているし、想像すると面白い。 やや意味深な漢字ともとれるが、広辞苑に 「なぶる」で出てくるから、遊び半分・悪戯感覚で作られた造語ではあるまい。他に、女男女を横に組み合わせている漢字もあるから、これは、女が男をもて遊ぶ・いじると言うことか・・・?これは造語かも知れないが・・・解らない。それにしても漢字の成り立ちは面白いものだ。
 さて、前記の熟年女性6人組・・・周囲の卑下する視線にも構わず、狡猾な会話は店内に響き一角を圧倒した。大阪のオバハンも凄いと聞くが、どうしてどうして 名古屋周辺のオバハンも相当なものだ。 熟女パワー会話の炸裂か・・・ 同年代かとも思われるが、熟し過ぎた女性<失礼>のパワーと強心臓には、我々男仲間では足元にも及ぶまいと思った。

 余りの喧騒ぶりに嫌気がさし、コーヒーを半分ほど残して席を立った。喫茶店にはいろいろな客が来る・・・。好きなコーヒーを静かに楽しむ人、客と大切な商談をする人、愛をささやきあう若い恋人どうし、新聞・雑誌を読む人・・その他喫茶店を利用する人は千差万別であるが、いずれの客も騒然とした雰囲気を好まないことで共通 ・一致しているであろう。我がもの顔で声高にしゃべったり、高笑いするのは基本的なマナーに欠けるというものだ。こうした客には、店側もそれとなく注意を促すべきだろう。カウンターで代金を支払ったが、顔見知りになった例のウェートレス嬢は、笑顔で 「ありがとうございました。ぜひまた来てくださいね」と、こぼれるような笑みで応対してくれた。あたたかみを感じた。ラックには、未だ一紙の新聞も戻っていなかった・・・。 


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2009.10.29
   EOSW   全く偶然だったが、小牧南高の創立30周年記念演奏会を聴かせてもらった。生オケに感動・魅了す。
 今日は、小牧市パソコン講座第3期第2回目の講座日であった。例によって8:50に自宅を出た。<講座は9:30からだが、指導準備等があるため、インストラクターは30分前に集合となっている>。 市民会館前へ来ると、会館入り口に、 「愛知県立小牧南高等学校創立30周年記念式典会場」と書かれた看板が立っていた。創立30周年記念式典があるとはまったくもって知らなかったわけだが、門内に入ると、大勢の高校生が噴水脇の広場に集まっていた。彼らを横目に駐車場へ車を進めたが、駐車場案内役の高校生に「来賓の方ですか・・・」と問われ、「違うよ」と返答すると、奥まった場所へ止めるよう指示された。 ここは従わざるを得ないと判断し誘導に従った。車から降りると、駐車場内にいた生徒たちから、「こんにちは・・・」と声をかけられた。ん・・ 見ず知らずの人間に積極的にあいさつするとは、なかなかよろしいではないか。 この日は「創立30周年」という特別の日、彼らなりに意識し・張り切っていただろう。高校生側からあいさつをされるとは予想もしていなかっただけに、驚き半分・感心半分といったところだった。「創立30周年おめでとう !!」と言ってやると、「ありがとうございます」と言葉が返ってきた。 いずれにせよ、今時の高校生にしては好感の持てる生徒たち・雰囲気を感じた。
 
小牧南高校の創立<開校>は1980年<S55年>だ。年ごとに違い・希少だが、東大・京大合格者を出すなど地方での進学校といってもよかろう。 開校された1980年当時、 私は市内K中学校の進路指導主事の職にあり、市内に2校めの県立普通高校が創立されるとあって、何かと新設校への生徒たちの進路指導に気を配ったものだ。あれからもう30年の星霜を経たのかと思うと、当時の幾つかが回想され、大げさだがいささか感ずるものがこみ上げてきた。

 さて、パソコン講座の方は例によって例の如くである。受講生は18名<PCが18台だから定員は18>。毎回希望が多く、抽選を行なわなければならない。人気があるのは、とにかく低料金で気軽に受講できる・駐車場が広く駐車に心配なし・・・といった理由からであろう。 講座によっても異なるが、私の担当している講座<3人のインストラクターで指導>の受講生は50代前後が中心で、特徴として女性が多い。 一回2時間単位で一講座全6回で終了<計12時間>のシステムとなっている。とにかく熱心で真剣、模範生ばかりである。一生懸命さがひしひしと伝わってくる。これこそ、教えがいがあるというものだ。

 PC講座は11:30過ぎに終了。帰途についたが、煙草を吸いたくなったので会館出入り口の喫煙コーナーへ。紫煙をくゆらせていると、会館内ロビーに設置されているモニターテレビに、会場内のオーケストラ演奏場面が映し出されているのに気づいた。会館内ロビーはひっそりと人影もなかったが、受付と書かれた机にいた一人の高校生に聞くと、創立30周年セレモニーが全て終わり、現在、「中部フィルハーモニー交響楽団」の記念演奏が行われていると話した。 ちょっと気になったので、高校生に了解を得てホールへ入った。ステージでは、すでにエルガー「威風堂々」・チャイコフスキー「弦楽セレナーデ第二楽章」の2曲は終わって、モーツアルトの「フィガロの結婚」の演奏真っ最中だった。 生徒・来賓・保護者たちで満席<総座席数1,344>の一階の最後尾の位置で立ったまま耳を傾けた。さすがにフルオーケストラだ。生の弦の音はしなやかに、時に激しく心を揺さぶり・美音を響かせた。・・・《私が生まれて初めて生のフルオケに出会ったのは大学2年の時だった。 当時、世界最高峰の指揮者=ヘルベルト・フォン・カラヤン率いるウイーン・フィルハーモニー管弦楽団が名古屋公演を行い、入場券モギリのアルバイトをした時に初めて体験した。その時、この世にこんなにも美しく幻想的な弦の音色があるものかと衝撃的だった。金管との絶妙に融和する輻湊的な音の重なりは心を捉えて放さなかった。感動とは、こういう現象を言うのだろう・・・ クラシックにのめりこんだのは、これが契機であり・これ以後のことである》
 

 アンダーソンの「クラリネットキャンディー」、コルサコフの「スペイン奇想曲」と続き、南高校吹奏楽部との共演に入った。見事な共演ぶりだった。素人の若い高校吹奏楽部員が、プロの一流交響楽団と合同演奏するわけだから大したものだ。 ミステークもなく演奏し、会場から大きな拍手がわきおこった。NHK「天地人のテーマ曲」他2曲を合同演奏した後、最後に同校の校歌が演奏された。生徒たちは全員起立で3番まで歌ったが、整然・堂々と歌ったのには感心させられた。同校の校歌を聞くのは初めてだったが、とてもいい曲だった。創立30周年記念式典日・会場とは知らずの遭遇だったが、思いがけなく生オケを堪能させてもらった。 会場を後にしながら、 受付係をしていた生徒に入場の了解をとりつけたものの、学校関係者・教職員等に入場の許可を得るべきだったと反省した。今日は、生オケの素晴らしさと南高生の溌剌さに出会えたよき日であった。 小牧南高校には今後の隆盛と発展を祈念、今後を期待したい。


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2009.10.27
   EOSW   カラスの「カー太郎」君、頭はいいが、善悪の判断なく困ったものだ。悪戯では済まされぬこともある。
 管理会社のHさんから、「GH Iのダストスペースをカラスが荒らしている・・ と連絡があった。すなわち、カラスがダストスペースの中に置かれたゴミ袋を突き、中の生ゴミを引っ張り出して食い荒らしているということだった。 ダストスペースは 幅2.2m・奥行き1.2mのコンクリート製で、この中に金属製の籠が2個 <可燃性/不燃性・その他が>入れてある <当HPの「建物外観・室内点描」ページ内Explanation に小写真あり>。カラスは、この金属製の籠の隙間からくちばしを入れて中のゴミ袋をつついて穴をあけ、中の生ゴミをあさり周辺に散乱させるわけだ。籠の隙間は4.5cm。したがってカラスがくちばしを入れるのは簡単にできよう。最良の手のかからぬ防御方法はないものかと思案したものの、結局は籠前面に金網を張るという結論に至った。憎っくきカラスめ !! ・・ と言ったところだが、ヤンヌルカナ・・・である。それにしても、とんだ厄介仕事と相成った。
 
 カラスの性癖なるものを逆手にとって撃退できないものかと思い、習性を調べたら、 なかなかの知恵者・悪達者であることがわかった。カラスは全国いたるところで日常的に見られるが、我が国では、ハシブトカラス・ハシボソカラスの2種類が主という。雑食性で貪欲にあらゆるものを食用にするそうだ。動物の死骸にも群れるというから不気味でもある。都市部では食物を得るためゴミ集積場を荒らすという行動や、農耕地では果樹を食害するという行動が全国的に話題・問題になっているのは承知の事実だ。ハシブトカラスがローソクや石鹸を盗み出す姿が目撃されニュースにもなったが、 これはカラスが脂身を好むからだというが、果たしてそうなのか・・・? これはちと疑わしい。とった食物を物陰に隠し、後で食べるという貯食行動も行うという。山鳥の一種<モズなど>は、
捕らえた虫 ・カエルなどを小枝に突き刺して保存食にする習性があるが、これに類似した行為だろう。一夫一婦制で協力して子育てをし、巣は樹上に小枝を組んで作るが、最近では電柱や看板などに営巣することもあり問題になっているようだ。巣は針金・プラスチックなど様々なものを組み合わせて作る。縄張り意識が強く、不用意に巣に近づいた人間や動物を襲うという危険かつ獰猛な行動をとることがある。たかがカラスといって侮れない鳥である。

 鳥類の中では最も知能が発達しているとされ、仲間と協力したり・連携をとったり・鳴き声で互いに意思疎通を行っていることが知られ、遊戯行動をとることも観察されている。 人間の固体を見分けて記憶したり、 植物・哺乳類・鳥類などを区別して認識できるといわれている。ハシボソカラスが道路にクルミを置き、自動車にひかせて殻を割るという行動が、仙台市青葉山をはしめ全国いたるところで報告され、かってその様子がTVで紹介されたことがある。これはカラスの知能が非常に高いことの証左である。ここに面白い実話がある。1996年、神奈川県で鉄道のレール上にハシボソカラスが石を置くという事件が頻発した。「JRに巣を撤去されたことに対する復讐として列車を転覆させようとした」・・と、奇想天外のミステリー推察話が話題となったそうだ。この話は後に、まったくの事実誤認とわかったそうだが、まことしやかに巷に流言が飛び交ったのは、それほどカラスが人間並みの能力・行動力を有しているからであろう。 一瞬、1963年のアメリカ映画/ ヒッチコック監督の「The Birds」を思い出したが、大群となった鳥が人間に襲いかかる状況は非現実的な面もあるが、それがホラーに留まらず、今後に必ずしも皆無とは言いきれないだろう。「熊だってエサが無くなりゃあ山を降りる」の言葉が現実で、飢餓に追い込まれた後の状況は予測できないものがある。
 
 カラスのように、それほど高能力と優れた習性を持っている動物なら、これを飼い慣らし、人間サイドにうまく利用することはできないか・ カラス以外の鳥害も多い。 群れをなす鳩・鵜などによる糞害は相当なものだが、鳩・鵜などは一方で一部の人間にだがその特質を有効活用されている。活用とて特定かつ微々たるものだが、今のところカラスの「カー太郎」君は悪役に終始し人間様に嫌われている。悪役君をこれ以上のさばらせず、悪戯<いたずら>制御に人間が知恵を絞らねばなるまい。ここは動物愛護から少し離れて、部分淘汰が必要になってくるかも知れない。いつまでも、被害を受け続けていては ちと情けない・・・。 


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2009.10.21
   EOSW  「吾輩は猫である」のモデル猫の死 漱石自筆の「死亡通知」葉書が公開された。一見したいが無理。残念。
 小説「吾輩は猫である」は、漱石が文豪と称せられるに至った処女作であることは間違いないだろう。漱石がこの作品を発表したのが明治38年(1905年)である。その前年・1904年の夏に自宅に迷い込んできた猫がいた。 夫人が何度も追い出したがしつこく戻ってきたため、結局、最終的に漱石の判断で家で飼うことにしたという。 この猫が「吾輩は猫である」のモデルになったのは周知の事実である。小説は、英語教師の苦沙弥先生(漱石)の家に飼われている猫である「吾輩」(即ち、漱石家に迷い込んだ野良猫? )の視点から、苦沙弥先生の一家や、そこに集う友人や門下の書生たちの人間模様を風刺的に描いた内容である。モデルとなった猫が死んだのは1908年だから、処女作発表の3年後である。 猫の死後、漱石自ら自宅庭に埋葬し、角柱に 「猫の墓」と書いて墓にたてたという。 普通は、「○○の墓」と名前を刻むものだが、ただ「猫の墓」としただけだから名前は付けられていなかっただろう。 これは、小説の冒頭部分の、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか とんと見当がつかぬ。・・・」 という書き出しでも見当がつく。

 だとすると、この猫、漱石夫婦に疎んじられていたかというと、そうではなさそうだ。生来「猫嫌い」のようだった鏡夫人だが、やがて、ある人からその猫が「福猫」と聞いて以来、その猫を可愛がるようになったという。一方、漱石自身はどうであったかは定かでない。が、少なくとも、「野良猫・?」を不憫に思い・慈しみ・深い愛情を持って接していたように思われる。その証拠に、「猫の死亡通知」として弟子たちに葉書を出していることから察せられる。

 このほど、当時弟子だった野上豊一郎(英文学者)に出した「猫の死亡通知」なる漱石自筆の葉書が、鹿児島県薩摩川市内の「川内まごころ文学館」で公開された。 葉書の文面は、「久々病気の処、療養不相叶<かなわず>、昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイの上にて逝去致候<いたしそうろう> 車屋をたのみ蜜柑<みかん>箱へ入れて裏の庭先にて執行仕候<つかまつりそうろう> 主人『三四郎』執筆中につき、御会葬には及び不申候<もうさずそうろう>」となっている。 これで全文である。可愛がり・家族同様に育てていた猫や犬が亡くなった場合、その悲しみは相当なものがあり、親しい人に 経緯結果等を話すこともあるが、漱石のように「御会葬には及び不申候(もうさずそうろう)」などと書面をもって知らせることはまずなかろう。この辺の表現が何とも妙味があり・実に面白い。漱石の人間性やユーモア感が如実に筆致に出ている。 しかも、それが自然体に表現されているから、一読した後、思わず口元が緩むことになるのである。 こうした作風は、 漱石小説の中ではやや異色と評される「坊ちゃん」にも見られ、痛快で軽妙洒脱な書き出しは、読むものを捕らえて離さない。まさに「舌をまく」表現と言えるだろう。

 新聞報道の写真を見ると、実に達筆だ。昔の人間はおしなべて字がうまい。何といっても墨書での候文に惹かれる。私は候文が好きだ。が、悲しいかな自分では書くことができない。毛筆も駄目である。巻紙にサラサラと筆で書くことができたら・・ と思うことがあるが、とても・とてもの夢物語だ。小さな葉書の枠内に表現された漱石の文章は一行の無駄もない。4Wが確実に記され、簡潔明瞭に事の全貌を伝えている。 見事と言うほかない。この葉書の内容は、角川書店の漱石全集などに収められ、活字化されていることで衆目にふれているが、漱石自筆の葉書となると随分 趣が違ってくる。 いちど、漱石自筆の原稿を見てみたいものだが、弟子たちに出した葉書の方が漱石の人間味が出ていて興味があり魅力たっぷりだ。 だが、南の鹿児島はあまりに遠すぎる。それも公開は11/23までとなっている。あきらめるより仕方がなかろう・・・。残念無念の境地なり。



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2009.10.10
   EOSW   大阪府・橋下知事が激怒した。今やメール全盛時代だが、事と内容によっては おかしなことにもなる。  
 10/9の朝日夕刊に、「橋下知事、職員の反論メールに激怒」の見出しで記事が出た。メールの内容概略は、利水からの撤退によって大阪府の損失が386億円となった紀の川大堰をめぐって、議会で淡々と説明するだけだった府幹部について、「何事もなかったかのよう。給料が保障される組織は恐ろしい・・・」としたものだ。これに対して職員の一人が、「責任は(投資を)決断した人にある。こんな感覚の人が知事である方が恐ろしい」と返信、「愚痴は自分のブログで行ってください。メールを読む時間×全職員の時間を無駄にしていることを自覚してください・・」と たしなめたという。 府知事は激怒し、この職員と直属の上司を府の内規に基づき、「厳重注意」し、「トップとして厳重に注意する。言い分があるなら知事室にくるように・」と返信したところ、職員は「公務をどけてでもお邪魔します」と応酬したという

 官公庁や自治体組織内で、トップや幹部連中と職員との間で、あつれきやいさかいなどは 日常的にあることで特に珍しいことでもない。ましてや、ニュース<活字や映像> となって外へ出ることもない。 が、今回の騒動は橋下知事自ら報道陣を集め、事の発端から進展 ・処分内容について一部始終を公開したというから、よほど腹にすえかねてのことだろう。しかし、記事を読みながら、その構図の滑稽さに唖然とした。
 この橋下知事、弁護士としてスタートしたが、芸能界に奇遇あってタレント稼業にも足をつっこんだ。後に、大阪府知事選に打って出たが、府民の多くは、「弁護士+タレント」の意外性に「大阪の未来の政治を託す」という選択を選んだ。 この異色知事、タレント出らしく就任直後からヤンチャぶりを発揮しやや危ない部分もあったが、最近ではどうにか様になり、行政にも手腕を発揮してきたようだった。特に、中央集権に対して「地方分権」を強く主張し、中央政府に噛みつき・敢然と戦う姿勢を示し、気骨あるところを見せていた。この知事、タレント稼業で身に着けたのか、メディアを最大限に利用し・特にTV を活用して全国ネットで自己PR をすることが実にうまい。今まで事あるたびにこの手を使い、常套手段でもあった。それは今回の件でも然りだ。

 知事の、「給料が保障される組織は恐ろしい」とのメール発言は、「そのとおり」と同調するむきもあろう。どんなに不景気でも・・倒産・首切りの心配なし、給料・ボーナスの確実・完全支給、利益追求の生き残りをかけるような競争原理なし・・・等々の、いわゆる「無感覚のぬるま湯思考/行動」・「親方日の丸」の体質を有する府幹部・職員への「そうであってはならない」とする警鐘であったろう。だが、そうであったら幹部会等で知事としての所感を述べ、「こうあるべきだ」と厳重に指導の徹底をすべきだ。 連絡事項のような感覚でメールで流すことではなかろう。返信をした職員には知事室へ呼び出し、厳格に説諭すべきだ。「言い分があるなら知事室に来るように」などと送信する内容と感覚には驚くばかりだ。トップがトップなら、部下の職員も職員だ。「メールを読むのは時間の無駄」・「公務をどけてでもお邪魔します」 と、ふざけた内容に近い返信内容にも仰天だ。 これではまるで子どものけんかではないか。呆れてものも言えない。

 この職員、知事に対して極めて無礼なメールを送り、見識さらに人格までを疑う部分もあるが、このたぐいの人間は希少だがいるものだ。知事は府の最高責任者・トップの存在だ。そのあたりの自覚・心得があれば、こんな無様な形にはしなかった筈だ。知事は例の常套手段を使って、 自己の正当性をアピールし、世間の味方を引きつけたと溜飲が下がったかも知れないが、おっとどっこい・・・普通なら、この事実関係の新聞記事を読んで、単純には受け止められないだろう。 私の目には、「みっともない」と映ったし、読み終わった直後は苦笑するばかりだった・・・。


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2009.10.09
   EOSW  怖いもの、それは「地震・雷・火事そして台風」。今時の若い親父は権威失墜。親父を台風に入れ替えた。
 「台風」は怖い。特に、私個人にとっては極めて恐ろしい存在だ。それは、今からちょうど50年前に、「伊勢湾台風」<1959/09>を経験しているからだ。想像を絶する凶暴で強烈な風と雨が猛威をふるった。全犠牲者5,098人(死者4,697人・行方不明者401人)、うち愛知県で3,351人(うち名古屋市1,909人)、三重県1,211人という数に至った。この台風の負傷者は、紀伊半島東岸の2県に集中し、全部で38,921人を数えた。全壊家屋36,135棟・半壊家屋113,052棟、流失家屋4,703棟、床上浸水157,858棟、大小船舶の被害13,759隻に達し、被災者数は全国で約 153万人に及ぶという空前の数字となった。うち、三重県は約32万人、愛知県は約79万人であった。勿論、家屋だけではない。道路・鉄道・ライフラインに壊滅的な損壊を与え、農作物を全滅に至らしめた。すべてに大打撃を与えたと言ったら言い過ぎ・極論になるかも知れない・・。 まさに、未曾有とも言える大災害となったわけだ。大殺人鬼・大破壊者と化した「台風の威力の凄さ」をまざまざと体験したが、見たまま感じたままの事実・恐怖心は、 簡単に筆舌に尽くせるものではない。 あの忌わしき・この世の地獄かと錯覚するほどの惨状・光景は未だに脳裏から離れない。

 そして今回の18号台風だ・・。 「非常に強い」・「伊勢湾台風クラス」との活字を見るたびに、数日前から恐れに恐れた。中心気圧945~950ヘクトパスカル・中心付近の最大風速は40~45m ・瞬間最大風速60mという数字は、「伊勢湾台風」を想起させるに十分な数字・規模だった。最も身を縮ませたのが、コースが「伊勢湾台風」に酷似し、伊勢湾・名古屋港の満潮時に重なるという情報だった。まさに「悪夢の再来」ではないか・・・。 当然にして対策をとったが、万全を期すといっても、できることは知れている。屋根の点検と補修 ・風による倒壊の心配あるものの固定と室内への取り込み・樹木等をロープで縛る・サッシドアや窓を確実に固定・施錠する・・・この程度だ。築45年の老朽化した家屋は、完全耐震・耐風完備を誇る新築家屋とは比べものにならない脆さが潜み、大きな不安と焦燥 ・捨て身の覚悟で大型台風を迎え撃つことになる。 各メディアは「危険が迫ったら早めの避難を・」と繰り返すが、最後はやはりそれしかないだろう

 徹夜を覚悟し、前夜から満を持してNHKテレビの台風情報にかじりついた。さすがNHKだ。間断なく情報を伝えてくれる。やは
り「伊勢湾台風」に近いコースをたどるようだ。午前5時過ぎ、「愛知県知多半島に上陸・・」とアナウンサーが伝えると一瞬、体が強張った。しばらくして中部国際空港で瞬間最大風速44mを記録・・・とのテロップが流れる。予想どおりの「非常に強い」台風だ。応接間のカーテン越しに庭を覗くと、庭の植木がちぎれんばかりに大揺れしている。相当な風量・風圧だ。 ところが、意外に余り外の強烈な風音は室内に伝わってこない。 ガラス戸を叩きつける雨音はするが、ガラス戸のガタガタ音もしない。「伊勢湾台風」はこんなもんじゃなかった。 あの時は、風でガラス戸がガタガタと音をたて室内側に大きく湾曲した。いつ破られるか生きた心地はしなかった。破られまいと畳を上げてこれを窓にあてがい、必死になって押さえたものだ・・・。あれは50年前、そういえばガラス戸は木枠でガラスも薄かった。 今では頑丈な金属製の枠に厚手のガラスが入っている。時を経て、こんなところにも建築の技術の粋が生かされてきていることに改めて気づくと共に、これなら大丈夫と不安が安堵に変わった。

 こんな経緯を経て午前7時過ぎに台風が過ぎ去ったが、まったくの拍子抜けというか、嬉しい結果に終わった。最悪の最悪を覚悟していたが、我が家では被害0 だった。東海3県を含め、全国的には大きな被害も出ているが、「伊勢湾台風」クラスと言われ、上陸後も勢力衰えず列島をほぼ縦断する形で通り過ぎたが、比較して被害の程度は格段の差があった(今回の18号は死者4名・行方不明者0・けが人117名。床上・床下浸水1100棟)。 台風探知と進路予想の科学的技術力向上と的確な情報伝達、台風への万全な準備態勢の啓発、早めの避難の周知徹底と啓蒙等が図られたことに加えて、自然の脅威に対する建築技術上の対策等が、功を奏しているのは間違いなかろう。特に今回は地方自治体と気象台が神経を尖らせ、早くから即応体制を敷いたのが目についた。今回当地方は、予想コースよりやや東よりにずれたこと・満潮時間の前に上陸したことが最も大きく幸いした。台風は発生直後から確実な情報が流され、規模の大きさや変化・予想進路や到達日時等がリアルタイムで報道される。したがって、迎える準備と心構えに幾らかの余裕が出来る。ところが、地震は、「どれくらいの規模で・何時くるか」・・ が分らないから困り者だ。その意味で、今、最も凶暴な不意の訪問者かも知れない。我が家には必要だが、「耐震補強工事」はしていない。無念だが、今のところ最善の方法が見つからないでいる。・・・・と言っているうちに、無法者はやって来るかも知れない・・・・・。


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2009.10.05
   EOSW   愚息夫婦・遠方より来る。「酒は飲むべし飲むべからず」とは言うものの、一献傾けるはこれ楽しみなり。
 東京に住んでいる愚息夫婦が、「二人共に休みが取れたので10/1 に日帰りする」と電話をよこしたのが9月中旬だった。11月下旬に私たち老夫婦と愚息夫婦の四人で伊勢・志摩への一泊旅行を予定しているが、そのことについても話をしたいというわけだ。二人が帰ってくるのは大歓迎だ。 私にとっての楽しみは、愚息夫婦と一献傾けることだ。 私は酒好きだが愚息も私と同類だ。私は焼酎・愚息はビール党。 幸いと言うか、嫁っ子がビール大好き人間で、会話を交わしつつ最後まで付き合ってくれることが嬉しい。嫁として我が細君に気に入られ申し分なしだ。 何と言っても、本人同士仲のいいのがよろしい・・・。これが一番。
 11時過ぎから細君が作ってくれる肴で飲み始め、新幹線乗車時間を逆算・勘案しての4時過ぎまで飲んでいたから、5時間ほど飲み続けたわけだ。この日が特別ではなく、この傾向が「依って件(くだん)の如し」である。いつもだと私が途中でダウンし寝床へ転がり込むが、この日は何故か最後まで長持ちし、帰り際は門先まで見送ることができた。 今回だけは、どうやら親父の体面を保てたようだ。

 横道にそれるが、次は、会社帰りの赤提灯で先輩課長代理氏が、コップ酒片手に、新入社員の後輩に 「酒の飲み方を指南する」場面の一人芝居の一コマである。この課長代理氏、幾多の艱難辛苦を乗り越え課長代理職を得た苦労人である。 酒好きで「ほろよい峠」にさしかかると、きまって江戸っ子「べらんめぇ口調」に拍車がかかり、口角泡を飛ばしてまくしたてるのである。

 『・・おれたちゃ互げぇに「酒なくて何の己が桜かな」てぇところだが、酒は飲んでも「鯨飲馬食」はいけねぇよ。 「人酒を飲む 酒酒を飲む 酒人を飲む」てぇ言葉もあるが、「酒に飲まれる」てぇのと同じだな。これなんざぁ、酒飲みの風上には置けねぇ野郎だ。「酒が酒を飲む」てぇ言葉もあるが、馬鹿飲み・はしごをして、つぶれてしまうのは愚の骨頂よ。「酒極まって乱となる」となっちゃあ始末が悪い。 酔いがまわって喧嘩騒ぎをする奴は最低だ。「下戸の肴荒らし」もよくねぇな。 おれのオッカアがそうだが、あれはみっともなくていけねぇ。「酒は三献(さんこん)に限る」てぇ言うが、これぐらいで止めるのがいいってことよ。 だが、そうはいかねぇのが酒だ。 「手酌貧乏」もたまにゃあいいが、 「酒は燗・肴は刺身・酌はたぼ」てんで、酒の酌はやっぱり若くて別嬪(べっぴん)に限るわなぁ。「冷酒と親の意見は後できく」って言うが、若いときゃあ、親の言うことが耳に入らねぇから困ったもんだ。ま、「親孝行したい頃には親はなし」となるのが定石よ。みつくろって少々話したが、最後に 「酒飲みは左党」てぇ言うが、なんで酒飲みが左か、おめぇわかるかい。 それはだなぁ、でぇく(大工)はふつう左手にノミを持つだろう。 だから、左手を「ノミの手」と呼んだことから「飲み手」、即ち、左党となったんよ・・・。』

 数々の酒にまつわる人生経験を持つ課長代理氏だ。なるほど、おっしゃる通りごもっともな話だ。酒は良くも悪くも人間を変える。ところが、酒が完全に精神・神経麻痺剤に取って代わるとちょっと厄介になる。人間、「無くて七癖」と言うが、これは個人の人間的なパーソナリティの側面に繋がるから面白い。が、「酒の七癖」となると、総じてだが、周囲の者を渋面に至らしめ・嫌悪感を抱かせ、時には取り返しのつかない一大事となることもあり、困りものだ。 「七人の侍」島田勘兵衛が発した、「侍は、酔っても酔いはせぬ」・・・のセリフが強く印象に残っているが、「酔っても・酔わない」とは酒の極意かも知れない。これは極めて難題となるが、「酒飲み」には心すべき言葉に響く・・・。

 いみじくも今朝の朝刊各紙トップに、「中川元財務相、急死・56歳 東京・自宅の寝室で」の大きな活字が並んだ。 死因は一部に「循環器系の異常か?」 との報道もあるが、現在のところ断定されるに至らずだ。中川氏については、2月のG7終了後の「もうろう会見」で強く批判され、 繰り返し釈明したものの、 一国の主要国務大臣にあるまじき行為とメディアは許さず、辞任に追い込まれた。先の衆議院選挙では断酒宣言をし、雪辱を期して果敢に挑戦したが結果として落選となった。 中川氏の場合は、「酔っても・酔わない」ではなく、「飲みたくても・飲んではならない」立場であり、状況だったはずだ。 飲酒が常習化していたとの指摘もあるようだ。いずれにせよ、「酒」の悪の面の作用が人間を狂わせる結果となった。「飲みたくても・飲んではならない」TPOがあることも自戒したい・・・。中川氏のご冥福を祈る。


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2009.09.28
   EOSW   公務員・医師・弁護士等の特定者が職務上知った秘密を守るべき法律上の義務が 「守秘義務」だ
 こんな小話がある。「君、この秘密を守れるかね・・・? 」 「もちろん、でも次の人が守れるかな・・・?」。何とも傑作な話だ。笑ってしまう。だが、これが守秘義務が課せられた職種・立場の人間だと一大事ということになる。
 
 つい先日、2005年の尼崎JR脱線事故で、国交省航空・鉄道事故調査委員会の山口元委員が、こともあろうに公表前の最終報告書のコピーを山崎JR西日本前社長に渡し、 さらに数回にわたって飲食を共にしながら求められるままに、禁断の情報を提供したことで大問題になった。 運輸安全委の設置法には漏洩に対する罰則規定はないものの、 守秘義務を課しているからだ。前原国交相は、「れっきとした法律違反で言語道断の許し難い行為・」と語り、再発防止のために罰則規定新設を検討する考えを示した。 ところが、26日になって、朝日が「別の事故調委員にも接触」との見出しで新たな事実を報道した。新たに分かったのは、当時の国交省航空 ・鉄道事故調査委員会の鉄道部会長だった佐藤元委員が、約10回にわたってJR西日本の鈴木東京本部副部長に接触したという。 こうした場合の多くは「金」が動くが、真相は現段階では分っていない。食事代や手土産代だけで済んでいるとは到底思えない・・・。断じて許されない話だが、JRの組織幹部たちが情報収集活動に血眼になっていたことをうかがわせる。 鉄道事故として未曾有の大惨事 (死者107名・負傷者562名) になったが、これでは残された遺族や未だに後遺症などで苦しむ人たちを怒らせ・悲痛な境地におとしめることになる。 今後、真相究明の徹底的な調査と、再発防止のための厳重なる罰則規定新設の検討が急がれる・・・。

  今日、車の12か月点検の案内がきていたので出かけた。車の調子そのものは良く、点検を受ける必要も無かったが、無料であるため点検をしてもらうことにした。私が車を購入したのは隣のK市にあるディーラーだ。 午後 1 時の指定に従い納車。 点検は
1時間ちょっとで終わった。異常箇所なし。担当者は、チェック項目ごとに点検結果を詳細に説明してくれた。そして 「チェック項目にはありませんが、タイヤローテーション交換をしておきました」と言った。これはまったく予想外で、嬉しいサービスだった。 サービスとはこうあってほしいものだ。
 
 帰り際に喫茶店に寄ったが、ここで、あらぬ状況に遭遇した。 店の奥まった席に着いてコーヒーを注文して新聞に目をやっていた時、隣の席に女性客二人が座った。女性客は若く、端正・小奇麗な身なりを装っていた。 若い二人は親密に話を交わしていたが、会話の内容から教員であることはすぐに認識できた。おかしいな今日は月曜日、こんな時間に喫茶店・・・? といぶかったが、先週土曜日が運動会で今日はその代休日だと気づいて納得した。他人の話を盗み聞きするような卑劣・悪趣味は無いが、隣の席で店内が静かであったため、自然と話の一部始終がほぼ聞き取れる状況だった・・・。
 それは、 ある特定児童の名を挙げ・不遇な家庭環境と成績不振を指摘し・原因は子どもの育て方に問題があると断言し、親を痛烈に批判する内容だった。これはまずい・・・と瞬時に思った。教員とは、職務上、子どもとその親・家庭環境などに関わるいろいろな情報を手にしている。 当然にして、教育公務員には知り得た秘密・情報を他に漏らしてはならない守秘義務が課せられている。ところが、不特定多数が集まっている場所で知らず知らずのうちに他人に情報を漏らすという掟を犯しているわけだ。一瞬、反射的に制止・諌めるべきかと思ったが、 関係なき赤の他人・・と、思いとどまった。教職員には、退職後も守秘義務がついてまわる。これは当然だろう。十分に心すべきことと自戒の念を持った・・・。


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2009.09.25
   EOSW   作曲家岡氏、「僕くらい頭の悪い人間はいない」と言うが、苦労人の仕事はエクセレントで心揺さぶる。
 「ど演歌 『浪花の恋しぐれ』などで知られる作曲家・岡千秋さんがかって、アエラで語っていた。 『僕くらい頭の悪い人間はいない。人が100人もいない瀬戸内の小島で、通知表は 1 ばかりですよ。でも例外があって、音楽と体育だけは 5 でした』」と・・・これは過日の朝日「天声人語」の冒頭部分である。岡千秋氏は1950年生まれの現59歳。日本を代表する流行歌の作曲家である。今まで歌手としても活躍しており、演歌歌手の都はるみとのデュエット曲 「浪花恋しぐれ」は、岡氏独特の低音しゃがれ声が、都の艶ある美声とからまって絶妙な演歌に仕上がり、空前の大ヒットを記録した。各種の歌謡大会などで審査員を歴任し、軽妙な語り口・トークで親しまれてきた。現在、日本大衆音楽文化協会の理事の大役も努めている。

 岡氏の生まれ育ちは瀬戸内海 (岡山県和気郡日生町鴻島) の小さな島だ。電気もガスも水道も無く、勿論テレビも無い環境だった。貧しい家計・親を助けて働きずくめの生活だったようだ。勉強はあまり好きではなかったらしい。 彼を引き付けたのはラジオから流れてくる三橋美智也の演歌だったという。「頭が悪く・勉強もできないから・・・好きな歌に打ち込み将来は大演歌歌手になりたい」・・これが岡氏の原点・源流だったようだ。中卒後に大阪・和歌山を経て東京へ至る演歌歌手目指しての苦難と放浪の波乱万丈の修行の旅が始まった。が、途中、演歌歌手から作曲家に転身し、苦節十年余に独自の岡メロディーを創り上げ、今日の演歌界の作曲家として登りつめた。 岡氏は、自分の歌づくりの原点が昭和55年に村田英雄のために書いた曲 「夫婦酒」 だと言う。 わずか5分程で書き上げたそうだが、曲ができた時 「これこそ、今まで僕が探し続け・求めてきた旋律・リズムメロディーだ」 と感じたと言う。 たった5分で書き上げた曲だが、 実はこれには10年と5分かかった曲だと語っている。10年とは余りに長すぎて誇張かと疑われる歳月だが、 これは、彼の曲に対する幾星霜の曲想の練り上げと葛藤の末の執念を形づくった積年の結晶であろう。岡氏はこの曲で今までの殻を破り自分自身一本立ちできたと述懐している。

 岡氏が語る「生い立ち」の内容は事実だろう。芸能音楽界で一流の作曲家として君臨する人物なら、過去の恥部・・・貧困の家庭環境であったことや成績が振るわなかったこと等は表に出したくないし・他から暴露されたくもない。隠しておきたいのが通常の人間心理だ。自分の欠点をさらけ出し、「僕くらい頭の悪い人間はいない ・通知表は 1 ばかり」と語るそんな赤裸々な姿に、あの飄々とした山谷のオッサン連中に似たのっぺらチョビヒゲ面の風貌に生の人間味を感じ、一種の親近感を感じさせる・・・。岡氏の飾らぬ自然体と謙遜さこそ本物の人間の美徳に相当するだろう。 オール1 に近い成績だったかも知れないが、音楽と体育は5 だったと言う。これは立派ではないか・・・凄いと思う。評価5 なぞは余程の能力・頑張りがなければ取れない。 相対評価5段階での5 は全体の1割である。 演歌の世界で、美空ひばり・村田英雄・五木ひろし・小林幸子・神野美伽を初め、名だたる数々の演歌界大歌手に数々のヒット曲を世に出させ、作曲家・岡千秋の名を世に知らしめているのは、その持って生まれた天性の才覚が結実したものであろう。しかし、天性だけでは作曲家として大成するものではない。 岡氏は詳細を語っていないが、過去に並ならぬ苦労をし辛酸を舐めたに違いない。それを不断の努力で補ってきたであろうことは想像に難くない。

 偉人伝とは大方、経済的家計困窮の劣悪環境だったり、 経済的理由により勉学の志もままならぬ逆境にあったとの列記が多いが、まさに岡氏も同列で苦労人だ。苦労人の仕事はやはり質が違う。前述の10年プラス5分の仕事は、安易な流れに妥協を許さず、納得に至るまで練り上げ・苦闘して創り上げた曲は岡氏ならではの苦労人の労作だ。 曲を聴けばその値打ちが伝わってくる。それこそ、「いい仕事をしてますねぇ・・」 となる傑作だ。岡氏は職人気質の作曲家だ。だから、大衆を引きつけ・私のような時代錯誤の人間を唸らせる曲に仕上げるのだろう。今後の更なる活躍と名曲の誕生を期待したい・・。


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2009.09.22
   EOSW   民主中心の新連立政権誕生。だが しかし、「危うさが見え隠れする連立政権・・・」と言うべきだろう。
 炎暑の夏も過ぎ、ここへ来て朝夕はめっきり過ごしやすくなった。しばらくぶりの書きこみと相成った。

 第45回衆議院議員選挙(総選挙)の投開票が去る8月30日に行われ、全480議席(小選挙区300 ・比例代表180 )のうち、民主が一党だけで過半数(241議席)を大きく上回る308議席を獲得した。 事前の各メディア等が実施したアンケートは、軒並み民主の大勝を報じていたが、結果的に予想通りとなった。しかし、衆議院での単独過半数となる劇的ともいえる308議席を獲得したといっても、参議院では単独での過半数を持っていない。しかも、衆議院の議席数は、前自公連立のように衆議院の3分の2に満たないため、ねじれ・混乱状態になった場合、衆議院での再議決もできないという厳しい議会運営を迫られるのが現実である。政権交代を果たしたものの、民主一党では参議院で過半数に達せず、社民・国民新との連立を組まざるを得ない状況になっている。


 ところが、その連立相手の社民が自分たちの存在意義を示すため、外交や憲法問題においてかなり強引な主義・主張をし始めている。 国民新もまた、郵政民営化の凍結を求めるなど自党の主張を強めており、連立の手かせ足かせとなることが懸念されている。国民から大きく支持されているとは思えないこの二つの政党に細心の配慮しつつ、難題の要求を受け入れてまで連立に固執することが、民主として正しい選択といえるかどうか。少なくとも、国民の関心・世論調査などを見ていると、社民の主張も、国民新の主張も少数党の存亡を賭けたあがきとしか映らない。サバイバル然とした叫びにも聞こえてくる。 まさに生き残り必死の体である。 それなのに、まず連立ありきの姿勢で、二党の党利党略的な要求を呑んでまで連立することが、民主を支持した国民の期待に応えることになるのだろうか。社民の自衛隊の海外での活動を即時中止して撤退することを民主が公約にしていたのなら、それは問題ないだろう。 郵政民営化の凍結を民主が公約にしていたのならそれも問題なかろう。読む限りにおいては、民主のマニフェストにはそこまで踏み込んでは書いていない。国民が今回の選挙で求めた変化は、そういう分野のテーマではないはずだ。そのことを民主はよく考えて主導権をとるべきだ。 それが国民の支持を得続けることになるのではないか。 今まで日本は選挙によって政権交代がなかった。 初めて国民の意思で政権交代ができたが、それは民主の勝利ではなく、「国民の選択の結果」がもたらした淡く期待する一つの現象でしかない。各種世論調査にも見られるように、「自民にはうんざり・期待できない。この際、民主に一度やらせてみよう・・・」という、消極的選択をした結果だと受け止めるべきだ。政権交代と驚喜する民主陣営が冷静にこの辺の分析力を持たないと、当面の次参議院戦で国民は厳正なる審判をくだし、大敗北という憂き目を見ることは間違いなしだ。 その前に、連立の内紛による軋轢によって亀裂が生じるのは火を見るより明らかだ。 危うさが見え隠れする新連立政権の前途に予断は許さないだろう。ただ新政権発足スタート直後だ・・・しばし、その動向を見極めることが必要であろう・・・。

 それにしても、まか不思議なことが起った。このほど衆院選で当選した全議員480人に給与が支給された。その額は議員一人当たり「約230万円」(歳費+文書通信交通滞在費)で総額「約11億円」という。 内訳は、歳費(給与)で1人あたり月額130万1千円(地方議員の給与は議員報酬)。
文書通信・交通滞在費・・・公的な文書の発送費、通信費、交通費、滞在費をまかなうために支給される経費(非課税かつ報告義務もない)で月額100万円・・・。 要するに、わずか2日間で給料・230万円が支払われたということだ。見識ある民主議員から 「これでは国民が納得しないのではないか・・・」という声もあがったようだが、返納すれば公選法違反にあたるということで、議員は受け取るしかなかったという。国民感情からすれば、「2日間で給料が230万とは実にけしからん・」 となるのが当然だ。 月額と考えれば納得できないこともないが、こういう場合は"日割り支給"にし、少しでも国民からの不満の声が出ないようにできないものだろうか。 返納すれば公選法違反というのもおかしな話だ。だが、改正すべきだと民主からの意見も聞かれることなく落着のようだ。 「国民の生活が第一」と豪語する民主なら、ここはまず国民感情を汲み取り・国民サイドに立ってノロシを上げ、改革への道筋をつける動きが大切だ。 2009年6月に公開された 「国会議員の2008年の年間所得や資産の増減に関する報告書」によると、平均所得は、衆院議員は2,590万円、参院議員は2,271万円である。国民の平均的庶民所得とはかけ離れた金額だ。政治家として庶民の生活を常に慮ってほしいものだ。国民への感情移入が大切だ・・・。


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2009.08.07

   EOSW  我が国初の「裁判員裁判」が行われた。おおむね成功したというものの、ノープロブレムとはいかない。 
 我が国初で国民的関心を集めた「裁判員裁判」が、8/6判決公判で殺人罪に問われたF被告に対して懲役15年の判決を言い渡した。 この裁判は、刑事司法歴史に新たな1ページを加えるものとして注目を浴びたが、地方裁判所で行われる刑事裁判の一部に国民の中から選任された6人の裁判員が、3人の裁判官と共に刑事裁判の審理に出席し、証拠調べ手続や弁論手続に立ち会った上で評議を行い判決(有罪・無罪、刑・量刑)を宣告するまでを担当するものとして、この制度が広く国民に知らされるや、国民の関心も極めて高いものとなった。

 この裁判については各放送メディアも重視し、NHKなどは「同時進行」なる時間ごとの聞きなれぬ報道体制を敷いたのは驚きだった。各紙とも4日間にわたって朝・夕刊にトップ記事の扱いをしてきた。 連日、これだけの情報が伝えられれば 国民の関心の高まりも当然の理となろう。そもそも・・ 「裁判員裁判」のねらいは、▼裁判を身近なものに▼裁判を分かりやすく▼裁判への民意の反映▼司法・裁判への信頼性の向上などが考えられていたことから、少なくとも、 その意味では価値ある第一歩を踏み出したと言えよう。何よりも、国民から選ばれた裁判員が参加する新制度によって、「裁判」を身近に感じさせ・「裁判」の仕組みとプロセスを知らしめたことは、「裁判」に対する一つの意識変革をもたらしたと言っても過言ではなかろう。 特に、国民(裁判員)が直接刑事裁判の審理へ参加することによって市民感情が少なからず反映され、「司法の常識は世間の非常識」と揶揄されてきた一面から、こうしたモデルケースによって司法への理解と信頼・・・信頼はともかくとして、少なくとも「裁判」に対する理解が漸次向上へと進んだことは認められ・よいことだ・・・。
 今回の初めての「裁判員裁判」は、相当の時間と労力が費やされたであろう。関係する当局も神経を使い、その結果への反響と成果に、ある意味、かなり恐恐の境地にあったと想像される。 事実、裁判員らは平易な言葉・イラストの提示やゆったりペースが、「分かる審理」をクリアしてくれたと語っている。 国民にとっても、そうした配意・努力が「分かりやすさ」に繋がり、 より「裁判」を身近に感じさせる導火線となったと感ずる。 ただ、今回の裁判を通じて、「裁判の相場」という意外な言葉・事実があることを知った。それは、某刑事裁判官が「今回の事件は「改正前なら懲役8~10年、改正後なら10~13年が相場」と語ったことだ。「求刑の8割前後」の量刑判決が多いが、裁判で既成化されたような「相場」があってよいものか・・・こうしたことを公言する裁判官の言葉を一瞬疑った。「相場」とは、一般市場における物品の取引価格のことをいう。司法の世界でこうした言葉・概念がいとも簡単に日常語的に語られるとは驚きに等しい。 このあたりの感覚が、前述の「司法の常識は世間の非常識」と揶揄される由縁の一つとも感じられる。

 「裁判員裁判」は当然にして裁判員によって成り立つが、 問題となるのは、裁判員は裁判に出席する法的な義務が課せられるということだ。かってのY紙事前アンケートでは、7割近くの国民が「参加したくない」とのデータが示された。懸念される数字でもあるが、多くの国民の本音ともとれよう。裁判員を辞退できる理由が規定されているものの、基本的には認められていない。正当な理由なく裁判所に出頭しなかった場合には、10万円以下の過料を受けることがある。 また、裁判員が参加する事件には、必ず公判前整理手続が適用されるため、 基本的には短い審理期間になるが、それでも、平均して3~6日間 程は裁判員として拘束されることになる。 アメリカでは制度そのものも異なるが(陪審員制度)、 業務と日当の不均衡な理由により罰金を払ってでもこれを拒否し、自己の都合を優先するケースが増えているという。 人によって立場・事由が異なり・価値観も違う。 どうしても参加できない場合も派生してこよう。今回は4日間の拘束期間となったが、通常なら一日で済む裁判とも言われている。 国民に負担となり犠牲を強いるような制度は問題だ。 それを払拭するのが諸手当(保障)と休暇制度の検討だ。 重大な仕事・日常生活への犠牲を余儀なくされ、挙句に世間並みの報酬(日当)などでは割が合わないばかりか、拒否感を増幅させるだろう。私は「裁判員裁判」制度を全否定しないものの、裁判員となると抵抗感が伴う。やはり拘束される抑圧感が除去できないからだ。万一のことだが、裁判員としての通知があったら、やはりネガティブな状態での受け入れとなるであろう・・・。



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2009.07.31
   EOSW   ローマでぼったくり被害の茨城県35歳の男性 お詫びのイ府からの招待を「泣かせる言葉」で辞退・・・。    
 C紙夕刊に ANSA通信伝として、「ローマでぼったくり被害の邦人 伊政府の招待辞退」の見出し囲み記事が出た。この記事の邦人とは、茨城県に住む35歳の男性とその恋人だ。事の起りは、去る6月に二人でイタリア旅行をした時に、ローマ市内の著名なレストランで昼食代金を694ユーロ<日本円=約9万3千円>を請求され、あまりにも不当な高額金額と厳重抗議したものの受け入れられず、やむなく支払った後に当地の警察に届けたという。これを受けた警察は詐欺容疑で捜査を開始した結果、事実であることをを突き止めた。ローマ市はこの事実を受け止め、同レストランを処分として閉店させたという。このニュースはイタリアで大々的に報じられ、 この事実を重く見たイタリアブランビラ観光相が、「本当に申し訳ないことをした」と 謝罪をするとともに、「お詫びのために、政府の負担で再びイタリアを訪問してほしい」と、イタリアへの招待を申し出てきたという。

 こうした海外旅行での金銭的なトラブルはよくあることと聞いている。こうした事態は当地警察当局の捜査・取調べ・指導で過払分が払い戻しされ、一件落着となるのが多いと聞く。特に、後進国や発展途上国・治安悪化国で、日本人観光客がこれに類する事件に巻き込まれ、当局の捜査もままならぬウヤムヤの状況で放置され・泣き寝入りさせられる場合も随分多いそうだ。が、さすがイタリアは世界に名だたる観光立国である。閣僚<観光相>が国を代表して公・正式に謝罪し、お詫びに国が費用を負担するから、ぜひ改めて観光に訪れてほしいというわけだ。もちろん、ニュースが世界を駆け巡り、国の恥部をさらけ出すとともにヒンシュクをかう国際問題にもなりかねず、政府の大やけどになるとの判断が働いたかも知れない。しかし、結果としては、国をあげての謝罪と無料の再旅行を申し出るなど、鄭重な対応に国の威信をかけた処置をしたと言うべきだろう。

 一方、この事態に直面した男性は、招待に応じることは辞退したという。そして、イタリア滞在中はレストランの一件以外は素晴らしい経験だったとし、最悪だった旅の悪夢を忘れ、改めて再訪したいと語ったそうだ。・・・ 何とも、これは最近にない傑作のニュースではないか・・・。何故ならば、男性は辞退の理由として、「申し出を受けることは、イタリア国民の税金を使うことになる・・」と語っている。そうそうこうした言葉は出てくるものではない。 他からの入れ知恵があったかも知れないが、「イタリア国民の税金を使うことになる」とのくだりは、35歳の男性にしては「泣かせる言葉」だ・・・。普通は、「喜んでお受けします」とニンマリするのがオチだ。その上で、「イタリア滞在中は素晴らしい経験をした」と同国に敬意を表し、「自らの費用で再訪したい」と満点の返答をしている。本人自身の言葉と信じたいが、 うがってみれば、「少し出来すぎの感なきにしもあらず」・・・でもある。 当然イタリア国民にはすでにこのニュースが伝わっているはずだが、果たしてどんな反応を示しているのだろうか・・・ちょっと知りたくなった。


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2009.07.31
   EOSW   常識=当たり前のこと/非常識=異常なこと。常識と非常識との差は紙一重だが結果の差は実に大きい。
 午前9時過ぎに市外のK喫茶店に出かけた。 この店は時々利用するが、名古屋に本店を置くチェーン店で、名古屋市内を中心に県下に120余店を持つ一大コンツェルンの体を成している。 数年前に東京・関東方面にも進出を始めたと聞いているから、現在ではトータルとして相当の出店数になっているはずだ。このチェーン店は小牧市内にも3店あるが、どの店も大いに繁盛している。私はコーヒー党ではないから分からないが、コーヒーが特別うまいわけでもない。 メニューの軽食でも取り立てて異色のものがあるわけでももない。店内にしても、特別の造り・雰囲気があるわけでもない。また、特別のサービスがあるわけでもない。即ち、無い無いづくしのごく普通のありふれた喫茶店である。では、なぜはやるのか? 友人の一人は、「七不思議の一つだ」・・・と首をかしげて語ったことがある。

 私が行ったのは市外のi店である。この店、二重ドアをあけて中に入ると、中央レジの前に座席案内表示がしてある。 矢印で左=禁煙席・右=喫煙可能席となっている。私は右旋回をする。左旋回をしたことは一度もない。 新聞をとって席に着くと、いつものようにコーヒーを頼む。通常は「ホット」、暑いときは「アイス」である。いつもの代わり映えしないパターンである。 私が時々喫茶店に行くのは新聞を読むためである。コーヒーを飲みに行くのではない。この店は他店に比して、新聞の種類と部数が多い。これが私にとって i 店を利用する最大の理由である。ところがである・・・。客の中には、数種類の新聞の束を小脇に抱えて席につく輩がいる。こういう輩に限って、一紙を読み終わっても元に返却しない。全ての新聞を元へ返すのは店を出る時だ。こういう輩が複数いるとラックは空っぽになるから始末が悪い。誠に非常識な行為だ。私は必ず一紙だけにし、読み終えたらただちに元に返却し、他の一紙を席に持ち込むようにしている。これが常識だろう・・・当たり前のことだ・・・と思っている。

 いつものように紫煙をくゆらせながら新聞に目を通していると、左隣りの席に二人連れの女性が席に着いた。 年齢こそ分からないが、子育てを終わった中年の女性に見えた。コーヒーを注文しウェートレスが立ち去ると、女性の一人が私に向かって、「すみませんが、タバコを遠慮していただけませんか・・。 私、気管支炎を患っているんです。本当に申し訳ありません」と顔をくゆらせながら丁寧な言葉で私に頭を下げた。私は一瞬、「ここは喫煙してもいい席ですよ。禁煙席は向こうにあります。そちらへどうぞ・・・」 と言いかけたが、とりなして止めた。 「わかりました」の一言で灰皿に吸いかけのタバコを押し付けて火を消した。考えてみれば、これは常識だろう。常識とは当たり前のことだ。当たり前のことは、行動を伴わないと意味がない。常識と非常識は紙一重だ。 この場合、「ここはタバコの吸える席です。貴方こそ禁煙席へ行きなさい・・・」では、権利主張の強情者以外の何ものでもなかろう。タバコをもみ消すと、それを見た女性は、「ありがとうございます」と礼を言った・・・。これも常識だろう。人間、常に常識ある判断力・理解力・行動力・思慮分別などを持ちたいものである。ウェートレスが「お待ちどうさま」とコーヒーを持ってきてくれるが、必ず「ありがとう」と声をかけるようにしている。これも礼儀・常識の一つ・・・だと思っている。


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2009.07.30
   EOSW   平針地区「里山」を、名古屋市が開発業者から「買い取り」を検討。不透明の動きだが、朗報だ。
 7/29のC紙朝刊に、『里山の命 「ほっ」 』 の見出しが躍った。名古屋市天白区平針地区の「里山」の去就について、名古屋市がそのままの姿で残すため、同地区の里山<5ヘクタール>を買い取る方向で検討を始めた・・・とする内容の記事だ。名古屋市の買い取りが決定したわけではないが、名古屋市民や多くの地域住民には朗報に違いない。里山買い取りの発端は、地域住民の訴えにより市長がこれまで「認可保留」をしてきたが、ここへきて河村市長は、《2010年度に名古屋市で開催予定の「生物多様性条約第10回締約国会議<COP-10>」を控え、自然との共生モデルとして会議のキーワードとなる「里山」の開発を避けたいという強い意向が背景にある》 <以上《》内の文はC紙記事から抜粋>との観測から、土地買い取りの意思を決断・広く市民にアピールしたものと思われる。

 だが問題は根強く、開発業者はあくまで土地所有権を行使し、宅地造成・私立高校建設の構想を崩していない。 許認可がおりない場合は名古屋市を訴えると息まいている。 ただ、今までに数度の名古屋市と開発業者間では折衝の場が持たれていたようで、開発業者は「私立高校建設計画用地の2ヘクタールは絶対に譲れない。 残りの宅地造成計画の3ヘクタールについては、条件次第で申請を取り下げ買取りに応じてもよい」との 一部譲歩的な見解を示しているという。 しかし、里山分割は全体の自然体系が根幹から崩れてしまう。 人間の手つかずのまとまった自然の姿がそのままの形で残されてこそ里山としての存在価値が生まれよう・・。 かりに、話し合いがつかず法廷闘争となった場合は、解決に相当の年月を要し双方に障害も発生しよう。判決の予測も立たない。果たしてどう進捗するか今後の成り行きが注目されるところだ。

 一方、買取りには巨額な土地購入費が必要だ。不動産鑑定士による鑑定では、22億円の評価格が出ているという。かりに、双方が分割案に妥協し決着した場合でも、残る3ヘクタールの土地価格は高額だ。 当然にして、市が買い取りを決めた場合は議会の同意が必要で、対立している多数派市議団がどう反応するかは疑問だ。 4月に行われた市長選で圧倒的大差で敗れ・煮え湯を飲まされた多数派市議団
が、 今までの市長提案に重なる難癖をつけてきた経緯からすると すんなりと同意するとも考えられない。名古屋市民には圧倒的人気を持つ河村市長だが、多数派の相手に対して厄介な議会対策を強いられそうだ。 いずれにせよ、気鋭の河村市長の「買い取り」宣言は一歩前進だが、前途多難・問題山積・苦境の立場の施策の一つとなろう。 ただ、COP-10 に照準に合わせる取り組みを前面に押し出すのではなく、 ここはあくまでも「里山保全」の大切さを説き、自然環境を死守する覚悟で戦ってほしい。宗宮名古屋大学教授が中心になって、一万人近い 「開発反対」の署名・寄付を集める運動を鋭意展開中とのことだが、市が「買い取り」をした場合は、集めた浄財を寄付するそうだ。市長は、こうした市民応援団の「必死な気持ち・切なる願い」を絶対に軽視すべきではない・・・。


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2009.07.28
   EOSW  Google が新OSをネットブックに搭載・無料提供するという。情報少ないがMicrosoftへの殴り込みか・・・?
 以前、市パソコン講座で顔見知りになり、3月ごろに個人的な指導を依頼され、自宅へお邪魔したこともある S さんから電話があった。「Googleが新しくOSを開発し無料提供するとのことですが、どんなものでしょうか・・・?」 という内容だった。 「私も新聞で知りましたが、よくわかりません。2010年の後半に、当初はネットブックに搭載するそうですね」と、返事をする程度の知識・情報しか持ち合わせていなかった。

 Googleとは、アメリカのソフトウェア会社で、同社が運営する検索エンジン「Google」として世界的なシェアを誇っている。 アメリカGoogle社は1998年の創業とされているが、 急先鋒の成長を遂げ、世界中のウェブサイトから特殊なプログラムによって情報をかき集め、インターネット上での強大な検索用エンジンを構築してきている。日本法人グーグル株式会社は2001年に設立され、その歴史は比較的浅いが、我が国ではYahooJAPAN に次いで人気が高いと言われている。現在、世界中で常時約30万台のPCが稼動し、連続的かつ頻繁にGoogleが利用されていると言われるが、 ここまで短期間に急・高度成長したのは、 その情報量の膨大さと汎用性、特に、「Google Eath」<最近、「Google Moon」を追加した> を完全無料提供してPCユーザーをアッと驚かせたように、その先進的革新性にあろう。 「Google Eath」は、地球上のあらゆる場所にジャンプして、衛星画像、地図、地形、3D の建物を表示できることから、 謎のベールに包まれた北朝鮮の秘密機関<広大なキムジョンイル私邸やミサイル発射基地を含む核関連施設> などの、「北」が絶対に知られたくなかった総統の個人情報と軍事機密をいとも簡単に抉り、 世界に「北」の具体的映像情報を3D発信し大きな話題性を提供した。 しかも、「Google Eath 5.0」は簡単に無償ダウンロード提供していることで噂が広がった。 こうしたことを可能にさせたのは、ウェブサイトに世界中から無数の広告を募って莫大な利益を稼ぎ、金の力による機動力・戦略上のシェームを持ち得たからこそできたことだ。 それだけ急成長した米Googleは、もはやモンスターと言っても過言ではなかろう。Microsoft にとっては、目の上にタンコブができたようなものだ。

 そのGoogleが、今度は新しくオペレーティングシステムを開発し無償提供するという。私にとっては情報量少なく、この方面の知識も疎いが、当面というか当初は<2010年>ネットブックに限定搭載の形でスタートするとの情報からして、Microsoft Windowsを巻き込むOS戦争とはならないだろう。 何故ならば、ネットブックは、ウェブサイトの閲覧やE-mail などの基本的なインターネット上のサービスを利用することを主な用途とし、安価・小型軽量で 持ち運びに便利なノートPCのカテゴリー<デスクトップは不可>であり、主に企業戦士や若者中心に重視・利用され、どちらかと言えば、一般のPCユーザーや家庭向きではないからである。 しかし、スイッチオンでTVと同等<数秒> の立ち上がりをするというから偉い <ただし、セキュリティソフトとの関連は不明>。 何よりも「無償提供」が嬉しいではないか。 GoogleのMicrosoftへの殴りこみの感が強いが、我々消費者にとっては願ってもないことで大歓迎といったところだ。 特に、ネットブックを常時多用している人間には朗報この上なしであろう。 いずれにしても、こういう競争は大いにやってもらいたい。こういう戦争なら許される戦争だ。 ただ、実際は手にとって操作してみなければその実力のほどはわからない。「すごい」となるか「大したことなし」となるかは、2010年の店頭で体感してからの「お楽しみ」であろう・・・。それにしても、情報が十分伝わってこない・・・分かっていないのは私だけなのか・・・?。  


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2009.07.14
   EOSW   「平針の里山」・・・初めて知ったが、危機発生「オアシス」として残すため、人間の叡智を傾けたい。
 7/14 C紙夕刊に、「平針の里山 激論」との見出しで記事が載った。平針の里山とは、名古屋市天白区<県運転免許試験場のすぐ西側>にある、約5ヘクタール<5万平方メートル> という都市・街中としては広大な部類の土地のことである。 問題となっているのは、 某土地開発業者が昨年度地主から正当に購入し、住宅地として開発する予定であった。 しかし、地区の住民が里山の保全を求め、双方が真っ向から対立した格好になっている。 新進気鋭の河村名古屋市長がひとまず「許可保留」にし 調停役を買って出たものの、 両者の考え・言い分の溝は埋まるどころか・収まらず、 「両者とも法廷闘争も辞さず」との喧騒ぶりに、市長も頭を抱え込んでいるようである。
 
 こうした土地開発業者高層マンション建設業者などと、地域に住む住民とのトラブルは全国あまた珍しい現象ではない。 最近では、周辺の景観にそぐわないとの理由で大問題となっている事例も見かけられる。 いずれも双方に言い分があり、結果的に話し合いがつかず、裁判沙汰に至る例も少なくない。名古屋市の「平針の里山」の問題も然りである。平針地区といえば、名古屋市の新興住宅地だ。私が学生だった頃は、平針といえば随分と過疎の感じだったが、開発が進み、現在では名古屋市の奥座敷(?)の一角 ・ 高級住宅地のイメージが強い。 その地域の中に、今もって5ヘクタールもの里山が残されているとはまったく知らなかった。C紙によると、「水田やため池、湿地・雑木林」が広がっているという。 里山とは広辞苑によると 「人里近くにあって、人々の生活と結びついた山・森林」となっている。いわゆる、人の住む近くにあって、そこに住む人たちの生活に、安らぎと憩い/静寂と新鮮な空気を与える緑あふれる自然環境が里山であろう。 今どき、大都市の住宅地の中に「完全な自然」がそのまま残されているとは何と素晴らしいことか・・。これは、都市の中のビオトープである。 私は、C紙の一文を読んで即座に「開発すべきではない」と思った。実際にこの地を見ていないため確定的なことは言えないが、もし、この記事が事実の状況なら、 開発は避けるべきだろう。大都市の住宅地に、水田・湿地・自然林が残るなど・・・ まさしく「都会のオアシス」ではないか。それも人間の手による人工環境ではなく、まったくの人手つかずの大自然環境だ。 絶対に自然を壊すべきでない。開発を阻止すべきだ。 ありのままの大自然を後世に残すべきだ。 この里山近くに住む、宗宮名古屋大学教授が中心になって、一万人近い「開発反対」の署名を集め、 さらに活動拡大の展開を進めているとのことだが、これには応援したくもなる。

 我が家の「猫の額」<本当に狭い>庭には、十数本の樹木が植えてある。 名も無いありふれた樹木だが、 すべて自分で買い求め・自分の手で植え・育てたものだ。一本たりとも庭師に植えてもらったものはない。 なかんずく、玄関横の「ドラセナ」は私にとって、ことのほか印象深い。我が家の歴史そのであるからだ。 家が建った年に植え、以後、45年の歳月が経過し、改めて計測したら6m余に成長していた。 幹は苔むし・二股に分かれた一方の枝は枯れているが、本幹は未だ健在で風雪にも耐えてきた。 庭には苔<こけ>が生えている。 これは自然に生えてきたものである。 ほぼ庭一面に生えているが、真夏の強烈な日射には耐えられず、これから苔全体・全面が赤茶けてくる。 日中にも水をたっぷりやるが、もたない。実に可哀相だが、どうすることもできない。ところが、毎年のことだが、晩秋から冬にかけて再び息を吹き返し、青々としたみずみずしい顔を覗かせるから驚きだ。自然の力は素晴らしい・・。毎夏、この庭から20匹程度の蝉<セミ>が羽化し・育っている。 庭では他にも自然の営みが続いているようだ。この私は緑が好きだ・自然が好きだ。名古屋市天白「平針の里山」も何とか生き残ってほしい・・・と、つくずく思う。 そのためには、人間の自然に対する敬虔さと叡智が必要だ・・・。


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2009.07.11
   EOSW  新興国と地球温暖化問題を話し合う主要経済国フォーラム<MEF>の首脳宣言に唖然。これが現実か・・・。

 ラクイラ・サミット<主要8か国<G8> 首脳会議/主催地イタリア・ラクイラ市>が、世界的な経済危機からの脱却や地球温暖化問題、それに「核兵器のない世界」を目指す取り組みなど、地球規模の課題への対応策について日本時間の8日夜に開幕し、3日間の日程で意見を交わしてきたが同10日に閉幕した。 その中でG8は、他の新興国と地球温暖化問題を話し合う主要経済国フォーラム<MEF> 首脳会議を開き・討議を重ねてきたが、 日本時間10日未明に「温室効果ガス排出量を次の2050年までに、相当量を削減する」とした首脳宣言を発表した。

 今や地球温暖化の問題は、世界人類の共通した最重要な課題である。 今回のラクイラ・サミットで、温室効果ガスの排出量削減に向けての数値基準が見直され、先の京都議定書に続く新たな温暖化対策の枠組みへの拡大が大きく期待されていた。しかし、結果的には、「温室効果ガス排出量を2050年までに相当量を削減する」という確定数値どころか、「相当の量の削減」という まことにもって抽象的で曖昧模糊とした宣言文にガッカリ・・落胆させられた。G8はサミット初日に、「2050年までに先進国が80%か、またはそれ以上」の温室効果ガス削減を目標とするという、かなりシビアな高い数値を画策し・合意に達していた。そして、これを基準として、「世界全体で50%削減」することで新興国側との合意を得るべく考えを持っていた。しかし・・、新興国側は、「地球温暖化は先進国の責任であり、新興国は削減の義務を負わない」とする主張を貫き、G8との合意には完全に一致をみなかった。この論理に唖然としたのは私だけだったろうか・・・。MEF首脳宣言は、「新興国・途上国は、まったく行わない状態から・・削減を示す行動をとる」とした。 これでは、目標から一歩も二歩も後退した宣言内容で、G8の先進性が完全に瓦解したことになる。その結果、MEF会合は最終的合意目標として、温室効果ガス削減の具体的数値目標を宣言の中に位置づけることに完全に失敗したわけだ・・。こうした結果では、G8が前述の高いレベルでの努力数値目標を打ち出しても、効果は半減どころか意味をなくしてしまう。実に憂うべき状況ではないか・・・。

 発展途上国などは、「地球温暖化の真犯人は先進国。我々に削減の義務はない。削減目標が自国の経済発展の障害となる」が如くの独善的かつ一方的な主張を繰り返して譲らなかったようだ。何よりも貧困問題が最優先・・と、先進国からの大幅な経済的援助を狙うといったしたたかな考えが、垣間チラチラ見え隠れする状況には辟易するばかりである。 まさしく・・・・何をかいわんや、ヤンヌルカナである。情けない話だ。グローバルな視点に立たないと、地球規模の危機は救えない。古い言葉だが、「世界は一つ」である。いつになったら地球人は「一つ」になれるのか。こんなことでは、永遠に「一つ」になれないだろう・・・・。



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2009.07.08
   EOSW   新ソフト「Windows7」を 10/22 に発売・・と 日本法人Microsoft<MS>が正式発表。朗報だが悩みも多い。
 日本法人Microsoft(MS)が7/8、PC用新基本ソフト(OS)「Windows7」を10/22に発売すると正式に発表した。思っていたより早く店頭に顔を出すことになった。新OSは、07年に出た現行の「Vista」以来約3年ぶりの新ソフトとなった。不評をかっていた「Vista」の改善ソフトとして期待も大きかったが、ついに新登場だ。 「Windows7」は、メモリーの消費量を極力抑え、起動や動作にかかる時間を「Vista」より短くしたのが一大特徴であると謳っている。初心者向けに多くの付随的な機能を追加したため、「動作重く・もたつく」と不評をかっていたVista を徹底的に見直し・改善し、「速く・快適に・使いやすく」を追求した結果が、「操作性・安定性」にも繋がったという。今のところ、新OSについての評価も高い。

 ソフトは当然として進化し、多くのユーザーは恩恵を受けるが、インストールされた PC をその都度 購入していては大変だ。一世代前のXPは、オペレーションシステムとしてはそれなりに優れたものだ。 が、「もうすぐなくなるアイテム」として挙げられているのが WindowsXP だ。Windows XPのパッケージ版はすでになく、パーツとセットで購入する DSP 版のみが店頭在庫のみ流通しているのが現状だ。 比較的在庫が多いという大手量販店でも、「今はまだ在庫がそろっていますが、この夏ごろにはかなり厳しくなりそうです」と言う。 さらに、「Windows7」の登場を待ち、買い控えていたユーザーが一斉に購入するといった現象が起きると、意外なほど早く WindowsXP が姿を消すことも考えられます」と言う。と、すると・・・、問題は XPに対するケア・フォローだ。さいわいにして、米国Microsoftの広報担当者は、「Windows7」発売後に 一部エディションで提供される「WindowsXP」へのダウングレード・オプションについて、「Windows7」の一般向け発売から最長で 18カ月間に限り提供する方針であることを明らかにしている。これにより、Windows搭載PCを製造する各OEMベンダーは、「WindowsXP Professional」 搭載モデルを最長で2011年4月下旬まで販売することになり、前述に関連する問題もここしばらくはクリアできそうだ。

 発売の期日が確定すると、やはり「Windows7」に興味がいくし・大きな魅力も感じる。何といっても、「互換性」が高められ・「速度・操作性・安定性」の向上と、「ソフト自体の軽さ=軽快性」がユーザーを引きつけるわけだ。しかし、アップグレードすべきか・インストール済みPCを購入するかは悩ましい問題だ。見極めが難しいともいえる。PCも安くなったといえ未だ高価だ。安価品は低機能で満足できるものではない。ならば、アップということになる。これは比較的安価に導入できるが、これが一筋縄にはいかない。なぜなら、WindowsOSのアップグレード版(正式版に移行する最も安価な手段)は、Windowsがドライブ上にあるかどうかをチェックするからだ。 つまり、(Microsoftの助言に従って)テスト用のシステムにWindows7をクリーンインストールした場合は、データをバックアップして、元々あったOS(WindowsXP)を再インストールし、その後に、Windows7 のインストールとデータの復元、アプリケーションの再インストールを行う必要があるからだ。これが時間・労力両面で苦痛となり、かなり厄介で面倒な作業となる。それ以上に万一インストールに失敗すれば、WindowsXP そのものの機能に損失を与えることや不具合発生の危険があるからだ。過去の忌わしい経験が躊躇させることになる。
 現行のXPは健在である。故に、導入には怪訝な気持ちが伴う。他に、バグの懸念もためらわせる要因の一つだ。通常は1年程度、少なくとも数ヶ月の様子見が必要だろう。不具合発生のリメディを待ってからの対応が賢明かも知れない。 発売はもう少し先だ。「Windows7」の実際については、やがて問題点等が各誌に紹介されてくるだろう。最終決断は、それらのテストパターンを分析してからでも遅くはないと判断している。いずれにせよ、散財となるのは間違いなさそうだ・・・。悩ましき問題である。


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2009.06.28
   EOSW   I 君が、丹波笹山の黒豆 「丹波黒」をくれた。「早世」だが旨かった。ただし「虫入り」には少々手こずった。
 親友の I 君から電話があった。「例の豆が何とか育ったから取りに来いよ」ということだった。例の豆とは、丹波笹山の黒豆のことである。 昨年もこの時期に同じような電話があり、ビニル袋に入れた少々の豆を貰ったが、さすが 丹波笹山の黒豆で普通の枝豆とは旨さが一味も二味も違っていた。 彼は自宅裏に無償で畑を借り、いろいろな野菜を作って楽しんでいるが、案内してくれた畑には、トウモロコシ・ピーマン・ナスが立派に元気よく育っていた。丹波笹山の黒豆を育てたのは昨年に続き2回目だ。 「素人百姓だし、面倒だから消毒もろくろくしない。したがって、俺んちの野菜は完全無農薬で農水省推薦の安心・安全野菜だ・・・」と 言って豪快に高笑いした。「昨日初めて食べてみたが、何とかいける味に育った」と言いながら、 ほどほどに豆をつけた15本程の成長した苗を抜き取り、根っこに土のついたそのままをビニル袋に入れてくれた。

 「丹波黒」という黒豆は、丹波の国・即ち、京都府から一部兵庫県にかけての地方を言うが、この地方では昔から黒豆の栽培が盛んで、「丹波笹山の黒豆」として極めて有名である。 最近では、スーパーの食品・野菜売り場で、「丹波の黒豆」と称して売られているのを見かけるが、このたぐいの豆は「早世」という 幾度となく品種改良された豆で、大きさ・味ともに本場ものとは雲泥の差がある。本場ものは「本黒」と言って、サヤに包まれた実(豆)は大粒で独特の風味と味があり絶品である。「本黒」は、「米づくりの数十倍の手間をかけて育てる」とされ、産地ではブランド品として手塩にかけ大事に・大事に育てられている。 丹波・篠山地方では昔、水不足に再三悩まされ続けたため、年貢の取り立てが厳しい中、「すべて水田にしてしまっては皆倒れちまう!」と村人が相談をし、考えたのが“坪掘り”と言われる、水田を掘りあげて畑にする方法で、その畑に植えたのが黒豆だったそうである。この黒豆は篠山藩主も大いに気に入り、以来、年貢米のうち10石は、黒豆で納められたという話がある。この地方独特の粘土質の土壌と、昼夜の激しい温度差が好条件となって、他に類のない良質の黒大豆ができるようになったわけである。

 I 君の育てた黒豆は、「丹波黒」には間違いないと思うが、実(豆)が小粒だからおそらく品種改良された「早世」の一種だろう。苗は知人から貰ったと言っていた。それでも普通の枝豆とは味がまるで違う。とにかく旨い。ただ消毒を一切してないから、豆の中に虫が入り込んでいることがあり、少々気味が悪かった。いきなり口の中に放り込めない。 これを回避するために、苦肉の策でサヤから実(豆)を取り出して一粒ずつ確認してから食することになった。これはとにかく厄介だ。枝豆の食し方としては醍醐味なく、チマチマしたチャチな食べ方である。ご用とお急ぎでない方むきの枝豆と相成った。彼には文句を言うまい。I 君がそれなりに愛情を込め苦労して育てた丹波の黒豆だ。勿論、一粒ずつ虫がついていないかを凝視しながら、感謝しつつ味わって食べたことはいうまでもない。ツマミがいいから、やはり焼酎も旨かった。堪能した。やはり持つべきは親友だ・・・。


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2009.06.23
   EOSW  HV対EV車の戦略戦争激化。ここへきてEV車の躍動ぶりに喝采せり。大いなる開発競争を望みたい。

 三菱自動車が6/6、開発してきた電気自動車(EV)「アイ・ミーブ」を7月下旬に発売すると正式に発表したが、電気自動車については大きな課題が横たわり、その普及が懸念されてきた。課題の一つが車両価格の異常な高さだ。 現時点では車両価格は459万9000円で、国の購入補助金を受けても購入費用は約320万円となり、軽乗用車と同じ小さな車体サイズにしては 余りに高価格な車に、果たして庶民が購入の対象とするかは大きな疑問符が付いていた。この販売価格は、個人の手が届くレベルではないだろう。二つ目の課題が、充電スタンドの少なさだ。 大型商業施設の駐車場などすでに急速充電器が設置されたのは首都圏で39か所、全国で計58か所だけで、ガソリンスタンド(08年3月末で4万4057か所)の約800分の1という現実だ。 家庭での100V電源での急速充電器の早急な開発とGS並とはいかないまでも充電施設を主要な箇所に増設・設置し、遠方への移動がしやすい環境を作ることが必要だと指摘されてきている。

 昨日(6/22)に、三菱自動車の株主総会が開かれ、益子社長が、「2010年代半ばまでに購入価格を200万円以下に引き下げた廉価車を投入する」と語った。「自動車ユーザーの8割は、休日でも1日60キロメートル未満しか走らない。(現在は最大160キロ・メートルの)走行距離を見直した仕様も検討する」と発言し、電池の搭載量を減らして価格を引き下げる考えを示した。また、13年までに家庭で充電できるプラグイン・ハイブリッド車を発売する考えも明らかにした。価格については、具体的数値ではなく目標数値と考えられるが、それにしても同社のEV車にかける意気込みの大きさを示すものである。一般家庭で充電できる「プラグイン・ハイブリッド車」の発売も見逃せない一大ニュースだ。これで他社との開発・販売競争の導火線に火種が付けられたとみてもよい。ユーザー・消費者にとってこれほど喜ばしいことはない。こういった競争は大いに歓迎だ。

 今やトヨタ・ホンダのHV(ハイブリッド)車が脚光を浴び、トヨタプリウスなどは納車は注文後6~7ヶ月後という高人気ぶりだが、電気を動力源とするEV車の技術向上と価格・充電体制が整ってくれば、HV車との戦略競争社会に今後の自動車界は一大転換期を迎えることになるだろう。「EVの頂点の技術への挑戦をし、普及を加速させたい」と意気込みを語る三菱自動車益子社長の言質に、大きく期待したい。電気自動車は、電気モーターを駆動力とするため、排ガスを一切出さない「環境対応車」とされ究極の車として注目を浴びてきたが、ここへきて、さらに動きが急転直下の勢いで加速してきた。 富士重工業・日産自動車も黙ってはおられまい。富士重工業は7月下旬から、EV「プラグインステラ」の納車を計画、三菱に対抗するようだ。このほか、日産自動車はEV車開発を最重点化・10年度後半に日米市場で販売を始め、12年には日米欧で計15万台の量産に踏み切る計画を持っているといわれるが、発売予定のEV車には、長時間の充電が不要なEVシステムを搭載すると発表している。EV車はバッテリーへの充電時間の短縮が課題の一つとなっているが、バッテリーそのものを交換する方法を採用するそうだ。現在の技術では、通常の充電器を使った場合、フル充電まで数時間 ・急速充電器でも数十分かかるが、ガソリン車の給油とほぼ同じ時間でフル充電したバッテリーと交換できるというから、これは画期的な技術開発だ。さらに、同社のゴーン社長は「EV車をガソリン車と同等の価格にする」とも明言し朗報となっている。丁々発止そして 日進月歩の自動車産業の世界から目をそらせることができなくなってきた・・・。



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2009.06.23
   EOSW  「白い巨塔」。医学界の縮図は、現代社会構造の底辺にも うごめく。ただ、映像化は原作に忠実であれ・・・。
 もし、私に気になる現代小説を一冊あげよと言われたら、迷わず山崎豊子の「白い巨塔」をあげるだろう。 昭和39年から「サンデー毎日」に連載が始まったが、社会人一年生だった私は、週刊の日が待ち遠しく、手にした時は真っ先にこのページを読んだ。当時、今まで余り書かれることのなかった国立大医学部内の閉鎖的陰湿性と権威・権力、金まみれ・地位と名誉が絡んだ教授選の凄まじき生の実態を抉り、誤診問題・医療裁判に至る筋立ては一大センセーショナルを巻き起こし、多くの読者は、あたかも現実的な社会問題かと思うほどの強烈な関心を抱いたほどである。当初、第一審までで完結の予定であったが、読者・社会の予想外に大きい反響のため、1967年から「続・白い巨塔」として『サンデー毎日』に連載され完結した。その後、それぞれ単行本として刊行され、今にして、多くの根強い読者があると言われている。

 山崎豊子は1958年に「花のれん」で直木賞を受賞・数々の話題作を発表し、多くが映画・ドラマ化されている一大作家であるが、医師でもなければ大学の研究者ましてや法曹界の人間でもない。 その素人の人間が、大学医学部の特異・独特な因習的縦社会の構図の中に、主人公の助教授の処遇不満と噴門ガンの権威者としての過剰の自信・教授を最高の名誉・至上職とする獣欲にも似た飽くなき野心・欲望を描き出している。また、あらゆる手だてを尽くし票を金で買い、ようやく手に入れた教授選での勝利へのプロセスと誤診による息づまる医事裁判の推移・・・。こうした構図を見事にまで鋭い筆致で表現している。傲慢な教授となった末に学術会議選に血眼となり過労状態に・・・。そして、患者側から控訴。結果・・・控訴審は敗訴。「最高裁に上告する!!」と息巻くが倒れる。検査の結果で胃部に進行ガンが発見され、自身、末期ガンの状況で治療の手立て無く劇的な最期を遂げる。 こうした一連の流れが、女流作家の研ぎ澄ました感性と鋭い筆致によって、他の作家には見られない周到な構築力と相まって迫真の凄さが伝わってくる。


 執筆当時は、医師の誤診はあったにせよ、それ自体は社会問題として表面化・クローズアップされることのない未成熟な時代にあり、この作品によって、ベールを被った医学部と異常なまでの教授選、さらに誤診問題から裁判へと国民の関心が大きく高まっていったと見てよいだろう。 フィクションをフィクションと感じさせない人間模様・人間ドラマが臨場感あるタッチで記述され読む者を捕らえてはなさない。 氏は、「医学界の良心を問うたり、医学界の前近代的かつ封建性に挑むような考えはなかった」と述懐しているが、京都女専卒業後に毎日新聞大阪本社に入社後、 当時副部長だった井上靖 (作家・芥川賞受賞・文化勲章受賞)に新聞記者としての魂を叩き込まれたことが、社会派作家としての基礎になっているように感じられる。 完結まで4年余を費やしているが、氏は、この間に医学関係・裁判関係調査・取材・検証等には 並ならぬ苦労の連続があり、 想像を絶する執筆途上での葛藤があったであろう。が、新聞記者としてたたきあげた「調査・取材・検証」力が、バックボーンとしてあったからだろうと想像に難くない。 そうした精神が続く「華麗なる一族」「不毛地帯」の作品に、氏の作風として少なからず影響を与えたと言っても過言ではないだろう。
 
 数年前にTVドラマ化され放映されたが
、薄っぺらなアイドル俳優たちによるTV画面は原作のオリジナル性を大きく損ね、落胆させられた。1966年の初映画化は重厚な俳優陣を配して原作に極めて忠実・リアルに演出し、当時の国立大医学部医局内の雰囲気・社会世相を如実に捉えていた。映画・ドラマ化は絶対に原作に忠実でなければならない。原作を大きく歪曲した低劣な作品を創り上げることは許されることではない。今まで何度も読み返したが、それほど私にとっては印象強い作品の一つである・・・。


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2009.06.12
   EOSW  村上春樹氏の近著、『1Q84』 が早くもベストセラー状況に。売り切れ続出・入手困難の状況にあるという。
 村上春樹氏の近著、「1Q84」<いちきゅうはちよん>が絶大な人気という。全二巻の合計がすでに百万部を突破し、「書店の店頭にあれば奇跡」というほど売れまくり完全品薄状況にあるそうだ。 「1Q84」は、5月下旬頃から各店頭に出たが、売り切れ続出の状況にあるという。ちなみに、名古屋市丸善書店に電話で聞いてみた。丸善の担当者は、「発売当日の午前には200冊全てが売り切れ、その後三度にわたって追加入荷したが、ほとんどが予約に回り店頭には並べられない。現在、再入荷待ちの状況であるが、見通しはまったく立っていない。こうした現象は全国的に共通しているようだ」(要旨)と語った。

 村上春樹氏は、1979年に「春の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞し小説界に華々しくデビューしたが、特に氏をクローズアップさせたのが、1987年に発表した「ノルウェイの森」であり、上下巻を会わせ430万部の大ベストセラーの旋風を巻き起こし、村上春樹の名を知らしめた。氏の代表作は他に、「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」等があるが、いずれも話題作として大変な脚光を浴びてきた。 村上春樹氏の作品は諸外国で翻訳され、グローバルな視点が貫く作風は海外でもナイーブに受け入れられ、多くの読者があるという。米国の著名大学では、日本文学の講義に村上春樹の作品が取り上げられると、多くの学生が聴講する傾向にあるそうだ。 特に、フランツカフカ賞 ・エルサレム賞等の国際的な文学賞を受賞し、ノーベル文学賞の受賞予想オッズでは毎年上位に名前がランクされ、 「時の人」を演じ、 国内はもとより海外での作品評価・ネームバリューは極めて高い。「次のノーベル文学賞受賞者は村上 」と言われて当然の如くの評論・雰囲気は、国内にとどまらず海外でもヒートアップしているようだ。

 今回の新著宣伝は異例だった。新潮社は、書名・価格・発売日のみを新聞・HPに載せただけだ。内容等をまったく公表しない方針をとった新潮社は、社内でも完全秘密主義を通したという。こうなると、読者にしてみれば、久しぶり・待望の長編村上小説の発表だ。だが・・・、内容が一切伝わってこない。・・・「早く読んでみたい」「どんな内容・ストーリーなのか」と胸・高鳴る衝動に駆られるのは当然だ。新潮社担当者は、「村上作品を真っさらな状態で読んでもらおうと考えた」というのだが、それもあろう。だが、この宣伝方法、いささかもくろみのある・打算的な一つの戦略が潜んでいるようにも感じられる。これも企業戦術だ。 あっても可笑しくはないだろう。私はノンフィクション作品が好きだ。事実は真実だからだ。「知りたい」と思う事実は、事実として「知らせる」のが最善であり親切だろう。それも早く・実際に即してである。しかし、第三者(出版社)の評価・判断はいらない。手に取った作品は最後には読み手が感じ取り・評価するものだからだ・・・。


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2009.06.06
    EOSW  心から敬愛していた長姉が旅立った。覚悟はできていたが、それにしても悲しみ余りに大きく・辛い・・・。
 6/2午前、ついに長姉が逝った。享年89歳だった。誠に残念ながら臨終には間に合わず看取ることは出来なかったが、朝方から息が少し乱れる傾向を示したものの、静かに眠るが如くの安らかな最期を迎えたと、一人息子のS君夫婦から聞いた。死因について医師からは、老齢からの心不全との説明があったという。 やがてはこうした状態に至るであろうと少なからず覚悟はしていたものの、いざ直面すると、慟哭し・嗚咽が喉を突き上げると共に涙がとめどもなく頬を伝って流れ落ちた。安らかな死顔は、生前の母親に化身したかと思われるほど酷似していたのには驚いた。晩年は、ことあるたびに幼児のように「母親に会いたい」と言っていたそうだから、天国の母親が呼び寄せ・迎えに来たかもしれない・・・。その母は、昭和58年に82歳でこの世を去っている。

 姉と私は20歳の歳(とし)の開きがある。年齢差からすれば、親子ほどの開きがあるわけだ。 今の時代の若い世代には、考えられない「きょうだい(姉・弟)の年齢関係にあった。私の母亡き後は末弟の私に対して、あたかも自分の子どものように溢れる愛情を注ぎ、数々を教え導き・支えてくれた。私にとって偉大かつ尊大な存在で、心から敬愛する姉であった。今日に至るまで、どれほど精神的に大きな支えになってくれたか知れない。 直接・間接に姉から学んだことや教えられたことは実に多く、計り知れないものがあったし、私の今までの人間としての生きざまに大きな示唆を与えてくれた。 また、私が教師になってからは、人間教師としてのあり方を説き、常に「教師として学ぶことの大切さ」・「どんな子どもでも大切にすること」を諭した。その影響力は実に大きなものがあった。
 身内のこと故に仔細は省くが、市内初の女性校長を拝命し、多くの研究・業績を残し数々の表彰等を受け、勲五等瑞宝章という「叙勲」の栄誉も授かった。 が、何と言っても、数多くの教え子・保護者・地域の方々から慕われ・尊敬されてきたことが、教師冥利に尽きるといってもいいだろう・・・。姉は教育の道一筋に完全燃焼をしたと思う。それだけで、自分の歩んだ道筋に誇りを持ち・悔いなき人生を送ってきたであろうと想像に難くない。

 晩年は、「きょうだい(姉・弟)」の感覚なく、私が弟であることも認識できなかった。 弱る少し前に、姉との重大な約束をしたことも果たせないまま恍惚の人となり、意思疎通もままならぬ状態の末、永遠の別れに至ったことがとてつもなく悲しい。姉には本当に申し訳なく思っている。自分自身は、悔しく無念でならない。 「あの時、こうしておけばよかった」・・・と後悔するのは人の常だが、私も同じだ。
 実兄も、亡き姉の晩年と状況が似てきた。兄と私は14歳の年齢の開きがあるが、平均寿命を突破している。寝込んでもいない。だが、姉と同様に意思疎通ができない状態に至っている。その衝撃は実に大きい。その状態が漸次悪化の様相を呈していて、とても悲しく・心配だ。亡き姉への禍根を兄に被せてはいけないと思いつつ、今、私から兄にしてやれるのは何だろう・何をしなければならないだろう・・・と自問自答している。 亡き姉と現在の兄が私と同年齢時は、心身共に全く健全で活躍していたことを思うと、正直言って、ふと自分の近き将来に対する不安と焦燥に駆られることがある。 併し、人間、与えられた運命・宿命があろう。今後のことは全く分からないし、自分を正常にコントロールできるか自信もない。 今はただ、亡き姉には深遠なる最大の感謝をもって哀悼の意を表し、心から冥福を祈りたい。兄には、今の私にできることあれば全力で尽くしたい。今は、無理とは十二分に承知の上だが、ひたすらに状況の回復・改善を祈る思いだ・・・。


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2009.05.11
    EOSW  海外からの帰国者に初の新型インフル感染者出る。「指導」と「報・連・相」に問題点が浮きぼりに。  
 予測されたことだが、ついに日本人初の新型インフルの感染者が出た。大阪府寝屋川市の公立高校の教師と一年生(168歳)の生徒二人、そして、5/10になって新たに別の一人の感染が確認され、計四人となった。彼らは、寝屋川市の交換留学生制度によるカナダへ約2週間に及ぶ語学研修・現地高校生との交流体験学習に参加し、予定されたスケジュールを終え、空路成田着後の検疫により感染が確認されたわけである。三人は指定された成田赤十字病院に強制入院・隔離された状態で専門医の治療を受けている。現在、高校生二人のその後はほぼ順調に経過しているという。しかし、引率者の教師は37度台の高熱が続いているものの、特別の悪症状は出ていないという。新たに感染が確認された生徒の情報は未だない。新型インフルは鳥インフルと違って毒性弱く、感染しても症状は比較的軽いとされるが、国と厚労省は新型インフルについてはほぼ完全な「水際作戦」のシフトをとり帰国者・入国者に対して検疫を実施し、感染者が発見・確認された場合は、直ちに隔離・収容し指定医療機関で治療する基本方針を貫いてきた。今回の海外からの帰国者で感染者を発見・確認できたことは、この徹底した「水際作戦」のシフトによるところ大であり、一定の効果をもたらしたと言えよう。

 ただ、問題点も浮かび上がってきている。大阪府教委は9日、感染した生徒らの一行がカナダでマスクを着用していなかったことを発表した。記者会見した府教委によると、現地ではマスクの入手が困難との連絡を受け、国際交流事業を支援する団体が、マスク50枚を送付。マスクは5日(現地時間)に着いたという。ところが、マスク着用について学校側は、「マスクを付けると、違和感があるので付けなかった」と説明した。 現在、新型インフルの予防法は、<マスク・うがい・手洗い>の励行が不完全ながらも効果は大きいと言われる。 「マスク着用は違和感があった」とは呆れた話だ。カナダの保健当局は9日、新型インフルエンザの感染者数が8日時点から38人増えて280人に達したと発表したが、 高校生らが現地滞在していた頃はこれほどの感染者数ではなかったものの、感染者拡大傾向にあり、患者数の急激な増加が危惧されていたのは事実である。現地での情報収集を怠ったことも災いしている。届けられたマスクを「違和感あり」の感覚だけで着用を指示・指導しなかった引率者の軽率な判断ミスは、非難されるべきだ。生徒に直接指導する責任ある立場の引率者がこの程度の危機管理意識しか持たないとは誠にお粗末な話だ。マスクが予防の万全策でないにしても、「もし着けていれば、予防できたかも知れない」と漏らす関係者の話は後の祭りとなったようだ。

 もう一つ、引率者から携帯メールで生徒が現地で発熱したと連絡を受けた校長は、 この事実を所管の府教委に報告をしていなかったことだ。上に上げるべき報告を、学校教育の最終責任者が甘い判断で却下・握りつぶしてしまったことの重大ミスは侮れない。少し古い言葉になるが、かって「報・連・相」ということを厳格に指導されたことがある。 それも、事によっては緊急性が求められた。 少し古い言葉と言ったが、基本的なことは時代が変わろうと何ら関係ない。 トップの最終判断に蔭りが生じたら、それこそ大変なことになりかねない。トップは、所管の府教委と緊密に連繋をとって重要事項を報告し、時に応じて指導・助言を受けることも大事だ。独自判断で報告すべきことを留めおいたり、ましてや、隠し立てをするようなことは断じて許されない。


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2009.05.08
   EOSW  議会を解散した尾鷲市長。市長の権限だが、市政の混乱と公金の無駄遣いを招いた責任は重い。   
 三重県尾鷲市長は公認会計士の資格を持っており、市長に就任した昨年4月以降も、 尾鷲市内の公認会計士事務所で税理士業務を続けていた。公認会計士の資格を有すれば税理士業務は認められるが、税理士法は、自治体の首長など報酬が支払われる公職に就いた場合は、税理士の業務をしてはならないと定めている。 しかし、この市長、 昨年10月ごろまで数件の税理士業務を行い、相応の報酬を得ていたことにより罰金刑が確定した。このことを重く見た尾鷲市議会は市長不信任決議をしたが、これに対して市長は議会を解散したと言うわけだ。 最近、自己の不祥事等から議会を解散する地方首長が全国的に散見されている・・・。 こうした状況は実にけしからんことだ。

 不信任は、議員数の3分の2以上が出席する地方議会の本会議で、4分の3以上の賛成で成立する仕組みになっている。確かに不信任決議を受けた首長は、10日以内に議会を解散できる。議院内閣制における国会と内閣の関係とは異なり、市長も議会も独立に住民の選挙によって選ばれる地方自治では、市長は議会を解散しても直ちに失職することはない。 このため、尾鷲市長は最終的に「市長の権限」を行使して議会を解散する方法をとった訳だが、これは市長不信任決議をした議会に対しての「鞘あて」・「はらいせ」にしか見えない。自らの犯した虞犯を省みず、議会に怨念をぶつけた格好にしか映らない。

 不信任を受けた市長は、議会解散ではなく自己責任をもってまず辞任すべきだ。 己に非がないと主張・確信するならば、改めて市民(有権者)に信を問うのが本来のあるべき姿であろう。不信任後、市長は記者会見で、「よく考えて正しい結論を出したい」と語ったが、よく考えた挙句の正しい結論がこれだった。 確かに、議会解散の権限は認められている。 しかし、議会を解散し、多大な時間と労力・公金を無駄づかいするのは本末転倒もはなはだしい。 市長はこの愚弄行為を何と考えているだろうか。 今回の場合は、市長が明らかに法を犯す重大行為をしたわけだが、市長当人は、「私は罰金刑を受けただけだ」とうそぶいている。範たるトップとしての道義心はどこにあるのか・・・。
 政治家が暴言を吐き、不適切不用意な発言をして辞任を問い詰められると、「職を辞す考えはない。お詫びし、今後は職責に全力を尽くし・信頼回復につなげたい」・・・云々の会見場面に幾度となく出会ってきたが、国政の重責を担う政治家として、「口がすべった」程度の失言と釈明し、開きなおりをされてはどうにもやりきれない。ことの重大さを軽々に扱う神経・・・最近の政治家にはこうした類が多い。決して看過されるべきことではない。職と立場に恋々としがみつく体たらくは、醜態以外の何物でもなかろう。かって先輩から、≪公僕の最たる者、常に「辞表」を懐にして仕事をすべきである≫と 教えられたことがある。 公僕の何たるかを常に自分に言い聞かせ・問い詰め、結果に非あれば、潔よく身を処すべきだ。公僕としての常識だろう。
 尾鷲市の場合、市長が辞任せず議会を解散したわけだが、40日以内に市議選が行われる。議員選挙のあとで市長に対する不信任決議案が再び提出されることになれば、出席議員の過半数で市長は失職し、50日以内に市長選となる。その動向は分からぬが、筋からすればそうなるべきであろう。 いずれにせよ、市政が大混乱となり・選挙のために多大な公金が使われる。 尾鷲市民でなくとも、憤りを感ずる話ではないか。それにしても不思議なのは、尾鷲市民の声が聞こえてこないことだ。市長リコールなどの動きはないのか・・・?。


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2009.05.04
   EOSW   4人の外国人青年を加えてN君宅での「田楽会」 延々7時間に及ぶも話題は尽きず、収穫も大なり。        
 細君の弟(N君)夫婦から「庭で田楽会をやりますから、ぜひお越しください」と連絡をもらったのが4月末日だった。5/3当日、N君が車で迎えに来てくれた。 11時過ぎに到着したが、庭には豆腐を焼く特製のコンロやバーベキューコンロを中心に、テーブル・イス・ベンチが並べられ、二つの大型パラソルと日除け用に張られた鮮やかな青色シートが庭の緑陰に溶け込み、ちょっとしたビアガーデンの雰囲気を醸し出していた。

 N君は江南市に在住し、奥方と一人娘と合わせての3人家族だ。 そこへスロバキアからやってきたJ君が居候しているから、4人家族(?)と言ったほうがいいかも知れない。住まいは、築・約150年の歴史を有する母屋と、今は亡き父君が建てた茶室兼隠居部屋、そして、N君が一人娘に婿を迎えるために建てた2階建ての瀟洒な感じの建物が並んでいる。 N君は三人きょうだいの末弟だが、長男であることから、この家を大切に守り・継いでいる訳だ。

 「全部で何人の客が来るのか?」とN君に尋ねると、「15人くらいでしょう。やって来る時間は各人まちまちです」との返答だった。田楽の焼けぬうちから勝手に焼酎の水割りを作りグラスを傾けたが、薄日のさす庭先は、新緑を吹き抜けるほんの少しの風が心地よさを感じさせた。N君が言ったように、暫時・三々五々に客がやってきた。最終的に集まってきたのは全員で16人だったが、N君家族の知人・友人の中で異色だったのは、外国籍の若者が4人いたことだ。二人の米国籍の若者は、通訳とAETの仕事をしているとのこと、他の二人は、オランダとカナダ国籍の若者で、オランダ国籍の男性は日本人女性と結婚 ・2児の父親で、囲碁を教えているという。相当な腕前らしいが、外国人が日本人に囲碁を教えているなどという話は初めて耳にした。カナダ国籍の若者は牧師をしているとのことだった。 この4人は、居候のJ君が名古屋のYMCAで学ぶうちに知り合い・友人関係ができたそうだ。いずれも日常的な日本語会話には困らないと言う。難しい話をしなければ、十分に会話が成り立つ。驚いたのはオランダ人の若者で、実に流暢な日本語を話し見事だった。 居候のJ君などは来日1年ほどしか経過していないが、彼もまた、日常会話にまったく支障はなさそうだ。彼自身は6か国の言葉を話せると聞いているが、私には驚きだ。彼は日本文化をこよなく愛し、日本の武術に傾倒している。実に勤勉で・誠実な男だ。 多くの外国人が来日・定住し、日本の文化・生活習慣に馴染み、幾多の分野で活躍しているのを目の当たりにすると、まさに、国際化時代そのものだ。彼らは自分が外国人とは思っていないだろう。日本人との人づき合いも自然体かつ積極的で、何ら抵抗なく日本の家庭に入り・生活にも順応し・溶け込んでいる。 むしろ、我々日本人が相手を「外国人」として意識し、身構え・たじろぐ場合が多いのではないか。 いくつもの国境が連なるユーラシアでは、 異人種の交わりはごく当たり前で、彼らの言葉の中に、日本語に示す「国際化」なる特有の言語は存在しないだろう。 こってりと赤味噌のついた田楽を口にする横顔は、日本人の若者と何ら変わるところはなかった・・・。


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2009.04.30
   EOSW   民事訴訟に最高裁が「体罰にあたらず」の判決。妥当だが、現場での「体罰」の線引きは難しい。

 2002年に、熊本県の小学校で当時2年生だった男児が、臨時講師を足で蹴って逃げたため、講師が男児の胸元をつかんで壁に押し当て大声で叱った行為が、学校教育法の禁じる「体罰」にあたるかが争われていたが、訴訟の上告審で 最高裁は「体罰にあたらない」との判決を下した。そして、講師の行為を「体罰」と認定していた 1・2審判決を全て破棄し、損害賠償請求を棄却した。

 私が中学生だった頃は、悪いことをすれば、教師から「ビンタ・正座」は当たり前で、時には「使役労働」を課せられ、「愛のムチ」との呼称で行われた光景はごく日常的だった。 世間も保護者も、こうした状況を教育の一環と受け止め、よほどのことが無いかぎり、批判や反発等は皆無だったように思う。 「体罰」を是認する時代でもあった。時移り、後に「体罰禁止」条項が学校教育法に定められるや、「児童・生徒には絶対に手を挙げるな。手を挙げたが最後、教師の負け」 という不文律ができあがった。 最近では、教師が児童・生徒に友だち感覚で接したり、度を越した悪ふざけや暴力的言動を看過する教師の存在も指摘されるようになってきている。教師が、指導の現場で腰を引いたら教育は成り立たない。 叱責を要する場で、児童・生徒の中には「殴れるものなら殴ってみよ。体罰をしたと訴えてやるぞ」と 顔を突き出して教師を睨み、教師がひるむと罵声を浴びせ・威嚇し、逆に教師に暴力をふるう者さえあると聞く。何としたことか。これが教育現場での現実なのか・・・・。とても考えられない現象である。ちなみに、校内暴力は漸次増加の傾向にあり、文科省の調査では、2007年度の発生件数は 小中高校 いずれも過去最高を示し、対教師暴力は06年度より500件以上増え、7,000件近くあったという。これは驚くべき数字だ。

  私が現職の時、保護者からこんな話を時々聞いた。 「今の教育は生ぬるい。先生も優しすぎる。悪いことをしたらゲンコツの一つや二つ くらって当然。それをぜひやってほしい」・・・と。私は「体罰」の肯定論者ではない。 「体罰」そのものは許されることではないし、やってはいけない行為だ。ただ、厳しさは必要だ。 しかし、「体罰」の線引きは難しい。どんな状態に至れば体罰に該当するのか。 今回の事件は、教師が「子どもの胸ぐらをつかみ壁に押しあて大声で叱った」というが、最高裁は1・2審の「体罰行為」の判決を破棄し、教師のとった行為はやや穏当性を欠くと指摘したものの、「行為は体罰に当たらない」と判断し結論づけている。07年に文科省が教育再生会議の報告を受けて、「教師が児童・生徒の暴力行為から自身を守るため、やむを得ず力を行使するのは体罰に当らない」と明確な通知を出したが、これが今回の判決に何らかの影響を与えたとみてもよいだろう。 判決は、 「教職員の有形力の行使が違法とはいえない場合がある」との判断を示しており、 今後の教育現場に少なからぬ混乱の影を落とすことになるだろう。いずれにせよ、今回の最高裁の判決は妥当であろう。 「モンスターペアレント」の増加もあり、本当に難しい教育の時代になった。教育に「優しさ」<温かさ・きめ細やかさ>は大事だが、今この時代には、何よりも 「人間的な・厳しさ」がもっと大切だ。だが、この「やさしさ」と 「きびしさ」の兼ね合いが実は難しい。 しかし、そのバランスをうまくコントロールし、個に応じた教育ができなければ、 教師の資質に欠け教師失格ということになろう・・・。



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2009.04.27
   EOSW   名古屋市長選・河村氏が当選。生粋の名古屋っ子・名古屋弁丸出しの河村さん、さて、どう動くか ?
 4/26、 日本三大都市・人口224万人の名古屋市長選が行われ、即日開票の結果、民主党推薦の河村たかし氏が当選した。自民候補に23万票差をつけての圧勝だった。今回は「各党相乗り選挙」から一変し、自民・民主・共産の三党が正面から激しくぶつかり合う激戦を呈した。市民の関心も頗る高く、投票率で50.54%に達した。最近の都市首長選では極めて高い投票率となった。
 
 当選した河村氏、名古屋市民にとっては馴染みが深く・名の通った有名人である。名古屋市出身で衆議院議員を5期にわたって国政を担い、今回の名古屋市長選にともなって議員を辞し、立候補・当選を果たした。 河村氏は名古屋弁丸出しでズケズケものを言う性格で、一部に品性・品格に欠けるとの人物悪評がつきまとっているが、 当人はあっけらかんとこれを排除し、選挙戦でも自分スタイルを最後まで貫いたようだ。 名古屋市政の悪弊・現状打破を強烈に前面に出し、「税金を払っている者が苦労し、税金で食っとる者が楽しとる」と公務員批判を繰り返し、市役所体制をぶっ壊す勢いで主戦論をぶち選挙戦を戦った。これなぞ、かって小泉元首相が選挙戦で「自民党をぶっ壊す」と息巻き、国民の関心を引きつけた論法と類似している。「市民税の10%カット(減税)」などは氏の看板公約でアピールとして絶大だが、政策実現としては無理難題が伴い、他陣営から実現不可能政策と攻撃の的となった。 しかし、これを「公約として必ず約束・実行します」と声高に訴えるから市民は無視できない新鮮さを感じたようだ。有限実行・庶民革命を自認する選挙戦?のスタイルは、選挙期間中市内全区を自転車走破の街宣活動に表れている。自転車での走行総距離が315Kmに及んだという。これは名古屋・東京間の距離に近いから大したもんだ。並みの候補者にはできないだろう。「燃えよドラゴンズ」を「名古屋の市歌」とまで言い切るほどで、自らの街宣活動のBGMとして「燃えドラ」を流すというドラキチの最右翼的存在でもある。やはり、どえりゃあ・生粋の名古屋っ子だ。

 個性派の河村さんだけに敵もある。市長選は市会議員との関わりが強く、切っても切れない関係になるが、市会議員の中には反河村体制で固め、対立している構造もあるようだ。 一部に相容れない政策があると言うわけだが、河村氏ご当人は「妥協できない」との立場で距離をおいているようだ。神田愛知県知事も自民候補を推薦してきた経緯から、今後の名古屋市政の運営・舵取りも破天荒な様相を見せるだろう。しかし、名古屋市民は、市政の無駄を排し・悪弊を打破し、「市民生活本位の政治」を行おうとする河村氏に今後を託した訳だ。 全国に異色の知事・市長が誕生し、公約を漸次果たして実績を上げ、「県民・市民」から大きな信頼を受けている例も見かける。「弊害をなくし、暮らしを良くする」は、政治の基本である。経済の悪化と硬直化・生活の不安・不安定と閉塞感を打破するために、思い切った政治をしようとする奇才の政治家が必要かも知れない。 魅力ある施策・行動力とバイタリティを名古屋市民は河村氏に求めたのであろう。衆議院議員としての5期の力量を名古屋市政にぶつけてほしいものだ。今後、大いなる関心を持ち・期待もしたい。 ただ、公的の場での名古屋弁の過度の露出は少々お控えになったほうがよろしかろう。やはりTPOは必要だ・・・。


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2009.04.26
   EOSW   G7が世界経済の今年度回復を声明に採択した。日本の景気回復の兆しは「新型プリウス」に有り・か?
 G7<先進7か国財務省・中央銀行総裁会議>は日本時間4/25、「景気の下振れリスクは継続し、景気後退速度の鈍化やいくらかの安定化の兆候が出ているものの、世界経済は今年中に回復を始める」との見通しを示し、共同声明を採択した。世界経済が本格的な回復軌道に乗るかは予断を許さないが、G7 ガこのような声明を出す以上は 何らかの権威的根拠に基づいてのものであり、明るいニュースである。
 
 国内では、トヨタが5月に販売予定している新型・ハイブリッド車の「プリウス」の受注が予定をはるかにオーバー<現在4万台超>しているとして、大幅に生産体制・販売拡大戦略を練り直し・活気づいているという。実燃費とはいかないまでも、同排気量車種中トップというリッターあたり38Kmの経済性は大きな魅力だし、政府が打ち出した「エコカー減税」もタイミング的には絶妙の対策となって後押ししているようだ。トヨタがホンダの開発した ハイブリッド車・「インサイト」を強烈に意識し、当初予定していた販売価格を大幅値下げし、200万円ちょっとの低価格で対抗しているが、価格競争は車の格段の性能改善・向上と相まって、消費者に特大のメリットを印象づけている。 今、第一段階としてこうした激烈なハイブリッド戦争が始まったが、 この夏に三菱が電気自動車を発売予定しており、その動力源となる電気エネルギーは、走行距離あたり ガソリン代の約1/3で、電力会社の深夜料金プランを使い夜間充電すれば1/9で済むという。現下では極めて廉価なエネルギー源で、数字が示す値打ち感は相当なものだ。 車としての性能もハイレベルにあると評価されているが、残念ながら軽自動車かつ価格300万程度の高値で、街中での充電問題・その他で 完全クリアできていない部分もあり、即、万人に受け入れられるものではない。しかし、ユーザーたちの視線は熱く、完全実用化された電気自動車に対する興味・関心は非常に高い。 ハイブリッド・エコカーは、完全に黎明期から胎動期へと激震・激動を重ねつつ急速に進化していくだろう。

 自動車生産工業が景気の抑揚を大きく左右する基盤産業となっていることから、こうした傾向が、全体の景気高揚に繋がってきていることは一つの事実だろう。現に、トヨタの「新型プリウス」の受注が、不況まっただ中と言われている現在、信じられないほどの右肩上がりのカーブを描く傾向を見ると、G7の声明からは、何となくその気配が感じられないでもない。ただ、「新型プリウス」が他の車種を食い散らす結果も無きにしもあらずだ。 「新型プリウス」への待望と限定的特例の一過性現象かも知れないが、よしんばG7の共同声明が的中し、「新型プリウス効果」として他へ波及し、基幹・基盤産業としての活性化による雇用の回復・景気高揚に繋がる起爆剤にならんことを願いつつ、大いなる期待をしたいところである・・・。


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2009.04.25
   EOSW   週末の高速道は軒並み大渋滞の「ETC現象」。花も嵐も踏み越え行くのが家族サービスの亭主の仕事?   
 4/25 午前、所用あって名古屋へ出かけた。 電車にしようか車にしようかと迷ったが、目的の場所が駐車OKとの確認がとれたことと、雨天・強風のため、行楽地へ向かう車が少ないだろうと予測し車で出かけることにした。目的地が名古屋I Cに近いため東名高速利用で行くことにし、小牧インターから入った。ランプウェイから走行車線に入ると、車の量が予測していたよりも多いことに気づいた。全体の車の流れはやや緩慢な状況だった。そのうち、春日井インターを通り過ぎてしばらくすると、ガクンとスピードダウンし渋滞が始まった。ゴー&ストップの繰り返しである。これが「値下げ影響のETC渋滞」か・・・ と実感した。名古屋インターを下りるまでこんなダンゴ状態ガ続いたが、やはり、何時でも・何処でも渋滞だけはうんざりだ。 私の車にはETCは付いていない。近い将来に装着する予定もない。 高速道を使って遠隔地まで出かけることなどほとんどない私の車には必要ないからである。

 高速道路の値下げが3/28にスタートして1か月近くになるが、国交省と高速道4社によると高速度の交通量は、以前に比して約4割近く伸びたと言う。 「どこまで行っても 1,000円」の値打ち感が、週末にファミリーカーを各地の行楽地へと向かわせているのだろう。確かに「乗り放題1,000円」は懐に優しい。 だが、高速道料金値下げは2年間の時限立法だ。 政府が景気対策の一環として打ち出した緊急立法措置に過ぎない。 政府が値下げに踏み切った背景には、次期衆院選をにらみ、例の「定額給付金」と同様、国民の人気とり・有権者の支持を取りつけたい与党側の思惑<たくらみ>にあるとも言われる。 高速道料金については、民主党が「完全無料化」という無謀ともとれる大胆な構想を打ち出しているが、政府・自民党が、「値下げサービス・お値打ち料金」として先取りした形となった。 だが、いずれにせよこのための財源は膨大で、財政悪化をさらに逼迫・助長しかねない。 今回の値下げ2年間で、必要財源は少なくとも5,000億円といわれている。 政府は対策として既に2008年度の第二次補正予算で必要経費を計上しているというが、結局は財政難の現況からその尻拭いを他に転化し、増税という形で国民に負担を強いることになるのであろう。

 GWが迫っているが、マスメディアなどは空前の連休で、高速道は軒並み大渋滞を予想し報道している。 高速道とは、名のとおり高速で爽快に走れなければ意味がない。渋滞にイライラするようではストレスがたまり、疲れも倍増する。目的地到着までの時間が数倍に達しては旅の計画も狂ってしまう。全国主要基幹高速道がETC現象で「低速・イライラ道」に変貌すれば、ETC利用者にはとんだ跳ね返りの恩恵になってくるだろう。もし、怨念が最悪・交通事故多発に繋がるようなことになったら目も当てられない。はてさて、GW中の高速道はどんな怨・現象が発生するか・・・。私はGW中の車での特別遠出<旅行等の>計画なしである。外出しても、近・短運転だろう。何よりも渋滞イライラなく、精神衛生上も極めてよろしかろう・・・。


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2009.04.20
   EOSW   大不況が、「消しゴム一個購入に、社長・会長決済が必要」の結論に追いやった。スズキ自動車の決断。
 未曾有の危機に直面して、国内自動車メーカー各社は「成長路線」から「生き残り路線」へ経営の軸足を移した。 未だかってない経済の悪化は氷河期突入の様相を呈し、経営戦略の見直しと建て直しが急務であり、その必要性が逼迫しているという。その一つとして、「無駄の排除」を徹底的に行おうとしているのがスズキ自動車の「スズキ株式会社」である。社長兼会長の鈴木修氏は、このほど「消しゴム一つ購入でも会長決済を必要とする」との指令を出したという。

 スズキはその歴史と共に、過去に幾多のベストカーを製造し・現在においてもワゴンRなどのトップ・ロングセラー車を世に出している軽自動車界の老舗である。 その名だたる軽自動車界のスズキが、社員の使う消しゴム一つ購入にも「要・会長決済」を打ち出したことは大きな驚きである。苦渋の選択・決断であっただろうと想像できるが、世界的な自動車産業の大不況・底打ちを物語る証左となろう。かって、作家・司馬遼太郎の 「空気を絞り、一滴の水をしたたらす」なる言葉を思い出した。まさに、これに似たような状況に追いつめられているようだ。鈴木氏は今までが「ずぶぬれの雑巾」だったと述懐している。 この際、こうした状況を徹底的にたたき直すとの覚悟を示し、会社経営の厳しさ<危機意識> を全社員の末端にまで完全に浸透させたいとするねらいがあったのではないか。こうした思惑が「消しゴム購入時の要・会長決済」という形としてトップダウンされたのであろう。

 それにしても厳しい・・。ついこの間まで「派遣切り」の活字が新聞紙上に氾濫していたが、スズキの現況を垣間見るにつけ、未曾有の経済不況が最悪の状況にきていることが手に取るように分かる。「たかが消しゴム一つ・・・されど、消しゴム一つ」である。軽自動車界の雄とされるスズキですら、なりふり構わず・世間体をかなぐり捨てなければ、サバイバルには勝ち残れないという現実がここにある。社員一丸となって厳しさ・危機意識を共有し、新たに経営戦略を練り直し・生み出すべきとの警鐘を鳴らしたとみるのが普遍的であろう。大企業のスズキがこの現状なら、関連する下請け中小企業は大方の予想がつくというものだ。はからずも、4/20にNHKがクローズアップ現代で、「大倒産時代・中小企業の逆襲」と題して実態の一部を放映したが、この半年で全国約3,000社が倒産しているという。今後さらに多くの社が死活の瀬戸際に立たされるという悲惨な状況を映し出していた。
 細君は語らぬが、我が家も厳しい・底をつくに等しい経済状況であることに想像は難くない。 「スズキ」じゃないが、我が家の無駄を探してみるか・・・。いくつもあるだろう。それにつけても、景況好転の兆しが見えるのは果たして何時になるのだろうか・・・。


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2009.04.17
   EOSW   経済学分野で「レモン」とは、外見立派だが中身が傷んでいることを指すそうだ<読売紙> 初めて知った。
 外見からは果肉の傷みが分からない果物がレモンだそうだ。外皮は黄色のツヤツヤとした肌触りで、硬めの弾力があって新鮮そのものの香りと健康そうな顔つきを見せるレモンが、いざナイフを入れると、果肉がひどく傷んでいる場合があるそうだ。 外見や手触りだけでは果肉の変化をまず見抜けないという。我が家では、レモンを購入する機会は滅多にない。したがって、外見がよいものの果肉の傷んだレモンを買ったという経験や場面遭遇はないが、なるほど、レモンとはそういう果物かと初めて知った。このように、外見は申し分なく立派だが中身が傷んでいることを、経済学分野では「レモン」という言葉で表現することがあるそうだ。

 面白い表現だと感じた。と同時にふと、この表現を類似的に「レモンOO
」と呼んだらどうなるだろう・・と思った。例えば「レモン人間」だ。身なりは立派だが、思考力・コモンセンスともに欠け、幼稚な態度・行動を示す人間・・・こうした輩は身近にいくらでも居そうである。かって、外見に比して中身のない<頭の中がからっぽの>低劣人間を、「ピーマン」と称したことがあったが、これをはじめて耳にした時は、何とも強烈な表現に驚いたが、その比喩には即妙的な皮肉が込められ、いささか当を得たりの感ありで 苦笑したものである。ある種の業界では、古くから「符丁」が使われているが、これなぞは第三者にはその意味がほぼ見抜けない。聞いてみると、なるほどと思わせる道理があり、その中に、言葉の仕組みが隠されていて感心するばかりである。隠し(かけ)言葉は他にも多く見かけるが、いずれもその裏に仕組まれた意味と言葉の響きやニュアンスが伝わってきて実に面白い。日本語独自の言葉の「綾」と言ってもよかろう。 日本語とは、複雑で難しい言語だと思っているが、生活の知恵から生み出され・創られてきた言葉は、存在意義があって値打ち感がある。

 ところが最近、経済学分野で若者がよく使う言葉に、SYがあるという。 例えば「あいつはSYだ・・・」といったような使い方をするそうだ。SYとは「数字が読めない」⇒「経済がわからない人間」と言う意味で、相手を見下すわけだ。じゃあ・・・・、「数字が読める人間」⇒「経済がよく分かる人間」・「経済に強い人間」を何と呼ぶのか・・・?。答えは・・・該当する語なしである。 都合のよい語だけを作り・流行させて快感を得るという図式だ。ある種の愉快犯に等しい。KY語なるものは、若者が遊びで作った感覚・遊戯言葉だと思うが、それにしても、意味不明言語を操る若きエリート経済学者の卵たちには唖然とするばかりである。 何とも空虚な現象ではないか・・・。


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2009.04.13
   EOSW  「市南部コミュニティセンター・南児童館」が完成した。今後の有効活用が地域住民に課せられた宿題だ。
 我が家の近くに、「小牧市南部コミュニティーセンター」がオープンした。一度中を覗いてみたいと思ってはいたものの、今までその機会がなかった。今日、所用あって外出し、センターのすぐ横を通る機会があったので思い切って中へ入ってみた。中へ入ってすぐ左側がオープンスタイルのやや広めのオフィスヤードだった。突然、「お久しぶりです」と、声をかけてくれたのが懐かしい顔の後輩のF君だった。F君がここに勤務しているとはまったく知らなかった。F君は市内小学校教頭職を最後に退職している。 聞くと、児童館関係の仕事を担っていると言った。元気そうで何よりだった。挨拶もそこそこに来所目的を告げると、1階の主要コーナーの案内・説明をしてくれた。

 センターは、小牧南児童館を併設した複合コミュニティー施設であり、「気軽にふらっと立ち寄れば誰かがいて話の輪が広がる憩いの場として・幅広い世代の交流の場として親しまれるフラットな施設となるよう」、愛称を「ふらっとみなみ」と名付けたと施設案内に記してあった。規模としては格別大きくはないが、後発の施設であり、センター内はかなり充実した立派なものになっている。建物は鉄骨創2階建てで、延べ床面積2,102.53㎡となっている。 コミュニティ施設は、講堂(収納ステージ200人/ネット付きコートで各種軽スポーツ可)・調理室・憩いの畳コーナー・和室(2)・多目的室・音楽スタジオ・小中会議室(2)・スタディー型 ライブラリーエリアで構成され、児童館は遊戯室・図書コーナー・創作活動室・プレイルームとなっている。
 

 このコミュニティセンターは、以前から構想があったものの実現には紆余曲折があったようである。地域住民の実現願望は強く、ここへきて関係各位の並ならぬ尽力により完成に至り、喜び極めて大きなものがある。地域住民の憩い・交流の場・文化的活動の拠点として、さらに、教育・福祉・スポーツ・教養娯楽等々に大きく寄与する施設とならんことを強く願いたい。センター施設を見ながら、特に、高齢者・障害者へ配慮された設計のよさが目についた。これからの公共施設設計で欠かすことの出来ない視点だろう。センターのすぐ西隣りに警察の交番があり、警察官も24時間常駐しているため、治安面でも安心できそうだ。待望の施設ができた・・これから如何にいいものにしていくか・・それは全て地域住民の双肩にかかってこよう。大いに有効活用していくべきだ。


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2009.04.12
   EOSW   T君が田楽会に誘ってくれた。若芽ふく庭先、焼きたての田楽で一杯やるのは気分爽快。趣向あってよし。
 親友のT君から、「土曜日の昼に、我が家の庭で田楽会をやるが食いに来ないか、女房がぜひにと言っている」との電話があったのは4/9だった。 毎年、桜の終わった頃に自宅庭で田楽会をやっていると聞かされていたが、誘いの声をかけてくれたのは初めてだった。「手土産の心配はいらない。その代わり焼酎を持ってきてくれ」と、単刀直入の話をしてきた。 T君は私にとって無二の親友で、日頃、互いに気がねないストレートな会話を交わす。そういった会話が通用するのが本物の親友だろう・・・。

 彼の細君に好物の饅頭を、孫には好物のバナナを持って行くことにした。手土産は要らないと彼は言ったが、手ぶらではどうも格好がつかず、ここは日本人の常識との感覚で土産を用意することにした。焼酎はどうせ自分だけが飲むんだから、いつもの980円也の「いいちこ」でよしとした。彼はもっぱらのビール・日本酒党で、あまり焼酎には手をつけない。私と彼とは、月に1回の定期的な間隔で駅近くの居酒屋で杯を交わしているが、彼は日本酒・私は焼酎と決まっている。互いに手酌で、気を遣って注ぎあうようなヤボなことは決してしない。酒のサカナも、勝手に自分用だけを注文し、相棒の分は気を使わないのが暗黙のルールーとなっている。 最後の勘定は必ずワリカンである。
  

 T君の庭に招かれ・集ったのは一年先輩のH夫妻・T君の細君の友だち3名と、嫁の友だちのW夫妻と娘・・・と私の計8名、そして、T君家族の6名の総計14名だった。それほど広くはないが、適度に植栽され、数々の鉢植えが置かれた庭は、こじんまりとした落ち着いた雰囲気が漂っていた。この日は真夏の様相で、直射日光はジリジリと照り返し、炎天下では相当な暑さを感じたが、パラソルの中は丁度の心地よさがあった。T君が豆腐を、息子が鉄板でソーセージ肉・ソバ・野菜等を焼いて振舞ってくれた。ごくありふれた内容で豪華さなどはないが、量は十分でどれも焼きたての一品は頗る旨かった。焼酎は普段より軽快に喉を通っていった。何よりも、庭先の新緑に囲まれての飲み・食いは風情があって、居酒屋での雰囲気とは一味も二味も違っていた。初対面の御仁と打ち解けるのも時間はかからず、知己のように会話が弾んだ。 11時過ぎから始まった飲み・食いしながらの談笑は 瞬く間に過ぎ、気がついた時は、午後4時近くだった。最後に細君が「コーヒーを入れましょう」と言ってくれた。 ブレンドされたコーヒーはことのほか旨く、細君の温かみが感じられた。謝・謝・謝・・・である。人間・よき友を持つべきだ・・・。


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2009.04.09
   EOSW   KECインストラクター研修会が開かれた。新カリキュラム再編は、初心者にとって大きなメリットとなろう。
 KECインストラクターの研修会に出席した。研修会の主旨は、今年度から基礎講座が「入門講座」と「活用講座」に分類・再編されたための学習会である。出席したインストラクターは12名だった。「入門講座」は、テキストを主体とした学習展開にし、初心者に対して「ゆっくり」・「しっかり」を根底に、指導を徹底し・学習した内容の理解と技能力の定着を図ることをねらいとしている。これは大いに賛成である。 今までのカリキュラム内容・指導内容は、ともすれば、理解・技能消化不十分のまま次へ進む(進まざるを得ない)という状況が見られたのは事実である。
 

 講座の受講生は、比較的年齢層が高い。が、「PCを学びたい」「PCができるようになりたい」とする、「を」と「が」の目的志向がしっかりしている。どの受講生にも学習への意欲と覇気が共通している。そこらの勉強嫌いの学生とはまるで違う。そんなPC受講生に、2時間の学習内容が確実に習得され、「わかった・できた」喜びを持って帰っていただきたい・・と、考えるのはどのインストラクターも同じ思いだろう。

 入門講座で重要な位置づけとなる一つがタイピングである。タイピングの巧拙・文字入力のスピードと正確さは、初心者によっても大きな差がつくのが現実である。講座では、当然ながらローマ字入力に限定指導をするが、中には、ローマ字入力を苦手とする受講生を見かけることがある。資料としてローマ字入力一覧表を渡すが、これなくしておぼつかない受講生もいる。ローマ字入力のメリットは多く・一般的だが、本人の適性を見極め、カナ入力方式を選択・指導すべきことも必要だ。カナ入力がローマ字入力に劣るとは決して言えない。タイピングは慣れが大きな要素を持つ。 慣れれば、ローマ字入力同等もしくはスピードアップするとも言われる。カナ入力はローマ字入力より1.2~1.3倍速いとの統計数字もある。要するに大事なことは、学習指導法を概念化・固定化しないことだ。受講生が「厄介さ」を感じるようになったら、PC学習の意欲は減衰するだろう。「楽しく・面白く、わかる」ことが絶対に必要だ。楽しく・面白く、わかってきたら、自発的学習力・技能向上が飛躍すること間違いなしである。いずれにせよ、一講座12時間構成の中で、基礎・基本学習としての文字入力学習が4時間(1/3単位時間)に増加されたのはよい。このカリキュラム再編は必ず好結果をもたらすであろう・・・。<活用講座については割愛>


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2009.04.04
   EOSW   PCセキュリティソフトに異常あり。高機能化は歓迎だが、他への誤作動を及ぼしては困りものだ。
 PCセキュリティソフトの更新をした。ソフトは、従前から SymantecのNorton Internet Security を使っている。2008を削除し、新ソフトである2009をインストールした。インストールそのものは支障なく短時間で完了し、続いて完全スキャンを実施した。 これもウイルス等の検出はなく、PCに何ら問題がないことを確認した。 しかし・・・である。自己HPを立ち上げたところ、トップページの左上画面に、「このサイトは安全ではありません」とのメッセージが表示されるではないか。これには狼狽した。何たることか・・・安全でないとは何事か。何度立ち上げを繰り返しても状況は同じで、少々色めきたった。今までこんなメッセージは表示されたことはない。当然である。自作の健全HPだ。スキャンも、つい先ほどやって異常なしだった。何故このようなメッセージが表示されるのか・・・まったく見当がつかなかった。メッセージを確認すると、発信元はSymantec だった。 何を根拠に・何を理由に安全でないと表示するのか、早速、Symantec のテクニカルサポートC に問いただすことにした。
 

 なかなか繋がらない電話にいらいらしながら、ようやく電話口に出て応対したインストラクター氏はマレーシア人だった。ほどほどの日本語の会話力はあるが、どうも、マニュアル片手の応対ぶりで、こちらからの細かい日本語のニュアンスが伝わらない。要するに、こちらの具体的に問題となっている現象説明と、さしあたっての現象回避・停止の要求が伝わらないわけである。いらいらして、日本人インストラクターに代わってくれと伝えると、このサポートCに日本人は在室していないと言う。 要領を得ないので、責任ある立場の日本人インストラクターを手配し、早急に電話をしてほしいと強く要望した結果、何とか了承してくれた。

 20分ほど後に電話があった。今度は中国人の女性だった。日本人インストラクターを要求したのに、また外国人か・・と、 一瞬怒りを覚えたが、「私はインストラクター責任者です。他に日本人はおりません。私が責任をもって話を聞きます」と、落ち着いた流暢で巧みな日本語で語った。これなら安心と、PC状況を詳しく説明し、現象回避を要求した。 結果、「ご迷惑をかけています。この現象は、2009から搭載された新機能のNorton Safety Webによるものと思われます。今までこうした報告を受けていない初めてのトラブル現象なので、至急アメリカの本社へサイトが安全であることを通知します。メッセージ取り消しは、3週間ほど後になると思います。アクシデント原因等については、調査の上、後日しかるべき回答をします。 メッセージを表示させない設定がありますので、その方法で一時措置としてお許しいただけないでしょうか・・・」(要旨)とのことだった。

 しかたなし。それでよい・・・と、彼女の指示に従ってID情報の設定操作をした。その結果、メッセージはトップ画面から完全に消えた。ヤレヤレの心境と相成った。一件落着だが、とんでもないハプニングで、小一時間のてんやわんやの大騒動であった。原因解明はSymantecからの回答待ちとなるが、それにしても、 この中国人インストラクターの応対・指導は、丁寧かつ親切で適切だった。さすが、責任ある立場のインストだ。 声からして若く感じたが、キャリアは相当なものを持っているだろう。 この中国人女性責任者のソフトで親切な対応・話しぶりに好感を持った。責任ある部署のキャップは、こうあるべきだと強く感じた・・・。


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2009.03.31
   EOSW   恒例の「小牧山観桜会」を行った。達者・精鋭の仲間24名が小牧山に終結・・・酒盛りきわめて壮観なり。
 3/29、恒例の我が仲良し会「小牧山観桜会」が行われた。時折薄日のさす何となく肌寒さを感じる天候だったが、正午過ぎには陽光ガさす晴天となった。桜は、咲き始めといったところ。しかし、桜は二の次で、仲間が壮健で相集い・酒を酌み交わせる幸せが満喫できることの方が大切だ。集結したのは総勢24名。内、女性は8名。例によって、くだんの如しの馴染みの連中で何の新鮮味もなしだが、今回から、名古屋市内に在住のH君が新会員となって駆けつけてくれたことが一つの嬉しい出来事となった。

 花見の宴は約3時間続いた。ツワモノ揃いを前に、途中で用意した3本の一升瓶が空となるハプニングも発生・・・。冷酒をぐいぐいあおるT・S君などの酒豪家は、老いを感じさせない豪快な飲みっぷりを見せつけてくれた。けっこう・けっこう・・・大いにけっこうではないか。酒飲みが酒を飲まなくなったら<飲めなくなったら>・・・おしまいだ。飲めるうちが花よ。大いに飲め・・・と、何度も紙コップに美酒をついでやった。

 私は最初から最後まで焼酎一辺倒だ。飲み方は、焼酎を水で割って氷の塊りを放り込む。レモンなど余計なものは絶対に入れない。ただ、焼酎が好きだから飲んでいるわけではない。焼酎など、未だかって一度たりとも旨いと思ったことはない。昔からビール党だったし、今でもビール・旨い日本酒が飲みたい・・・。なのに、何故に焼酎か? それは、痛風患者にとってビール・日本酒は大敵だからである。私の痛風患者としての遍歴は相当なものである。現職の頃は随分苦しんだ。かなり前になるが、ドクターの指示で服薬(アロシトール)するようになり、ビール/日本酒とも生き別れをした。焼酎に切り替えたが、確かに体にはよい。それ以来、痛風は出ていない。今は安心しきって飲んでいる。全然旨くない焼酎だが、飲むにつれ酔いが気分よく回り、痛快となる。これが飲み方によって妙薬と言われる酒のよさだ。今のところ、私にとって焼酎は、親友と同等の友である。今の体調がいつまで続くかまったく自信はないが、ただ、急ブレーキをかける必要はなさそうである・・・。自宅に帰ったのは午後8時過ぎ。例によって例の如しの、二次会・三次会を経由してのご帰還である。翌日、ズボンの後ろポケットには、数枚の硬貨がチャラチャラと寂しく悲しい音をたてているだけだった・・・。 


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2009.03.27
   EOSW   喫茶店で、あらぬ光景に出くわした。はてさて、幼児教育はこのままでよいものか。いささか気になった。
 私は喫茶店によく出かける。コーヒーを飲みに行くのではなく、新聞を読みに行くのである。自宅では朝日と地元の中日の2紙を購読しているが、やはり、毎日と読売そして日経はどうしても目を通したい。大きな活字の躍るスポーツ紙にも手が伸びる。コーヒーは新聞を読むための副産物である。喫茶店は主にK店、その時の気分で目先を変え、煙草の吸える他店にも足を踏み入れる。

 昨日、所用で外出し、市外の喫茶店に入った時に唖然とする人物に出くわし、何とも言えない不快感を持った。席についてコーヒーを注文し、新聞に目を落としてしばらくすると、入園前とおぼしき男児2人が店内で「鬼ごっこ」を始めた。 初めはコソコソやっていたが、興に乗ったのか大声ではしゃぎ・「鬼ごっこ遊び」が大胆になり、さして広くない店内の通路を全力で走るようになった。こうなったら、客としてはたまったもんじゃない・・・。周りの客も一様に眉をひそめて眺めていた。そのうち親が注意してやめさせるだろうと思っていたが、親は無頓着で諌めるどころか、まったくやらせ放題だ。その親といえば、マンガを読みふける若き父親と携帯電話に夢中になっている若き母親だった。
 

 あまりの喧騒ぶりにたまらず、思い切って、「子供さんが店内を走り回るのを止めさせてもらえないか」と、やや風体よろしからぬ細面の父親に頼むと、「子どもだから、走ったって しょうがねぇだろう。文句あるんか・・」と、睨みつけての喧嘩腰の言葉が跳ね返ってきた。男のただならぬひきつった形相を見て一瞬ぎくりとし、無言で引き下がるしかなかった。正直言って、一瞬、恐怖心が横切った。
 
それにしても、とんでもない場面に遭遇した。喫茶店での一光景だが、「しつけ」に直結することだけに、今時の若い親の子どもに対する対応・指導に大きな疑問を持った。いや、「これでよいのか」という危機感すら感じた。 公衆道徳を知らない走る子どもに罪はない。 店内を走り回るることはいけないことと咎め・諭し・教えることができない親の方が問題だ。「しつけ」とは「躾」と書く。身と美が結合した文字が「躾」である。行為の形の基本を教えることが大切だ。古くから、「三つ子の魂百まで」の語がある。幼児に難しい教育はいらない。「人間としての基本的生活習慣」の基礎を徹底して教えることだ。幼児の仕事は「遊び」である。遊びの中で気づかせ教えることは多い。それすらできない親は、親として失格だろう。 そんな若い親たちが散見され、年寄りには憂いに映る。 はてさて・・・あの喫茶店で出合った子どもたち、これからどんな風に育てられ・成長していくだろう・・・ ふと、不安になった。杞憂に終わればよいが・・・。


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2009.03.19
   EOSW   Word の個人指導を依頼された。喜んでいただけたのは嬉しいことだ。Sさんの今後の健闘を祈りたい。   
 以前、市パソコン講座の受講生だったSさんから電話があり、「Wordで表作成が思うようにいかない。個人的に教えていただけないか」ということだった。Sさんとは市パソコン講座で初めて出合ったわけだが、休憩時間に、ロビーでいろいろ話しかけられ、パソコン関係の質問も受けた方だ。今は第一線を退かれ、悠々自適の毎日を送っておられるが、かっては、サイエンス関係のエンジニアとして活躍されたとお聞きしていた。「ボケ防止のためのパソコンお遊びですよ」と照れ笑いをされていたが、とても熱心な方との印象が強く残っていた。時間を調整してSさん宅へお邪魔した。勿論、自宅を訪問したのは初めてだったが、洒脱な邸宅の玄関先のチャイムを鳴らすと、気品ある奥様が出迎えてくださった。
 
 書斎に通され、挨拶もそこそこにパソコンの前に招かれた。「自分史を書こうと思いましてね・・・。文章を打ち込むのは問題ないですが、表作成が自分の思うようにいかず苦労しています。そこで、長谷川先生を思い出して個人指導をお願いしたわけです。応えてくださって本当にありがとうございます」ということだった。表作成の構想・具体的内容を尋ねると、自分史の中に年代譜を入れたいとのことだった。ごく普通の表でよいことが分かったので、サンプル表を作って提示してみることにした。

 最も簡単な作表方法で作りかけると、液晶を覗いていたSさんが「こんなに簡単にできるんですか・・・」と少々驚かれた様子だった。「作表はいろいろな方法があります。ほぼ、自分のねらったように自由にできますよ」と、他の数種類の方法を実際に具体的に提示しながら一緒に作表作業をした。ついでに、表罫線の挿入・削除、罫線間の幅・高さの変更、列・行数の変更、罫線列・行の移動、セル数の変更・色づけ、オートフォーマット、オートSM、表の全体体裁・微調整等々も解説しながら一緒に作業を進めると、「驚きましたねぇ。こんなにできるんですか・・・百聞は一見に如かずですなぁ。 いやいや、今日は具体的に見せていただいて実によく解ったし・本当に勉強になりましたよ。でも、歳だからすぐ忘れちゃうんですよね」との感想を述べられた。「 忘れることの度合いは私も同じですよ」と言ったが、PCなどは、「習うより慣れよ」だ。やらなければ忘れるスピードは一段と加速される。 数種類のソフトを扱っていると、ショートカットキイなどは混乱してしまう。思考力・精神力共に減衰の一途をたどっている現状だ。 現状維持がいつまでもつか・・・。まったく自信はない。 


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2009.02.22
   EOSW   ブラボー!! 「ポルタメント・サンデーコンサート」。 大活躍しているM君の今後の更なる健闘・発展を祈りたい
 大学(現愛知教育大)の後輩・M君から、「ポルタメント・サンデーコンサート」の案内状をもらっていたので会場の東部市民センターに出かけた。327席のホールは、ほぼ満席だった。センター入り口で、元県会議員・現小牧市文化協会会長のYさんに会った。ご夫婦でコンサートに来られていたが、M君から案内状をもらったので来たと言われた。すぐ隣の席に座ったが、久しぶりで、しばし話がはずんだ。年齢にそぐわず、ご健勝・ご壮健で何よりだった。(余分なことだが、Yさんとは親戚関係になっている)

 さて、M君は前述の大学音楽科出身で市内小学校長を最後に定年退職している。数年前から「ポルタメント小牧」に所属し、指導者的立場で活動している。「ポルタメント小牧」とは如何なる団体か?・・・。以下、「ポルタメント小牧」のHPから抜粋した。HPによると、「<ポルタメント>とは、イタリア語のPortamento(音と音をなめらかに移行するという意味)からのものです。 語源は〈Portanto〉〝運ぶ〟という意味ですが、小牧市民の皆様と手をたずさえて、音楽活動を盛んにしたいという想いを込めて「ポルタメント小牧」と命名しました」・・・とある。さらに、「小牧市の音楽文化の一翼を担うため、小牧市教育委員会の呼びかけにより、平成9年1月に小牧市在住の演奏家を中心に結成されました。■サンデーコンサート年6回 味岡、北里、東部の各市民センターホールにて行われます■ふれあい音楽広場(年12回) 味岡市民センターロビーにて毎月第1日曜日のお昼に行われます■デザートコンサート各種団体からの要請によるコンサート(保育園、幼稚園、小中学校の行事への賛助出演、子ども会、老人ホーム、各商業施設での生演奏、各種会合、研修研究会での生演奏)■会員相互による研究会、発表会♪ 会報誌「Portamento」の発行(年2回)」と紹介されている。M君から、登録会員は60名ほどと聞いている。 小耳にはしていたが、「ポルタメント」がこれだけの会員(演奏家等)を有し・定期的活動をしているとは知らなかった。

 本日のコンサートは、三弦・バリトンソロ・ピアノソロ・ソプラノソロのプログラム構成だった。M君はこの内のバリトンソロだ。伸び・艶のある
声量豊かな歌唱は素晴らしかった。ブラボー!!である。当然と言えば当然かもしれないが、全8曲中の トスティー(2)・シューベルト・モーツアルトの曲すべてを原語のドイツ語で歌ったのには少々驚いた。偉いもんである。300人からの観客の前で歌うには、いかにセミプロといえども相当量の練習をこなし、確かな専門的歌唱技能と自信がなければ出来るものではない。一般の展覧会で、作品を展示するのとは質が違う。いわゆる「生」で演ずるわけで失敗は許されない。それを平然とこなすM君に心から拍手喝采を贈りたい。本日のコンサートは素晴らしかった。「ポルタメント」で活躍し、「唱歌童謡を歌おう」の会を主宰・指導を続けているM君を賞賛し、今後の大いなる健闘と発展を祈りたい・・・。


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2009.02.15
   EOSW   「30会」一泊小旅行、犬山に決まる。足元の「歴史の町・犬山」を今一度じっくり眺めるのもよいではないか。
 仲間で一泊旅行をすることになった。 竹馬の友で旅行を楽しむ仲間の会を結成しているが、実は私が言い出しっぺで、気のあった連中で時々気ままな一泊旅行を楽しもうではないかと呼びかけてできた会である。 会の名を「30会」という。「30会」とは昭和30年に地元の中学校を同期卒業した仲間であることから、T君が「30<さんまる>会」にしようと提案があり決定した名である。そして、今回が3度めの旅行となる。過日、主だった者数人が昼飯を食いながら目的地などについて相談した。 だが、格好の候補地が次々出るものの、紆余曲折・堂々巡りでなかなか決まらない。そんな雰囲気の中で、「灯台もと暗しと言うでしょう。 近くで意外と知らないところがあるんじゃない? 例えば犬山の城下町を歩いたことある?」と旅行通の女性代表格のYさんが言い出した。なぬっ・犬山だと・・と一瞬怪訝に思ったものの、「考えてみれば犬山の城下町なんて歩いたことないなぁ」とYさんに言ったら、他の連中も異口同音の反応を示し、最終的に「それもよかろう」ということで目的地は犬山に、期日は3/8・9と決定した。

 そう言えば、犬山は余りに近くに位置するため、観光地としての値打ち感が希薄だった。指を数えれば、国宝の「犬山城<白帝城>」を初め、夏の木曽川を焦がす「犬山鵜飼」と優雅な「日本ライン下り」、明治を代表する建築物を集めた「博物館明治村」、現存する国宝茶席3名席の一つと云われている「有楽苑・如庵」、もみじ寺として有名な「寂光院」、京大霊長類研究所で世界的に有名な「日本モンキーセンター」、360有余年の歴史を誇る13台の絢爛豪華な山車<だし>が繰り出す「犬山祭り」・ 世界22か国33施設を移築、復元した野外民族博物館の「リトルワールド」・ 千葉県成田市大本山成田山新勝寺別院で中部地区最大の「成田山名古屋別院大聖寺」・桃太郎のおとぎ話に関連する「桃太郎神社」などなど・・・、名所・旧跡・歴史的建造物を有する国内有数の一大観光地と言えよう。

 上記の各スポットは、仲間にとって全てが馴染みの場所であるが、犬山の城下町を歩いた者はYさんを除いて誰もいなかった。 犬山市は観光地としての城下町の古い建物・趣を残す町並み保存に力を入れ、景観・美観に配慮し、電柱を地下に移設・埋設するなどの努力もしているという。足元の「歴史の町・犬山」を今一度じっくり眺めるのもよいではないか。国宝四城の一つである「犬山城」では、専門のガイドをお願いし、学習を深めたい。 さらに、ガイドと共に今に残る城下町を歩き、当時の歴史と人間生活・風情を学びたい。旅の視点を変えてくれたYさんに大いに感謝すべきだろう。 現在、未確定の1人を除いて、女5・男12の計17名が「30会・老人一泊旅行会」に参加希望をしている。 2/19には、参加者全員が小料理屋の二階に集まり、昼飯を食いながら細部行程等を検討・協議することになっている。旅行会社のお決まりの物見遊山コースプランに乗っかるのではなく、自分たちの手づくりの研修的小旅行を画策するのである。犬山だけでなく、岐阜県方面へ少々足を伸ばしてプラスの味付けをし、一泊二日の小旅行を最大限・愉快にやろうというわけだ。この旅行、生活リズムの一つの交響楽となるだろう・・・。 


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2009.02.11
   EOSW   「完璧」と書いて完璧なり。「完壁」は辞書になし。思い込みの間違いでは済まされぬ。あな恥ずかしや。
 これも喫茶店で新聞を読んでいて目につき感じたことである。2/11のY紙・読者の投書欄に、「勘違いの漢字 子供と再び勉強」と題する鎌倉市在住の42歳主婦の投稿があった。「完璧」の文字を「完壁」と書き続けてきて、最近になって間違いに気づいたというのだ。このくだりを読んで、一瞬、目がつりあがり・狼狽した。「かんぺき」の「へき」は、「璧」だったのだ。「壁」ではなかった・・・。帰宅し早速調べてみると、「璧」は、広辞苑に「すぐれたもの」とあった。何ということか、自分は前述の主婦とまったく同じではないか。「完<壁>」と思い込んで使い切ってきた自分に、羞恥この上なきものを感じた。と同時に、知らぬうちに思い込んで、無意識に使っている「間違い漢字」が他にもあるのではないかと少々心配になってきた。

 ところで、一般的に社会人として、どれほどの漢字を身につければよいだろう・・・。公用文や検定教科書などで使用する漢字(新聞や放送も概ね同じ)は、常用漢字1945字(1981年制定)だといわれる。今、物議をかもしているが、例の「漢字検定協会」の各級の程度は、1級で約6000字・準1級で約3000字(大学・一般程度)となっている。1級の6000字は、日常的に使用されない別格漢字が多く含まれているというから、これは度外視して、社会人として約3000字程度ということになるだろうか・・・?。

 まてよ、果たして自分はどれだけの漢字能力があるだろう・・・・と、ふと思った。だが、手軽に調べる物差しがない。やはり、「漢検」に頼るより方法なしか・・・。そういえば、今、受験・就職に有利との理由で、多くの学生たちが「漢字検定試験」を受けるという。ライセンスとして、ものを言う
のだそうだ。企業の中でも漢字検定のライセンス取得を大いに奨励し、昇任人事の重要ポイントにしている所も多いと聞く。また、認知症予防・脳活性刺激方法として、漢検に果敢に挑む年配者もあるそうだ。隠れたブームになっているとも聞いた。動機がいずれにせよ、いいことではないか。大いに結構。だが、現在、調査・捜査中で詳しくは判明していないが、まじめな受験者の検定料を、私的流用しているとされる疑惑の理事長たちは断じて許されない。徹底的に糾明され、当該者は厳格に処罰されねばならない。最近、「読めそうで読めない間違いやすい漢字」なる本が出版され、ベストセラーになっているようだ。購入するつもりはないが、内容には興味ありだ。不謹慎だが、ちょいと失敬して書店で立ち読みしたいと思っている。どんな漢字が並んでいるんだろうか・・・。


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2009.02.06
   EOSW   日本の細密工業の技術力は、超高度水準を示す。ナノ単位の加工精度などは想像を絶する世界だ。
 喫茶店でY新聞を読んでいたら、アラブ首長国連邦のドバイにある水族館の囲み記事が出ていた。その規模たるや、フロア3階分をぶち抜き、巾32m・高さ8mの世界最大級の威容を誇るという。これには少々驚いた。これだけの規模になると、その水圧たるや相当なものだろう。 超巨大水槽内には どれだけの海水が入れられているかは分からないが、水槽の容積を考えれば、想像を越す高水圧が、前面のガラスにかかっていることは間違いないだろう。 この水族館では、水槽にアクリルパネルを使っているという。そのアクリルパネルが日本製だ。製造会社は、香川県三木町にある「日プラ」というアクリル製造専門の従業員80人の会社だ。中企業の部類だろうか。この会社のアクリルパネルの製造技術がすごい。特別に研究・開発された接着剤を使い・高度で特殊な技法によって作られるアクリルは、7cmに達しても極薄ガラスに就職匹敵する透明度で、歪みも皆無で金属の如く強度があるそうだ。この会社が製造するアクリルパネルは、世界で7割以上の占有率を誇るという。 この会社の内容・実態は知らないが、大企業・大会社のように特別な研究者や研究施設をもっているわけではないだろう。社長以下、永年にわたる不断の町工場職人たちの「ものづくり」への熱意・努力が、素晴らしい技術革新の結晶をもたらしたと推察される。

 我が国は、世界に類例のない高品質の製品を作り出しているが、その多くが中小企業だという。 去る1/23、大阪などの中小企業が開発に携わった人工衛星「まいど1号」が、H2Aロケット15号機で打ち上げに成功した。これは、不況で苦しむ中小企業の町・東大阪で、「町を元気に」と発案されて以来 8年経過後の今年1月に完成・打ち上げられ、中小企業の技術力をアピールする大阪の町工場・根性職人たちの一途の「ロマン・熱き思い」が、ここに至って夢が現実となって結実した。大学の研究機関との提携で目標を到達させた大阪下町の中小企業職人たちの「ものづくりの魂」は、多くの国民の喝采をあびた。
 
 また、2002年には、100万分の1グラムの歯車が世界で初めて誕生した。 世界最小最軽量の100万分の1グラムの歯車は、それをフィルムケースに2万個集めても、肉眼ではチリが入っているようにしか見えないというから仰天ものだ。 顕微鏡を使わないと見えないこの歯車を開発したのは、精密部品メーカーの樹研工業(愛知県豊橋市)だ。 1000分の2グラムという腕時計の部品製造を手掛けていた時代から、20年の歳月をかけてこの技術水準に到達した。 目指す技術目標は、ナノ(10億分の1)メートル単位の加工精度の追求と言うから驚きだ。中小企業の多くは技術を特化した戦略をもっている。日本の企業の大半は中小企業で占められており、中小企業が供給する様々な技術が各種製品・部品の高品質化を生み出し、裏で大企業を支えている。日本の中小企業を侮るなかれだ。だが、今、世の不景気に喘ぎ、青息吐息・枯渇寸前の企業も多い。政治家のお歴々たちよ、本当に真剣になって しっかりと日本経済の建て直しを図り、舵をきってほしい・・・。


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2009.02.03
   EOSW  CADとは、Computer Aided Design の頭文字をとった表記。今や、設計・デザイン分野では欠かせない技術。
 今日、市パソコン講座<NO4>があり、休憩時間にロビーである受講生の方から、「CADって何ですか?」と質問されたので一通りの説明をしたが、誠に失礼ながら初心者講習の生徒さんだったので、果たして分かっていただけたかどうか・・・・。余分なことだが、CADについて少々書いておくことにした。

 CADとは、Computer Aided Designの頭文字を表記している。Aidedとは、「支援・援助する(される)」意で、要するにコンピューターを用いて設計することである。一昔前は、設計・製図作業といえば、ペンと定規による完全な手書きの職人的作業であった。ところが、パソコンの急速な発達により設計のためのソフトウエアが各種開発され、建築・機械・電気・土木関係はもとより、都市計画・舞台デザイン・インダストリアルデザイン・公園/庭園設計・服飾/アパレルデザイン関係・アニメ/ゲームなど・・あらゆる分野・領域にまで急速に浸透し、CADを使って設計・デザインすることは至極当たり前の時代となってきた。定年退職後に名古屋のCADスクールに通い、2D建築CADのライセンスも取得したが、今は、2D・CADだけでは設計の全てをカバーできず、高機能に開発された3D・CADでなくては現実的に通用しなくなってきている。3D・CAD だが、3DのDはDimension(次元)の意を示し、連続体の広がりの次元が三つあること・次元の三つを用いて表現すること、即ち3D・CADとは、物体の形状を立体的(X、Y、Z軸)に描画することによって、複雑な形状や曲線などを視覚的にわかりやすく表現することができる技術で、簡略的に言えば、 パソコンを使って立体表現をすることである。

 CADソフトはその目的によって選択するが、その種類は多く、名の通ったものでも70数種類ある。それぞれにCADの特質・特徴があるが、唯一のネックとして、いずれのCADソフトも破格的な高値で、頻繁なVersion upによってCADユーザーは対応に苦慮し・泣かされているという悲劇的な現実も見られる。現在、AutoCAD・LT2002 / VectorWorks12 を使っているが、例えば、AutoCAD・LTを例にとると、毎年のようにVersion upを繰り返し、現在2009となっている。VectorWorksも同傾向をたどり、最新バージョンを求めるとなると、とても経済的に追いつけるものではない。この内、VectorWorksが 2D⇔3D とを自由に行き来できる汎用性の高いCADとなっているため、少なくとも2009の3Dを使いたいと思っているが、高価なためになかなか手が出せないでいる・・・。 このほかに、IllustratorCS3 を使っているが、これはCADと違ってベクトル・グラフィック制作のためのトータルソリューションであるが、これも Version up を繰り返している。何でもそうだが、いいものを手にいれようとすると、結局は散財につながるということだ。


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2009.01.30
   EOSW   「Windows7」なる新OSを年内に発売か?  Microsoft社の戦術か戦略か・・・とにかく変わり身が早い。 
 KECインストラクターのK氏から、「PC講座受講者の事前調査結果」のMailが届いた。調査結果以外に、「WebとPCのメモ帳」のタイトルで、PCに関する情報記事が添付されていた。K氏からは時々、PCに関する最新情報が送られてくるが、勉強不足の小生にとってはとてもありがたいことで、大いに感謝している。
 

 「WebとPCのメモ帳」によると、Windows Vistaの次世代OSが既に開発され、「Windows7」(仮称)として2009年度中にも発売されるというのだ。最新PC情報を余り知らない自分にとっては、少々大袈裟だが仰天ものだった。今Vistaが主流であるが、小生はXPを使い続けている。敢えてVistaに乗り換える必要性もなく・不具合など皆無だ。何が・どのようにリメディされるのかは不明・定かではないが、Vistaになってから、幾ばくかの年数しか経っていないではないか・・・。それにしても、最近のMicrosoft社の変わり身は早い。現在、CAD関係ソフトを数種類使っているが、毎年バージョンアップを繰り返すものもある。大方は、内容にさしたる変化なしである。部分的に機能改善し、大々的にニューOSとして宣伝するわけだ。まさに、「売らんがため」・「金儲け」の手段に他ならない。PC講座受講生の方の中には、未だにWindows Meを愛用している方がいる。別にOSの知識がない訳ではなく、「Meで何の支障もありません。私の日常使用範囲ではこれで十分です」ということだ。天晴れではないか・・・。

 いずれPCを買い換える時期が到来するが、それまではXPで十分。ニューバージョンソフトに入れ替える考えもない。各種ソフトもXPを相当長い期間にわたってサポートするはずだ。こうなれば、Vistaを看過しXPを使い続けて、熟慮を重ねた上で、「Windows7」とやらを総合的検討をすることになろう。それにつけても、「Windows7」の2009年度中の発売とは早すぎる。この結果、VistaはXPよりサポート期間が短いということになり、Vistaのユーザーにしてみればこれは面白くないだろう。画期的な内容変革・進化がない限り、憤慨は持たれても大きく歓迎されるものではないだろう。価格に匹敵し、納得できる内容のOSを期待したい。


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2009.01.28
   EOSW   「能動的能力」の大切さを説くノーベル賞受賞物理学者・東大名誉教授の小柴昌俊氏の執筆文に感銘。
 C紙夕刊に、「この道」と題するノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊氏<2002年「天体物理学・特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞・東京大学名誉教授>執筆の連載記事が掲載されているが、1/27の記事は「成績」と題した文で、とても興味ある内容だった。氏は、2002年3月の東大卒業式で理工系の卒業生に祝辞を述べた際に、自分が卒業した時の成績を公開したという。「優」は、物理学実験の二つだけで、他はすべて「良」と「可」だったそうだ。信じられないような成績だが、東大の教授を定年まで勤め、文化勲章をもらっていることから成績不良を誰も信用しなかったため、事務室から東大生だった頃の成績表の「写し」をもらい、スライドにして見せたという。東大卒業生への祝辞の中で、自分の学生時代の成績表をスライド提示されたとは、まったく想像だにできないことだ。普通は、己の恥部を隠し・外面・体裁をつくろうものだが、天衣無縫型の正直人間というか、純粋で闊達な人間・物理学者に惹かれるものがあった。
 
 氏は、人の評価について次のように語っている。「日本では、人を評価するのに筆記試験の点数ばかり使っている。だけど、私に言わせれば、筆記試験で判断できる能力なんて、一面にすぎない」・「人間が実社会に出て仕事をやる上で大事なのは、筆記試験で測れるような受け身の能力ではなくて、自分から何かをやろうとする能動的な能力だ。そして、人間の実力というのは、受け身の能力と能動的な能力の掛け算で決まると私は考えている。掛け算だから、どちらかがゼロではダメで、両方が発達する必要がある(原文のまま)」と・・・。そして、卒業生への「はなむけの言葉」として伝えたかったこととして、「私は成績が悪かったけれど、能動的な力が他の人に負けないぐらいあったので、ある程度のことはやれた。だから、成績が下の人はあきらめないで、能動的に力を発揮するように努めなさい。成績が上の人も慢心してはダメだよ(原文のまま)」・・・と結んでいる。

 氏の文章引用が余りに長くなったが、共感・納得できる言葉だったので、忘れることのないように書いてみた。ノーベル賞受賞・文化勲章受章の偉大な学者だが、平易な言葉・文章で、「日本の人間評価の悪弊」と「人間の能動的能力の大切さ」を説く博士に大きな心感ずるものがあった。常に、「やれば出来る。心に夢を ! ・・・」の言葉を投げかける小柴氏は、日本の若者たちを奮い立たせてくれるだろう。2003年2月の岐阜県民栄誉大賞授与式後の記念講演で、「私は後ろの方の席にいる若い人たちに語りかけようと思います・・・」と、記念講演会に参加した歴々の大人たちを無視するように、約15分間の記念講演内容すべてを中学生たちに向かって、親しみ深く・分かりやすく語りかけたという。氏の若者に対する熱き思いは、並ならぬものが感じられる・・・。「本気になって、どうやったらよいか、考えて・考えぬいてやり方を見つける・・・こういうことが大事なんです」は、示唆のある言葉だ。


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2009.01.12
   EOSW  正月が通り過ぎ、凡々の生活が始まった。数々の年賀状をじっくり読み返して、新たな発見も多かった。      
 正月も過ぎ、何となく慌しかった年始挨拶の来客や知人への挨拶訪問・友人たちとの恒例の新年会も過ぎ、いつも通りの静かで平凡な生活が戻ってきた。今日は、ちらっと見ただけで、机の上の棚に無造作に放置していた300枚ほどの年賀状を一枚ずつ丁寧に読み返した。親友の某君の年賀状を手にとった時、んんん・・・???となった。「正月は 冥土の旅への一里塚 めでたくもあり めでたくもなし<良寛>」の文字が目に飛び込んできたからである。これ、確か一休禅師の句だったはずだが・・・?。定かなる自信がなかったので調べたが、やはり一休禅師の和歌だった。

 これは完全なる間違いと、彼に電話で知らせようと受話器を取ったが、「要らぬお節介」と思い直し、電話することを止めた。思い違いか・ミスチョンボかは分からないが、結果的に多数の相手に出した年賀状だから、ちょっと始末が悪いと感じた。今度会ったら、彼、何と説明するだろう。「つい、うっかりミスをやっちゃってねぇ・・・」と、頭をかくんだろう。ま、人間、間違いはあるもの。私なぞ、間違いだらけの人間といってよかろう。だから、他人様の「うっかりミス(?)」をあげつらうことなどできるものではない。「言葉は消えるが、文字は残る」とつねづね頭の隅にあり、文章表現には出来る限りの注意・配意をするが、知らず知らずのうちに「思い込み」をしてしまうから、大いなる危険が潜む。

 ところで、一休禅師は、一休宗純(そうじゅん)と言い、室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧だったが、かってのTVアニメで「頓知の一休さん」として子どもたちに大人気だった。禅僧といえば、「禅問答」・「座禅」の難しく・厳しい修行等を連想する宗派の僧侶だが、一休禅師は特異な禅僧で奇行・蛮行も多かったとされる。今でいえば、型やぶれのバンカラ・ユニークな禅僧であっただろう。「どうしようもないぐらい困った時にだけ、開封しなさい」と、弟子に渡された桐の箱は、およそ百年後に初めて開封されたが、中にあった書簡にはたった一片の一文のみ。 「心配するな。なるようになる」・・・とだけ書かれていたという。 何
とも奇知でユーモアに富んだ禅僧だろう。一休禅師の不思議な人間性に惹かれ、もっと人間・一休禅師の奥を知りたくなった。


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2009.01.07
   EOSW   2009年の新春を迎えた。めでたさも 中くらいなり おらが春(一茶)だ。平和で幸多い年となることを祈りたい。
 2009年を迎えた。今年も人が訪れ・人を訪ねて、間断なく旨い酒の続いた正月だった。少し違ったことは、私にとって古希の新年を迎えたことだ。古希とは、杜甫の曲江詩「人生七十古来稀」からの言葉で、数え歳で70歳になったことをいう。俗に「めでたい」と称するそうだが、それは一昔も二昔も前のことで、平均寿命が伸び、日本人男性が79.0歳・女性が85.8歳で世界一・二を示している現在、古希(数え70歳)に至ったことを「めでたい」と言う人は、おそらく少なかろう。私自身、特別な感慨も希薄だ。ただ、幼少時から身体虚弱の部類で育ち、いろいろ病気もした。考えてみれば、「何とかここまでよく来れた」、というのが本当のところだ。これからは、日ごとに老いぼれ・朽ち果てていくのは当然で、健康にも自信がない。これからは、心身状況悪化・老化現象を少しでも食い止めるための自己コントロールが必要であろう。ただ、しゃかりきになって逆流に棹差すのではなく、あくまでも基本は自然体でありたいと思っている。

 かねてより、何とも解せないことと感じていたことが、今日の朝刊C紙のコラム欄に載ったので興味深く目を通した。「大波小波」のタイトルでの囲み記事だ。題して「血液型に要注意」とある。この記事によると、このほど日販から発表された、2008年の年間ベストセラー10の中に、血液型による「自分の説明書」と題する書物が4冊も含まれていたそうだ。この記事を書いた記者は、「いくらなんでも、それはないだろう・・・危惧を感じた」と言っている。このくだりを読んで、私もまったく同感だった。今までに人様から、「血液型は何ですか?」と何度聞かれたか知れない。どうも興味本位の性格分類をして楽しんでいるらしい・・・?。血液型を教えると、「へぇ・・・本当ですか」とか「やっぱりね・・・」とかの様々な反応があったが、概して的をはずれていた。血液型で性格や、ましてや尊厳ある人間としての人格までを決め付けるとなると不届き千万で、人間の尊厳性を愚弄するものといってよい。

 記者は、「血液型による性格分類は学問的に何の根拠もない。日本以外では、半ば禁忌であることを十分に心すべきだ・・・」と言う。彼曰く、「迷信よ、消えよ !!」と結んでいる。記者氏に賛成である。大道芸・易者の「見てしんぜよう。当たるも八卦・当たらぬも八卦」と同等のダシャレ程度に楽しめばよいが、信じきったり・のめりこんだら人間喪失に繋がりかねない・・・。それだけで済むならまだしも、他人を奈落へ突き落とすようになったら・・・それこそ大問題だ。       


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07年3月から、時々の気分や思いつきで書き始めましたが、ずいぶん記録が増えたため、09年1月以前は全て消去しました。

2007.03.
First Issue